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<title>hitori de dekirumon - WEBディレクターFUJIMORIXのブログ</title>
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<description>着信メロディはもちろんダイバスターのOPテーマであるWEBディレクター、藤森信義がアホ←→マジメを往復するテレ東的ブログ</description>
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<title>これまでの一行ネタ 2008年5月~8月</title>
<description>デイリーで更新してきたブログ説明文↑の一行ネタ。たまにさぼったので毎日とはいかなかったが、とにかく5月末から始めて今のところまだ続いている。｢全部まとめて公開してほしい｣という強い要望があったかなかったかと言えば、ビタ一文なかったわけだが、1個1個はあれでも一気に見てみると少しはましなじゃないかってことと、時事ネタをたまに取り入れていたのでこの春夏を振り返るには悪くないと思い、以下箇条書きにしてみた。なお、わかりにくいところや更新日近辺のニュースなどには注釈を付けてみた。【2...</description>
<dc:subject>■ 一人でできるもん</dc:subject>
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<dc:date>2008-08-31T00:00:00+09:00</dc:date>
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デイリーで更新してきたブログ説明文↑の一行ネタ。<br /><br />たまにさぼったので毎日とはいかなかったが、とにかく5月末から始めて今のところまだ続いている。<br /><br />｢全部まとめて公開してほしい｣という強い要望があったかなかったかと言えば、ビタ一文なかったわけだが、1個1個はあれでも一気に見てみると少しはましなじゃないかってことと、時事ネタをたまに取り入れていたのでこの春夏を振り返るには悪くないと思い、以下箇条書きにしてみた。<br /><br />なお、わかりにくいところや更新日近辺のニュースなどには注釈を付けてみた。<br /><br /><br /><strong>【2008年5月】</strong><br /><span style="color:#FF0000;">5/24</span> ｢ラブラブ｣という言葉を聞くと虫酸が走るWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">5/25</span> 焼肉パーティも鍋パーティも1人で開催するWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">5/26</span> ｢逆に｣から始まる会話が逆になっていなくても黙って流す位の器はあるWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">5/27</span> あれほど自分に言い聞かせたのに傘を電車内に忘れるWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">5/28</span> ひとりでできるもんという有名ダンサーの存在を最近知ったWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">5/29</span> 自分のことを｢一途なんだよね｣というのはどうかと思うWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">5/30</span> FUJIMORIXとFUJI XEROXはよく似ているWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">5/31</span> 小田急線新宿駅の乗り場はわかりにくいと思うWEBディレクター<br /><br /><strong>【2008年6月】</strong><br /><span style="color:#FF0000;">6/1</span> ｢超合体サンゴッドV｣のオープニングテーマは100回観てもまだ笑えるWEBディレクター<br /><span style="color:#0000FF;">※｢超合体サンゴッドV｣＝｢ギャグマンガ日和3｣の中の1話</span><br /><span style="color:#FF0000;">6/2</span> 焼き鳥はツウっぽく塩を頼むが、本当はタレ派のWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/3</span> ｢ダイバスター｣マルさんのたまに高いテンションが好きなWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/4</span> 亡くさないように高い傘を買ってもやっぱり亡くすWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/5</span> 裁縫の玉止めが一生レベルでできた試しがないWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/6</span> (笑)はもとより(爆)は問題外だ、とうそぶくWEBディレクター<br /><span style="color:#0000FF;">※<a href="http://blog.n-o-b.net/article/99393338.html" target="_blank">シリーズ突っ込みたくて Vol.5[顔文字]</a>と関連</span><br /><span style="color:#FF0000;">6/7</span> ｢ダイバスター｣の放送100回記念を1人しめやかに祝うWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/8</span> ジェロの次は鼠先輩のリフレインが止まらないトゥナイトなWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/9</span> アニメ版｢ゴルゴ13｣でゴルゴが携帯で顧客と連絡を取るのが納得いかないWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/10</span> ガリガリ君で当たりが出てもいい年してもう1本もらう勇気はないWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/11</span> ブロッコリーを見ると思わず｢この木なんの木｣を口ずさむWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/12</span> ｢なる早｣という言葉を使い慣れた自分がちょっといやなWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/13</span> ギザ10を未だに貯金箱に貯めている昭和なWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/15</span> ｢ブレア・ウィッチ・プロジェクト｣は実話だと1年位信じていたWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/16</span> ｢ふくとしんせん｣と入力すると｢吹くと新鮮｣と変換されるナイスな端末が相棒のWEBディレクター<br /><span style="color:#0000FF;">※6/14に副都心線が開通</span><br /><span style="color:#FF0000;">6/17</span> 本を買う時は上から3番目くらいから取ることにしているWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/18</span> 大切な衣類はネットに入れて洗うWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/19</span> 体組成のうち50%はバファリンと同じ成分でできているWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/20</span> 松尾スズキとペ・ヨンジュンは似て蝶だと思うWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/21</span> マライア・キャリーとウイリアム・H・メイシーは紙一重だと思うWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/22</span> 折角の休日は丸一日YouTubeで｢空耳アワー｣を見倒して終わっちまったWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/23</span> 大学時代に作ったスノーボードサークルが冬を待たずに潰れたWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/25</span> 筆ペンを使って字の下手さを誤魔化すWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/25</span> ダイバスター102話でのAD小田くんはいくらなんでもかわいそうだと思うWEBディレクター<br /><span style="color:#0000FF;">※小田くんが好きな女性の前で両手にカップうどんを持ち全裸にさせられた回</span><br /><span style="color:#FF0000;">6/27</span> ｢鬼畜｣という言葉が変換できなくて携帯を替えたWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/28</span> 初めて本場の讃岐うどんを食べた時に小宇宙(コスモ)を感じたWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/29</span> お察しの通り週末の楽しみの1つは録画した｢ダイバスター｣観賞なWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">6/30</span> 人生に3度モテ期があると聞くが、それならモテ期は2度と訪れないWEBディレクター<br /><br /><strong>【2008年7月】</strong><br /><span style="color:#FF0000;">7/1</span> 自転車のサドルだけ盗まれたことがあるWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/2</span> ボーリングの平均スコアは聞かないでほしいWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/3</span> うまい棒はめんたい味に限るが継投でサラダ味も挟むWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/4</span> 出席番号順だと後ろの方で背の順だと前の方だったWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/5</span> ここ数年の24時間マラソン企画は確実にずれていると思うWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/6</span> 電化製品の折り込み広告を見るとなぜかテンションが上がるWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/7</span> 夏と言えばTUBEよりむしろ杉山清貴&オメガトライブを推したいWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/8</span> 七夕の夜空に｢梅雨時のカビをなんとかしてほしい｣と願ったWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/9</span> 最新の所有ゲーム機はプレステ1であるWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/10</span> 宅配ピザをオーダーした際は、対面上複数人で頼んだことを装うWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/11</span> ブルガリアヨーグルトに付いてくる砂糖が余って困ります、なWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/12</span> 週末の1大イベントがカビ退治とはなんてかわいそうなWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/13</span> カビキラーの威力は大したものだ、と嘆息を漏らすWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/14</span> 舘ひろし版ゴルゴにようやく慣れつつあるWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/15</span> 飛行機の座席の狙い目は、非常口前であることを知っているWEBディレクター<br /><span style="color:#0000FF;">※7/13から<a href="http://blog.n-o-b.net/article/105541319.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行</a>の投稿を始め、しばらく海外ネタになる</span><br /><span style="color:#FF0000;">7/16</span> 海外のマストアイテムその1は耳栓なWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/17</span> 海外のマストアイテムその2はバイクロープなWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/18</span> 海外のマストアイテムその3はガムテープなWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/19</span> 海外必携品4はアーミナイフだが、結局ほとんど使ったことはないWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/22</span> ゲストハウス選びのポイントは｢何事も大目に見ることだ｣と語るWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/23</span> 熱帯で部屋を借りるならエアコンよりファンが断然おすすめなWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/25</span> 長距離バス移動の際は半分膨らませたエアピローを座布団にするWEBディレクター<br /><span style="color:#0000FF;">※一杯に膨らませると破裂するので注意</span><br /><span style="color:#FF0000;">7/26</span> 日本のビールは確実に世界で通用すると思うWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/27</span> 海外を旅した中で一番うまかったのは上海で食べた小龍包だったWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/28</span> スペインで食べたブルーチーズは一口で絶対無理と判断したWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/29</span> メキシコ土産にお菓子だと思って買った物はなんかの種だったWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">7/30</span> イギリスは飯がまずいと言うが、実際想定の倍はまずかったWEBディレクター<br /><br /><strong>【2008年8月】</strong><br /><span style="color:#FF0000;">8/1</span> 昔インドネシアでポン引きの片棒をかついでいた経験を持つWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/2</span> 日本の7～10倍の紫外線により、ニュージーではえらい目に遭ったWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/4</span> 何の情報も持たずに南海の島国バヌアツに行った経験を持つWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/5</span> バヌアツで会った唯一の日本人はJICAの人だったWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/6</span> 海外に行くと若干便秘がちになるWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/7</span> 某社長に｢カンボジア紀行の続きは？｣と突っ込まれたWEBディレクター<br /><span style="color:#0000FF;">※ベトナム・カンボジア紀行の更新を2週間ほどサボタージュしていた時</span><br /><span style="color:#FF0000;">8/9</span> 散々待ったのに肝心な日本選手団の入場シーンを見逃したWEBディレクター<br /><span style="color:#0000FF;">※8/8北京五輪が開会</span><br /><span style="color:#FF0000;">8/10</span> 実は柔道有段者だが、寝技に持ち込まれると勝負を捨てていたWEBディレクター<br /><span style="color:#0000FF;">※8/9柔道を始め各競技が始まる</span><br /><span style="color:#FF0000;">8/12</span> 想像：実物で比べると自由の女神の小ささはマーライオン以上だったWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/13</span> ラスベガスで1発目にやったスロットで旅費をチャラにしたWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/14</span> Los Angelesに住んで最初の3ヶ月、ずっとLos Angelsと綴っていたWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/15</span> L.A、シビックセンターのバス停で拳銃を突きつけられたことがあるWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/18</span> 香港のカップルはクソ暑いのによくベタベタとくっつくなあと思ったWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/19</span> マレーシアでハンバーガーを売る少年のお陰で今があるWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/20</span> タイで会ったニューハーフの多くは内角ギリギリでストライクゾーンなWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/21</span> パキスタン人のルームメイトが作ったカレーが今でも忘れられないWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/22</span> L.A時代のニックネームはMr.Miller、相棒のそれはMr.BudであったWEBディレクター<br /><span style="color:#0000FF;">※MillerもBudもアメリカのビール</span><br /><span style="color:#FF0000;">8/23</span> 今まで行った中で最も刺激がなかった場所と言えばハワイだったWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/25</span> 北京五輪ではこれまでになく幾度も感涙し、寄る年波を感じたWEBディレクター<br /><span style="color:#0000FF;">※8/24北京五輪閉会</span><br /><span style="color:#FF0000;">8/26</span> 昔弟に麦茶と偽って水で薄めた醤油を飲ませたことがあるWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/27</span> 昔弟にC1000タケダと偽ってオデンの残り汁を飲ませたことがあるWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/28</span> 赤いきつねよりどん兵衛、UFOよりペヤング派のWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/30</span> ｢うまい!｣とか｢味自慢｣とか自分で書いてる店は大抵その逆だと語るWEBディレクター<br /><span style="color:#FF0000;">8/31</span> 夏も終わりだが、夏らしいことと言えばスイカバーにはまった位だったWEBディレクター<br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=304386" target="_blank"><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/fc2_banner.gif" alt="FC2 Blog Ranking" width="80" height="15" border="0"/></a><a name="more"></a>

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<item rdf:about="http://blog.n-o-b.net/article/105734043.html">
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<title>戦争映画 FALL IN!! Vol.1~Vol.10</title>
<description>■ Vol.1 ｢西武戦線異状なし｣・・・・・・原点であり最高点の反戦映画■ Vol.2 ｢炎628｣・・・・・・観賞注意！ソ連発トラウマ映画■ Vol.3 ｢戦争のはらわた｣・・・・・・よくわかるRoad to World War 2■ Vol.4 ｢戦場のピアニスト｣・・・・・・歴史の黒幕ロスチャイルド家について■ Vol.5 ｢ヒトラー ~最後の12日間~｣・・・・・・なぜナチスは民衆に支持されたのか？■ Vol.6 ｢ジョニーは戦場へ行った｣・・・・・・余りにも有名な...</description>
<dc:subject>■ 戦争映画 FALL IN!!</dc:subject>
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<dc:date>2008-08-30T15:31:35+09:00</dc:date>
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<span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/89902344.html" target="_blank">Vol.1 ｢西武戦線異状なし｣</a></strong>・・・・・・原点であり最高点の反戦映画<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/90146745.html" target="_blank">Vol.2 ｢炎628｣</a></strong>・・・・・・観賞注意！ソ連発トラウマ映画<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/90356311.html" target="_blank">Vol.3 ｢戦争のはらわた｣</a></strong>・・・・・・よくわかるRoad to World War 2<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/91492283.html" target="_blank">Vol.4 ｢戦場のピアニスト｣</a></strong>・・・・・・歴史の黒幕ロスチャイルド家について<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/92491467.html" target="_blank">Vol.5 ｢ヒトラー ～最後の12日間～｣</a></strong>・・・・・・なぜナチスは民衆に支持されたのか？<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/92664236.html" target="_blank">Vol.6 ｢ジョニーは戦場へ行った｣</a></strong>・・・・・・余りにも有名な鬱映画とその作者について<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/96425924.html" target="_blank">Vol.7 ｢二百三高地｣</a></strong>・・・・・・日露戦争で得をしたのは誰？<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/97049196.html" target="_blank">Vol.8 ｢パール・ハーバー｣</a></strong>・・・・・・戦争映画とは認めません<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/98829534.html" target="_blank">Vol.9 ｢トラ・トラ・トラ！｣</a></strong>・・・・・・戦争大好き！アメリカのスケープゴート作戦<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/102906776.html" target="_blank">Vol.10 ｢地雷を踏んだらサヨウナラ｣</a></strong>・・・・・・戦場カメラマン一ノ瀬泰造の軌跡<br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=304386" target="_blank"><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/fc2_banner.gif" alt="FC2 Blog Ranking" width="80" height="15" border="0"/></a><a name="more"></a>

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<item rdf:about="http://blog.n-o-b.net/article/105541319.html">
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<title>【INDEX】ベトナム・カンボジア紀行</title>
<description>■ ベトナム・カンボジア紀行[子の巻]・・・・・・東京→サイゴン■ ベトナム・カンボジア紀行[丑の巻]・・・・・・於サイゴン■ 戦争映画 FALL IN!! Vol.10 ｢地雷を踏んだらサヨウナラ｣■ ベトナム・カンボジア紀行[寅の巻]・・・・・・サイゴン→プノンペン■ ベトナム・カンボジア紀行[卯の巻]・・・・・・於サイゴン■ 戦争映画 FALL IN!! Vol.11 ｢キリング・フィールド｣■ ベトナム・カンボジア紀行[辰の巻]・・・・・・プノンペン→シェムリアップ■...</description>
<dc:subject>■ ベトナム・カンボジア紀行</dc:subject>
<dc:creator>n-o-b.net</dc:creator>
<dc:date>2008-08-28T01:10:56+09:00</dc:date>
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<span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/102776576.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[子の巻]</a></strong>・・・・・・東京→サイゴン<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/102794227.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[丑の巻]</a></strong>・・・・・・於サイゴン<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/102906776.html" target="_blank">戦争映画 FALL IN!! Vol.10 ｢地雷を踏んだらサヨウナラ｣</a></strong><br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/102968332.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[寅の巻]</a></strong>・・・・・・サイゴン→プノンペン<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/103028536.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[卯の巻]</a></strong>・・・・・・於サイゴン<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/103402617.html" target="_blank">戦争映画 FALL IN!! Vol.11 ｢キリング・フィールド｣</a></strong><br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/103530632.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[辰の巻]</a></strong>・・・・・・プノンペン→シェムリアップ<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/103630399.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[巳の巻]</a></strong>・・・・・・於アンコール・ワット<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/103688994.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[午の巻]</a></strong>・・・・・・於シェムリアップ<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/104516300.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[未の巻]</a></strong>・・・・・・シェムリアップ→プノンペン<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/104598447.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[申の巻]</a></strong>・・・・・・プノンペン→サイゴン<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/105275062.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[酉の巻]</a></strong>・・・・・・サイゴン→メコン・デルタ→サイゴン<br /><span style="color:#CB0000;">■</span> <strong><a href="http://blog.n-o-b.net/article/105299447.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[戌の巻]</a></strong>・・・・・・サイゴン→東京<br /><br /><a href="http://blogranking.fc2.com/in.php?id=304386" target="_blank"><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/fc2_banner.gif" alt="FC2 Blog Ranking" width="80" height="15" border="0"/></a><a name="more"></a>

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<dc:date>2008-08-28T01:10:56+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.n-o-b.net/article/105299447.html">
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<title>ベトナム・カンボジア紀行[戌の巻]</title>
<description>■ 第10日目奇跡的に7時に起床。昨晩はOさんと深夜まで話しこみ、宿に帰ると倒れるように床に就いたのだが、意外なほどぱっちりと目が覚めた。心のどこかには今日の9時までには空港にいなくてはという緊張感があったと思われる。同宿の誰もが寝静まる中、いそいそとシャワーを浴び、帰りのためのパッキングをする。荷物を背負い1階に降りると、宿のみんなに｢ゲイに違いない｣と噂されていた宿のおじさんもまだ就寝中だった。揺り起こして宿代を払うと、最後に手を差し出し握手を求められたので、その求めに応...</description>
<dc:subject>■ ベトナム・カンボジア紀行</dc:subject>
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<dc:date>2008-08-25T12:00:00+09:00</dc:date>
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<strong><span style="color:#FF0000;">■</span> 第10日目</strong><br /><br />奇跡的に7時に起床。<br />昨晩はOさんと深夜まで話しこみ、宿に帰ると倒れるように床に就いたのだが、意外なほどぱっちりと目が覚めた。<br />心のどこかには今日の9時までには空港にいなくてはという緊張感があったと思われる。<br /><br />同宿の誰もが寝静まる中、いそいそとシャワーを浴び、帰りのためのパッキングをする。<br /><br />荷物を背負い1階に降りると、宿のみんなに<strong>｢ゲイに違いない｣</strong>と噂されていた宿のおじさんもまだ就寝中だった。揺り起こして宿代を払うと、最後に手を差し出し握手を求められたので、その求めに応じると腕をグイと引かれ、ハグをされた。<br /><br />やっぱり噂は本当なのかなと思ったが、それ以上は何もなく<span style="color:#999999;">(あるわけないが)</span>、シャッターを開けてもらい朝のデタムの陽光を浴びた。<br /><br />まだ空港に向かうには時間があるので、近くの屋台でまたバケットを買った上にフォーも頼み、腹ごしらえをする。<br />今日は月曜日なので心なしか交通量も多く、ただでさえ多いバイクの往来がより激しいように感じられる。<br /><br />タクシーを拾い、空港に向かう。<br /><br />道すがら運転手が<strong>｢日本からかい？｣</strong>と聞くので<strong>｢そうだよ｣</strong>と答えると、<strong>｢ベトナムはどうだったかい？｣</strong>と続けて尋ねられた。<br /><br />少し考えてから<strong>｢インフレすごいよね｣</strong>と答えると、<strong>｢そうなんだ。困ったもんだよ｣</strong>と言ったきり何も語らず、鼻歌交じりで空港までひた走った。<br />我ながらつまらない回答をしたものだ。<br /><br /><br />ベトナムはBRICsに続く<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/VISTA" target="_blank">VISTA</a><span style="color:#999999;">(ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)</span>の頭文字に当たるため、さぞや経済発展著しいのだろうと思っていたが、その実すでに景気は曲がり角を過ぎ、急激な物価上昇は数日でも肉眼で確認できるほどだった。<br /><br />例えば出発前に調べたゲストハウスの値段は1泊$5～$6だったが、いざ着いてみると大体$8が相場だったし、カンボジアから帰ってきて前$8で交渉決裂した宿を再訪したら$10だと言われた。ゲストハウスの値付けは結構適当なのでこれをして基準にはならないが、東南アジアの物価水準で考えたこのお値段は明らかに高い。<br /><br /><br />そんなことを反芻しているうちにタクシーは空港の国際ターミナルへと滑り込んだ。<br /><br /><br />定刻の10:50に飛行機はサイゴンを飛び立ち、経由地の台湾を経て日本へと帰りついた。<br /><br /><br />何の計画性もない旅だったが、同時に何のトラブルもなく、そのくせ目的はきっちり達成することができた。<br /><br />最後に道中知り合い、様々な形で懇意や助言、あるいは単純に知遇を与えてくれた人々に感謝して今回の旅日記を締めくくりたい。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080825_1.jpg" alt="空港ロビーにて" width="420" height="315" border="0" /><a name="more"></a>

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<item rdf:about="http://blog.n-o-b.net/article/105275062.html">
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<title>ベトナム・カンボジア紀行[酉の巻]</title>
<description>■ 第9日目7:30起床。身支度を整え、バス停に向かう。途中、もはや常食となったバケットを買い、かじりながらバスを待つ。シン・カフェ前は朝の送り出しラッシュで、ハノイ行き、プノンペン行き、クチ・トンネル行きなどのバスが引っ切りなしに来ては乗客を詰め込み、発車していった。程なく自分の乗るバスもやってきた。立派なバスで今まで道中で利用してきたどのバスよりも新しかった。隣の席は日本からきた看護士のRさん。この後の半日、なんとなく一緒に行動することになる。目的の場所はサイゴンから南西...</description>
<dc:subject>■ ベトナム・カンボジア紀行</dc:subject>
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<dc:date>2008-08-24T12:00:00+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<strong><span style="color:#FF0000;">■</span> 第9日目</strong><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/indochina_map6.jpg" alt="Day9" width="350" height="329" border="0" /><br /><br />7:30起床。<br />身支度を整え、バス停に向かう。<br />途中、もはや常食となったバケットを買い、かじりながらバスを待つ。<br /><br />シン・カフェ前は朝の送り出しラッシュで、ハノイ行き、プノンペン行き、クチ・トンネル行きなどのバスが引っ切りなしに来ては乗客を詰め込み、発車していった。<br /><br />程なく自分の乗るバスもやってきた。<br />立派なバスで今まで道中で利用してきたどのバスよりも新しかった。<br /><br />隣の席は日本からきた看護士のRさん。<br />この後の半日、なんとなく一緒に行動することになる。<br /><br /><br />目的の場所はサイゴンから南西に90km程下った場所にあるベンチェ省(Ben Tre)。<br />メコン川と太平洋が出会う三角州(デルタ)を構成する場所に位置する。<br /><br />かつては米軍の手で枯葉剤が大量に散布されたことにより、深刻な被害がもたらされ、ベトナム戦争が終わった後も長年不毛の地として作物が育たなかった土地である。<br />また、枯葉剤の影響で多くの奇形児や精神障害者を生み、その負の遺産は今も残っている。<br /><br /><br />現在は緑も戻り、農業や水産業、そして観光業を生業としている。<br /><br /><br />バスは2時間ほどでデルタ地帯に到着し、ボートに乗り換える。<br /><br /><a href="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080824_1.jpg" target="_blank"><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080824_1-thumbnail2.jpg" alt="ベトナムの大橋" width="420" height="315" border="0" /></a><br /><span style="color:#0000FF;">※クリックで拡大</span><br /><br />ボートからまず見えたのがこの建築中の大橋。<br /><a href="http://blog.n-o-b.net/article/95621862.html" target="_blank">以前も書いたが</a>、自分大きな建造物を見ると畏怖を覚えると同時に妙にテンションが上がる癖があり、今回もお前そこかよってくらい1人で橋の写真ばかり撮りまくっていた。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080824_2.jpg" alt="メコン・デルタ集落" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />果てしなく眠かったパトリス・ルコントの映画｢Dogora｣みたいな風景が続き、実際にうとうとし始めたところで辺りは熱帯植物が生い茂り、ジャングル・クルーズな感じになってきた。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080824_3.jpg" alt="ジャングル" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />中州にある小島の1つに降りると、そこではライスペーパー作りをやっていた。<br />おねいさんがクレープの要領でライスペーパーを作りながら、隣のおねいさんに何か話しかけていた。<br />大方<strong>｢こんなもん見て何が楽しいんだろうねえ｣</strong>とかそんな雰囲気。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080824_4.jpg" alt="ライスペーパー作り" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />隣にいたイタリア人男性が彼女は何て言ってるんだ？というジェスチャーを送ってきた。<br /><span style="color:#999999;">(その人は行きのバスの中で、あまりに急ブレーキが多いので、運転手に激しくクレームをつけていたおじさん。)</span><br /><br />まともに知っている数少ないイタリア語で<br /><strong>"Il lavoro e faticoso."(私の仕事は大変骨が折れます。)</strong><br />と言っているよ、と適当に答えると、恐らく<strong>｢Youはベトナム語もイタリア語がわかるのか？すごいな｣</strong>みたいなことをイタリア語でまくし立ててきたので、すんません英語と日本語専門です、と英語で伝える。(←ややこしい)<br /><br />彼、ジャンは男3人ぶらり旅でミラノからベトナムにやってきたそうだ。<br />連れの2人、マルチェッロとリカルドを紹介してくれたところで、早めのランチタイムとなったので、Rさんを呼んで5人で飯を食うことになった。<br /><br />ファッション関係の仕事をするマルチェッロは日本に来たことがあるとかで、知っているアーティストの名前なんかをやっとこやっとこ思い出しては教えてくれた。<br /><br />リカルドはコンピューター関係の仕事をしているそうで、当時は日本デビュー前だったiPhoneでこれまで撮影した写真を見せてくれた。<br /><br /><br />折りしもこの時期は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%8B" target="_blank">シルヴィオ・ベルルスコーニ</a>が首相に3選された時期なので、ジャンに軽くその話を振ってみた。<br />曰く<strong>｢彼が返り咲いてほっとした｣</strong>とのこと。<br /><br />続けて小声で<strong><span style="color:#FF0000;">"No communist"(コミュニストはいかん)</span></strong>と強い調子で言う。<br /><span style="color:#0000FF;">※ベルルスコーニの前のプローディは左派＝コミュニスト</span><br /><br /><br /><span style="font-size:16px;"><strong>しかし、そう語るジャンは<span style="color:#FF0000;">真っ赤なパンツ</span>にベトナムの国旗、<span style="color:#FF0000;">金星紅旗をかたどった真っ赤な帽子</span>をかぶっていた。</strong></span><br /><br /><br />3人はボケ＝大ボケ＝ツッコミの関係が見事に成立していて、一緒にいて非常に愉快な連中だった。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080824_5.jpg" alt="集合写真" width="420" height="315" border="0" /><br /><span style="color:#0000FF;">左からジャン、Rさん、マルチェッロ、リカルド</span><br /><br />ツアーだけあって、やれ馬車だの手漕ぎボートだの色んなアトラクション的アイテムを乗り継いだり、なんか歌を聴かされたり、竹で編んだ傘をかぶせられたりと要らんサービスがついてきたが、いつぞや体験したアユタヤ・ツアーよりはるかにクオリティが高かったし、何より上の連中と一緒にいたので、退屈しなかった。<br /><br /><a href="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080824_6.jpg" target="_blank"><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080824_6-thumbnail2.jpg" alt="川くだり" width="420" height="315" border="0" /></a><br /><span style="color:#0000FF;">※クリックで拡大</span><br /><br />こんなたおやかな風景の中、ゆったりと川を下るボートに揺られていた時など、強行軍だった今回の旅の締めくくりとして実に穏やかな時間を過ごすことができことに至福を感じた。<br /><br /><br />最後、はしけに向かう途中にボートがエンジントラブルで10分くらい停まった以外、これというトラブルもなく、むしろ物足りなさを感じるほどツアーは順調に幕を閉じた。<br /><br />サイゴンに向かう帰りのバスの中ではすっかり眠りこけ、目が覚めるとシン・カフェ前に到着していた。<br /><br />イタリア人の3人とはここでさよならとなり、来年日本を訪れる予定だと言う彼らと連絡先を交換した。<br /><br /><br />なお、この後は同じツアーに参加していた某大手電機メーカーに勤めるOさんとカンボジア人の青年と夕食を一緒にする約束をしていた。<br /><br />しかし、その前に今日中にどうしてもやっておかなければいけないお土産探しと言うタスクがあった。<br />今夜の便で日本に帰るというRさんとマーケットに行って、やっつけで目に付いた食品や雑貨を購入する。<br /><br />Rさんは折角ベトナムに来たのにまだフォーを食べていないというので、夕食が控えてはいたが、マーケット内の食堂で一緒にフォーをすすった。<br /><br /><br />Rさんを見送った後にデタムに戻り、待ち合わせをしたカフェに行くと、カンボジア青年はおらずOさんだけがいた。<br /><br />さらに30分ほど待ったが、結局もう1人の彼は来そうな気配がなかったため、後ろ髪ひかれつつOさんと2人で近くの食堂に腰を落ち着けた。<br /><br /><br />Oさんは40台半ばくらいで、教養があり、自分の大好物である歴史の話やそれにまつわる本や映画の知識が豊富であった。<br />特に中国共産党についての造詣が深く、興味深い話をいくつも紹介してくれた。<br /><br />今回周遊したベトナムは今でも中共の影響下にある<span style="color:#FF0000;">ベトナム共産党の独裁</span>だし、カンボジアの<span style="color:#FF0000;">クメール・ルージュを培養したのも中共</span>である。<br />また昨年訪れたネパールはつい先ごろ王政が廃止され、<span style="color:#FF0000;">ネパール共産党毛沢東主義派＝マオイストが実権を握っている。</span><br /><br /><strong>北京五輪開催を前にチベットやウイグルの問題が騒がれていたが、強権主義の性格を持つ中国共産党の影響を強く受けているのは何もチベット、ウイグルだけではない。</strong><br /><br /><br />明日の午前10時の便で日本に帰るため、それほどゆっくりしていいわけではなかったが、まさに今回の旅の総括となるマクロ視点で見たアジア世界の政治地図について、夜が更けるまで語り合った。<a name="more"></a>

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<title>オススメ・スポンサーサイト「エアコン」</title>
<description><![CDATA[
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<title>ベトナム・カンボジア紀行[申の巻]</title>
<description>■ 第8日目7:30起床。シャワーを浴びて荷作りをし、チェックアウト。バス停近くの食堂で朝食をとり、きれいに手持ちのリエルを消費した。サイゴン行きのバスは予定通り9時に出発し、快調にベトナムとの国境に向けてひた走る。トンレ・サップ川天気は今にも雨が降り出しそうな曇天で朝なのに夕刻のように暗い。持ってきた2冊の本も読み終えてしまい、暇なので今回出会った人たちを振り返ってみた。・スリランカ人Dさん・ウクラナイナ人Nくん・サイゴンの屋台で会った日本人のおじさん・バスで隣だったマレー...</description>
<dc:subject>■ ベトナム・カンボジア紀行</dc:subject>
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<dc:date>2008-08-12T12:00:00+09:00</dc:date>
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<strong><span style="color:#FF0000;">■</span> 第8日目</strong><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/indochina_map5.jpg" alt="Day8" width="350" height="329" border="0" /><br /><br />7:30起床。<br />シャワーを浴びて荷作りをし、チェックアウト。<br />バス停近くの食堂で朝食をとり、きれいに手持ちのリエルを消費した。<br /><br />サイゴン行きのバスは予定通り9時に出発し、快調にベトナムとの国境に向けてひた走る。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080812_1.jpg" alt="トンレ・サップ川" width="420" height="315" border="0" /><br /><span style="color:#0000FF;">トンレ・サップ川</span><br /><br />天気は今にも雨が降り出しそうな曇天で朝なのに夕刻のように暗い。<br /><br />持ってきた2冊の本も読み終えてしまい、暇なので今回出会った人たちを振り返ってみた。<br /><br /><strong><span style="color:#FF0000;">・</span>スリランカ人Dさん<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>ウクラナイナ人Nくん<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>サイゴンの屋台で会った日本人のおじさん<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>バスで隣だったマレーシア人青年<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>頼んでないのに2つのお粥を持ってきた屋台の兄ちゃん<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>アメリカ人のジェフリー(本人承諾のため実名)<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>ロシアンマーケットにいたカンボジア人の女の子(本文では省略)<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>ビールを水のように飲むドイツ人のおばちゃん<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>アンコール・ワットで土産物を売る女の子たち<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>シェムリアップの映画館のスタッフ<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>泥沼だと知ってて教えてくれなかったスペイン人のおばちゃん<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>デジカメを見せてくれたポーランド人<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>傘を貸してくれたカンボジア人青年<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>日本への留学が夢なカンボジア人ウエイター<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>ゲストハウスで一緒にプチパーティをしたカナダ人カップル、スウェーデン人、ブラジル人、アメリカ人、南アフリカ人、カンボジア人、大阪から来たSくん。<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>小学校教諭になるTくん<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>鍼灸師のUくん<br /><span style="color:#FF0000;">・</span>屋台で働いていたバツイチのお姉さん</strong><br /><br />以上が｢ベトナム・カンボジア紀行｣のエンドロールにクレジットされる人々ということだ。<br />挙げてみると結構いるものだ。<br /><br /><strong>｢海外の1人旅は寂しくないですか？｣</strong>と最近ある人に言われたけど、ご覧の通り1人で寂しいのは成田を出発する時くらいのものだ。<br /><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080812_2.jpg" alt="国境" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />国境には昼前に到着し、カンボジアの出国手続きとベトナムへの再入国手続きを行う。今回もあっさりしたものだった。<br /><br />またバスに乗ってぼーっとしていると途中ついに大雨が振り出し、面白いほど激しい雨がバスの屋根をたたく。<br />そんなことお構いなしにバスは猛スピードですっ飛ばし、あっという間に街らしい風景に変わって、予定より早い15時にはサイゴンのシン・カフェ前に到着した。<br /><br />着いた頃には都合よく雨は上がっており、宿探しをする頃には晴れ間が覗いていた。<br />何軒か回ったが結局いいところが見つからず、仕方なく前と同じ安さだけが売りのドミトリー($3/1泊)に行き、ベッドを選んだ。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080812_3.jpg" alt="ゲストハウス" width="420" height="315" border="0" /><br /><span style="color:#0000FF;">こんなとこ。ぼろいし暗いしなんか臭い。</span><br /><br />荷物を下ろしてデタムに戻り、やみつきになったバケット屋を探す。<br />午後はあまりやっていないようだったが、ようやく1軒見つけ、ハム＋チーズをトッピングしてありつく。<br /><br /><strong><span style="font-size:15px;">やっぱり震えるほどうまい。</span></strong><br /><br /><br />さて、もしものことを考えてシェムリアップから駆け足でサイゴンまで帰ってきたが、無事に戻って来れたので明日1日は全く自由に使うことができる。<br /><br />どうしたものかと考えたが、丸1日サイゴンにいたのでは確実にもったいない。<br />日帰りで行ける場所の候補としてはベトナム戦争時に掘られた全長200kmの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%81" target="_blank">クチ・トンネル</a>が現実的だった。<br /><br />しかし、<strong>ここまで散々戦争の足跡を辿ってきたわけで、最後くらいは殺伐とした歴史とは乖離した観光っぽい場所に行きたいと思うのが人情だ。</strong><br /><br />シン・カフェに行くとクチ以外には<span style="color:#FF0000;">メコン・デルタへの1日ツアー</span>が目に留まった。<br /><br />思えば半年前、メコン川の源流に近い<a href="http://blog.n-o-b.net/article/62444237.html" target="_blank">ネパールに行ったこと</a>を思い出し、ヒマラヤの1滴がいくつもの国境を越えて海へ注ぐ姿を見届けるのはグレートジャーニーみたいでかっこいいじゃないかと考えた。<br /><br />値段も160,000D(≒1,000円)とお手頃だったので、そのツアーに申し込むことにした。<br />ツアーではかつて<a href="http://blog.n-o-b.net/article/62139925.html" target="_blank">苦い経験</a>をしたこともあったが、1人でそこまで行って日帰りで帰ってくることを考えるとツアー以外に選択肢はなかった。<br /><br />無事に申し込みを済ませ、宿に戻り、湿ったベッドに横たわると瞬殺で眠りに落ちた。<br /><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080812_4.jpg" alt="宿のベランダから" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />目を覚ますと18時を回っており、今日は大して何もしていないのだが、都合よく腹が減ってきた。<br /><br />街に出て北に向かい、最初の夜に行ったタオ・ダン公園に行ってみる。今日は何のイベントもやっていないようで、比べ物にならないくらいがらんとしていた。<br />ここに来たのはわずか1週間前なのだが、随分昔のことのように思える。<br /><br />宿との中間くらいにある適当なレストランに入り、春巻とカニ・スープ、そして呆れるくらい毎晩飲んだビールを頼む。<br />興味があるわけでもないマンチェスター・ユナイテッドとチェルシーのテレビ中継を眺めながら、何日かぶりで純粋に1人の夕食を楽しんだ。<br /><br />外はまた雨が降ってきて足止めを喰らうが、急ぐ理由などないので上がるのを待って、チェックを済ませた。<br /><br /><br />まだ宿に帰るには早かったので、デタム通り沿いにあるバーに入り、今度はルールすら一切わからないクリケットの試合をぼんやりと観戦した。<br /><br />隣のスコットランド人男性がじっとテレビを観ていたので<strong>｢ルールわかる？｣</strong>と聞くと<strong>｢いや俺も知らない｣</strong>との答え。なんてことない話を二言三言交わすが、これといって盛り上がらず、今度は都合よく眠くなってきたので宿に帰ることにした。<br /><br /><br />天気のせいもあるが、旅も佳境を過ぎ、なんとなく哀愁の漂う1日であったような気がした。<a name="more"></a>

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<item rdf:about="http://blog.n-o-b.net/article/104516300.html">
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<title>ベトナム・カンボジア紀行[未の巻]</title>
<description>■ 第7日目昨夜のパーティ会場6:30に起床し、ロビーに降りて受付にいた女性に今日プノンペンに戻るバスが取れるかを尋ねてみた。確証はないが多分昼に出るバスが取れそうだ、とのことで一応安心し、部屋に戻って二度寝。8時に正式に起きて、オールド・マーケットに足を伸ばしてみた。市場は一種の社交場であり、地元の生活を垣間見る有力な手段なので、新しい街に行くと割とよく行く。市場を出て、シェムリアップにあるキリング・フィールドに行ってみることにした。前も書いたがカンボジアにはあちこちにキリ...</description>
<dc:subject>■ ベトナム・カンボジア紀行</dc:subject>
<dc:creator>n-o-b.net</dc:creator>
<dc:date>2008-08-10T12:00:00+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<strong><span style="color:#FF0000;">■</span> 第7日目</strong><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080810_1.jpg" alt="ポピュラー・ゲストハウス" width="420" height="315" border="0" /><br /><span style="color:#0000FF;">昨夜のパーティ会場</span><br /><br />6:30に起床し、ロビーに降りて受付にいた女性に今日プノンペンに戻るバスが取れるかを尋ねてみた。<br />確証はないが多分昼に出るバスが取れそうだ、とのことで一応安心し、部屋に戻って二度寝。<br /><br /><br />8時に正式に起きて、オールド・マーケットに足を伸ばしてみた。<br />市場は一種の社交場であり、地元の生活を垣間見る有力な手段なので、新しい街に行くと割とよく行く。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080810_2.jpg" alt="オールド・マーケット" width="420" height="315" border="0" /><br /><br /><br />市場を出て、シェムリアップにあるキリング・フィールドに行ってみることにした。<br />前も書いたが<strong><span style="color:#FF0000;">カンボジアにはあちこちにキリング・フィールド＝処刑場跡がある。</span></strong><br />シェムリアップはクメール・ルージュにとって、大きな拠点であったため、その瘢痕も小さくはないはずだ。<br /><br />場所は街の北西にあり、歩くにはちょっとしんどそうだったが、半日も使わないのにまたわざわざ自転車を借りるのはもったいない気がして、徒歩で行くことにした。<br /><br />しかし、その距離は思った以上にあり、自転車レンタル代の$2をケチったことを後悔した。<br />道は一本なのだが、歩けど歩けどなかなかそれらしき場所が見えてこない。<br />自分の持っている簡単なフリーマップにはほとんどランドマークが記されていないため、途中あっているのだろうかと不安になった。<br /><br />バイクタクシーを見つけたら迷わず乗っていこうと考えたが、普段は鬱陶しいくらい話しかけてくるのに、こんな時に限って全く見当たらない。<br /><br />結局猛暑の中を30分以上歩き、ようやく目的地にたどり着いた。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080810_3.jpg" alt="シェムリアップのKF" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />シェムリアップのキリング・フィールドはプノンペンのそれと違って当時の面影はない。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080810_4.jpg" alt="KF内の寺院" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />地面はコンクリートで舗装され、立派な寺院が建てられていた。<br />しかし、敷地の一画には当時の写真や犠牲者の遺骨が置いてあった。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080810_5.jpg" alt="犠牲者の遺骨" width="362" height="420" border="0" /><br /><span style="color:#0000FF;">無造作にお堂に納められていた遺骨</span><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080810_6.jpg" alt="キリング・フィールドの写真" width="420" height="315" border="0" /><br /><span style="color:#0000FF;">犠牲者のマグショットとトゥール・スレンにあったのと同じ写真</span><br /><br /><br />しばらく回っていると、1人の青年がカタコトの日本語で話しかけてきた。<br />にこやかに<strong>｢ここには『だるま学校』という日本人が作った学校があるので、案内したい｣</strong>という。<br />多分最後に寄付を求められるパターンだろうと思ったが、案の定、立ち去ろうとすると大声で呼びとめられ、名簿のようなものを差し出された。<br /><strong>｢子供たちに文房具を買います｣</strong>と話す。<br /><br />仕方なく帰りのバイタク代にと思っていた6,000Rのうち半分の3,000Rを渡す。<br /><br />しかしその額では納得いかない面持ちだったので、イラっときてそれでも鉛筆くらいは買えるはずだと言って行こうとするが、お礼の代わりにまた大声で<strong>"Wait!Wait!"</strong>と大声を上げる。<br /><br />1口ナンボか知らないが、寄付される側がレイズを要求する寄付にいささか気分を害し、キリング・フィールドを後にした。<br /><br />出口にいたバイタク・ドライバー何人かに3,000Rで街の中心まで行くか聞くと、4,000Rだと言う。<br />米ドルも使えるのだが、その時は$100札しか持っていなかったので、やむなくまた歩いて帰ることになった。<br /><br />が、さすがにしんどくなって路上で休んでいたところで、1台のバイタクが通りかかり、乗ってくか？と声を掛けられた。<br />2,000Rでいいなら、と試しに吹っかけてみたらどの道市街に戻るつもりだったのか、すんなりいいよ乗りなと言う。<br /><br /><br />中華レストランに入り、遅めの朝食兼早めの昼食。<br />大分汗をかいたので塩っけのあるものを欲していたため、ワンタンのスープまできれいに平らげた。<br /><br />宿に戻り荷物をまとめ、11:30にチェックアウトし、宿代$6とプノンペンまでのバス代$6を払う。<br /><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/indochina_map4.jpg" alt="Day7" width="350" height="329" border="0" /><br /><br />定刻通りプノンペンに向かうバスは出発し、これで今回の旅も折り返し地点を過ぎたことになる。<br /><br />また6時間の道のりをバスに揺られて過ごすことになるが、行きと違ってバスはガラガラで、1人で2シート独占しても全然お釣りが来た。<br /><br />後ろの席に日本人バックパッカーと思われる男子2人組がいて<strong>、｢日本人でしょ?｣</strong>と声を掛けられたが、面倒くさかったので、｢ええ｣と軽くうなずいてかわし、本に目を落とした。<br /><br />往路と同じく、途中2回パーキングで休憩を取る。<br /><br /><a href="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080810_7.jpg" target="_blank"><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080810_7-thumbnail2.jpg" alt="カンボジアの車窓から" width="420" height="315" border="0" /></a><br /><span style="color:#0000FF;">車窓から日没前のカンボジア<br />※クリックで拡大</span><br /><br /><br />予定より若干遅れて19時にプノンペンに到着した。すでに日は落ち、軒には灯りが灯っている。<br />宿は前回と同じキャピトル・ゲストハウスに取ることにした。<br /><br />バス降り際にさっきの日本人の1人に話しかけられ、<strong>｢どこに泊まるの？なんなら案内してよ｣</strong>と頼まれる。<br />いやもう目の前の建物がゲストハウスだよ、と告げると<strong>｢え？入り口まで連れてってよ｣</strong>とさらに頼まれる。<br /><br />若干わずらわしかったが、どうせ自分も泊まるので一緒にフロントまで行く。<br /><br />さっさとシングルの部屋を決め、じゃよい旅をと去ろうとすると<strong>｢一緒に飯食おうよ｣</strong>と誘われた。<br />・・・この人距離の詰め方早いな、と思うがじゃそうしましょうという話になり、待ち合わせ時間を決める。<br /><br />部屋に荷物を置いてから、2人の部屋を訪れ、連れ立って前回ジェフリーと食事をしたレストランに行く。<br /><br /><br />てっきり2人連れで日本から来たのかと思えば、どこぞやのゲストハウスで知り合って以来、宿探しに便利なので2人で回っているだけだという。<br /><br />ちなみに話しかけてきたのは全て年長のTくんで、同い年くらいかと思ったら自分より全然年上だった。前職を辞め、なんと今度から小学校の教師になるのだという。<br /><br />もう1人のUくんは自分より全然年下で、いまどきの見た目からは想像つかないが、鍼灸師をしているという。<br /><br />そしてもう1人は俳優崩れでディレクターもどきの俺。<br /><br /><br /><strong>｢最初やたらに避けてなかった？｣</strong>とTくんが言うので、<strong>｢だって自分なれなれしくて面倒くさかったもんだから｣</strong>と正直に答える俺、<strong>｢その気持ちなんとなくわかります｣</strong>と続くUくん。<br />意外なほど、場は盛り上がり、例によって21時に店が閉まっても次に行こうかということになった。<br /><br /><br />やはり21時を回ったプノンペンは静まりかえり、ほとんどの店から灯りが消えた。<br /><br />たった2夜の長だが、プノンペンについては自分が一番知っているので、それでもやっていそうなところに目星をつけて、街を歩いてみた。<br />ところが、大通りに出ても、主要な交差点に行っても店はほとんど開いていなかった。<br />仕方なく最初の夜に行ったマーケット前の屋台村まで引き返す。<span style="color:#FF0000;">今は3人だからまだしも、1人で歩くのは｢勇気｣ではなく｢無謀｣であることを痛感した。</span><br /><br />そこではぬるい缶ビールを煽りながら、それぞれの旅の目的などを話した。<br />Tくんは教師になるだけあって歴史にも詳しく、割とマニアックな話を振っても受け答えてくれた。<br />こういう知識だけではなく、それを裏付ける旅の経験も持つ先生に当たる生徒はラッキーだなあと思った。<br /><br />そんな真面目な話は束の間で、男3人が集まれば当然、といった風に女の話、エロな話へとシフトしていった。<br /><br /><br /><strong>｢ここの屋台のお姉さんもなかなかですよと｣</strong>Uくんが言うので、チラ見するとなるほどお美しい。<br /><br />オーダーにかこつけて話しかけると、以外にも自分より年上の33歳で、2児の母であったが、4年前に1人を亡くし、同時に離婚したとか。33歳、ということは前回書いた<strong><span style="color:#FF0000;">｢失われた世代｣</span></strong>に当たるわけで、慎重に聞いてみると、父上をポル・ポト派に殺されたそうだ。<br />もうカンボジア人の男はこりごりだと無邪気に話す彼女は素直に美しかった。<br /><br /><br />自分は明日の朝早くにサイゴンに発つため、カンボジアの夜はこれが最後となる。<br /><br />思いがけない出会いにより、名残惜しさの残るハッピーなラストナイトとなった。<a name="more"></a>

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<title>ベトナム・カンボジア紀行[午の巻]</title>
<description>■ 第6日目(夜の部)18:00、半日かけて回ったアンコール・ワットからシェムリアップの街へと帰途に着く。自分と同じくアンコール・ワットから引き揚げてきた観光客の乗るバスやバイクタクシーの群れで街へと続く道路は混雑していた。約20分ほどで宿に着き、まずは借りた自転車を返す。お池にはまってさあ大変だったサンダルを洗い、シャワーを浴びた。普段の数倍はシャワーのありがたさを感じる瞬間だった。空腹を抱えて市中に取って返し、最初に見つけたレストランに入った。ビールとピザ、ヌードルを頼む...</description>
<dc:subject>■ ベトナム・カンボジア紀行</dc:subject>
<dc:creator>n-o-b.net</dc:creator>
<dc:date>2008-07-27T12:00:00+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<strong><span style="color:#FF0000;">■</span> 第6日目(夜の部)</strong><br /><br />18:00、半日かけて回ったアンコール・ワットからシェムリアップの街へと帰途に着く。<br />自分と同じくアンコール・ワットから引き揚げてきた観光客の乗るバスやバイクタクシーの群れで街へと続く道路は混雑していた。<br /><br />約20分ほどで宿に着き、まずは借りた自転車を返す。<br />お池にはまってさあ大変だったサンダルを洗い、シャワーを浴びた。普段の数倍はシャワーのありがたさを感じる瞬間だった。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080727_1.jpg" alt="夜のシェムリアップ" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />空腹を抱えて市中に取って返し、最初に見つけたレストランに入った。ビールとピザ、ヌードルを頼む。<br /><br />客は自分1人しかおらず、20代前半くらいのウエイターと世間話をしてみた。いつか日本に留学したいと話す彼は、アリガトウ、ドウイタシマシテなどいくつかの日本語を披露してくれた。<br /><br />何か日本語を教えてほしいと言うので、じゃこういうレストランに入った時は最初に｢とりあえずビール｣と言うんだよと教えた。<br />どういう意味か問われたので訳して伝えると、笑ってくれたので一応うけたみたいだ。<br /><br />カンボジアにチップの習慣はないが、チェックの際にはかっこつけて$2多く載せ、｢留学資金の足しにしてよ｣と告げ、店を出た。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080727_2.jpg" alt="バーにて" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />適当なバーに入り、日記を付けながら明日からの予定をどうしようか考えた。<br />日本には4日後の朝、ベトナム・サイゴン発の便で帰るので、遅くとも明々後日の夜にはサイゴンにいなければならない。<br />サイゴンには陸路で帰れば行きと同じく最低2日はかかるが、シェムリアップにもう1泊することも可能と言えば可能だ。<br /><br />今日1日足を棒にしてアンコール・ワットを回ったが、全てを網羅したとは到底言いがたい状況だった。<br /><br />しかし、今日当初は来れるかもわからなかったアンコール・ワットを巡り、何より最後に傘を貸してくれた青年の厚情、その流れで見た息を呑む黄昏のアンコール・ワットの情景を想うと、これ以上何かを求めることは蛇足を付けることのように思えてきた。<br /><br />結論として、明日朝一でツアーオフィスに出向き、バスのチケットが取れたらその足でプノンペンに戻ろうと決めた。<br /><br /><br />そうと決めると昨夜訪れたナイト・マーケットへと赴き、映画館で働く2人に別れを告げようと思った。<br /><br />今夜もいるか定かではなかったが、行ってみると2人して自分に気付き名前を呼んで出迎えてくれた。軽く挨拶だけするつもりだったが、今日は例のクメール･ルージュ時代の生存者がいるよと言って引き止められた。<br /><br />その人が来る間、横にある売り場を覗いてみると、ヘビ酒が並べられていた。買ってく？と一応聞かれたので、確実に検閲に引っ掛かるからと断っておいた。<br /><br />受付の女の子に手を引かれるように映写室から1人の男性がやってきた。なんて言っていいのかわからないので、軽く自己紹介をし、握手を交わした。<br /><br />彼は自分と同い年なので、丁度クメール・ルージュ支配が始まった年に生まれたということになる。貴重な同世代のカンボジア人<span style="color:#FF0000;">※</span>であることには間違いない。<br /><span style="color:#FF0000;">※子供を作るどころではなかったので、この世代のカンボジア人は極端に少なく｢失われた世代｣と呼ばれている。</span><br />が、案内してくれた2人とは違い、彼は日本から物見遊山でやってきた同い年の男に別段興味を示している様子はなかった。<br /><br />言葉に詰まり、まずは昨日映画を観ましたと口火を切る。無理もない話だが、当時のことはあまり記憶にないんだと語り、父のことも覚えていないと言う。<br />つまりはクメール・ルージュ時代にご尊父を亡くされたということだが、これ以上何かを聞くのは心苦しかった。<br /><br />最後まで大して深い話はせず、明日プノンペンに発つことを告げ自分から話を切り上げた。不安そうに見守っていた2人に｢ありがとう｣とできる限りの笑顔で伝え、ナイト・マーケットを去った。<br /><br /><br />誰かと飲みたい気分だったが、誰がいるわけもないので、まっすぐに宿に帰ることにした。<br /><br />1軒のネットカフェの前を通りかかると、今思えば絶妙のタイミングで見覚えのあるスキンヘッドが見えた。<br />ジェフリーだった。<br /><br />ヘッドセットを着けてSkype中だったようだが、肩を叩くと振り返り、アメリカ人の若者らしく"What's up"的な返答が返ってきた。どこに泊まっているのか聞くとやはり同じポピューラゲストハウスだったので、カフェテラスで待ってるからまた一杯やっか？と提案した。<br /><br />宿のカフェテラスに着くと、10人くらいのグループが楽しそうに盛り上がっていた。<br /><br />離れたテーブルに席を取り本を広げていると、前の席に日本人らしき男性が宿の人に何か相談していた。頃合を見てどこから来たのか聞くと大阪だそうだ。今日大阪から直接シェムリアップに着き、数時間前にここにチェックインしたばかりだと言う。今は宿の人にどうシェムリアップを回るのがいいか相談をしていたらしい。<br /><br />自分のルートを聞かれたので、参考にならないと思うことを断った上で、自転車を借りて一気に駆け巡った話をした。逆に3日～1週間もかけてみなさんはどこをどう回ってるのか質問してみた。<br /><br />折角今日着いたんならちょっと乾杯する？とこじつけて一緒にビールを買いに出た。<br /><br />さっきのネットカフェの前を通るとジェフがちょっとヘビーな感じで(多分彼女と)Skypeトークを続けていた。一言声だけかけたが、どうやら長引きそうだなと思った。<br /><br />結局、その夜はジェフは現れず、これが最後になった。<br />しかし後日談として、忘れつつあった2ヵ月後に<strong>｢来週東京に行くので会おう｣</strong>という彼からのメールが届いた。<br /><br /><br />カフェテラスに戻り、テーブルに着こうとした時、｢オキナワ｣という単語が耳に入ってきた。<br />さっきのグループで声の方を振り向くと、それに気付いた1人が｢日本から来たんだろ？だったらオキナワのすばらしさを教えてやってくれよ｣と話しかけられた。<br /><br />｢いや、沖縄には一度も行ったことがないから｣と言うが、なんやかんや話の流れで、自分たちもそのグループにジョインすることになった。<br />てっきり全員仲間だと思っていたが、実はてんでばらばらにシェムリアップにやってきた旅行者の集まりだった。<br /><br />カナダ人カップル、スウェーデン人、ブラジル人、アメリカ人、南アフリカ人、カンボジア人、日本人2人、と実に国際色豊かなメンバー構成。<br />ここにオーストラリアが加われば五大陸が勢ぞろいしたことになる。<br /><br />すでにテーブルの上にはビールの空き缶がバベルの塔のように積み上げられていた。<br /><br />このミニ・パーティは、今回の旅で最もにぎやかなナイト・ライフとなった。<br />1つ面白かった話題を取り出すと、<strong>｢自宅のドアにカギをかけるか？｣</strong>というテーマ。<br /><br />以下その結果<br /><strong><span style="color:#0000FF;">・かける：南アフリカ、ブラジル、アメリカ、日本、カナダ、スウェーデン<br />・かけない：カナダ、カンボジア</span></strong><br /><br />カナダが2つあるのは彼氏の方はかけないが、彼女の方はかけると答えたから。<br />この2人が今一緒に住んでいるので、何かとトラブルが絶えないらしい。<br /><br />ちなみに、この話題になったのは映画｢ボーリング・フォー・コロンバイン｣でカナダ人はカギをかけないって言ってたけど本当？と自分がカナダ人のNくんに聞いたため。Nくんは｢俺は人を信じている｣と語り、彼女は｢あんたが田舎出身なだけでしょ｣と切り返す。<br /><br />絶対かける、施錠はもちろん窓と言う窓には鉄格子が付いている、とは南アフリカ人Oくんの談。<br /><br />アメリカ(シアトル)やスウェーデンでは生体認証が進んでいると言うし、様々な鍵事情からわかるその国の治安や人間性、社会性は興味深かった。<br /><br /><br />しばらくしてカジノに行けばビールがタダだよという言葉に乗せられ、カナダ、スウェーデン、カンボジアが席を立った。<br />大阪から来たSくんも｢明日早いんで｣と言って帰っていった。<br /><br />自分はジェフを待つため、もうしばらく粘ったが、1日の疲れから瞼が急激に重くなってきたので、1時ごろには部屋に戻って床に就いた。<br /><br />結局理由つけてビール飲みっぱなしじゃん、と言われたらその通りだが、ともあれ1人旅の醍醐味が凝縮された夜であった。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080727_3.jpg" alt="ミニ・パーティにて" width="420" height="315" border="0" /><br /><span style="color:#0000FF;">※大阪のSくんが帰国後に送ってくれた写真。左からアメリカ人、スウェーデン人、Sくん、俺。明後日の方向を向いているが、この旅で唯一自分が映っている写真。</span><a name="more"></a>

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<title>ベトナム・カンボジア紀行[巳の巻]</title>
<description>■ 第6日目(昼の部)アンコール・ワット遺跡群の地図7:30には目が覚めた。カーテンを開けると、1mほど置いてすぐ隣のビルの壁だったが、建物の隙間に漏れる陽光と身を乗り出すと見えるシェムリアップの朝の風景を見ると、ほんの1週間前大した計画もなしに日本を飛び出した割にはここまで来ちまったなあと感慨を覚える。受付に下りて、$2で自転車を借りる。宿泊していることもあってかデポジットは取られなかった。出発し、片道6kmの道のりを漕いでアンコール・ワット(Angkor Wat)へと向か...</description>
<dc:subject>■ ベトナム・カンボジア紀行</dc:subject>
<dc:creator>n-o-b.net</dc:creator>
<dc:date>2008-07-26T12:00:00+09:00</dc:date>
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<strong><span style="color:#FF0000;">■</span> 第6日目(昼の部)</strong><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/angkor20wat_map.jpg" alt="アンコール・ワット地図" width="411" height="325" border="0" /><br /><span style="color:#0000FF;">アンコール・ワット遺跡群の地図</span><br /><br />7:30には目が覚めた。<br />カーテンを開けると、1mほど置いてすぐ隣のビルの壁だったが、建物の隙間に漏れる陽光と身を乗り出すと見えるシェムリアップの朝の風景を見ると、ほんの1週間前大した計画もなしに日本を飛び出した割にはここまで来ちまったなあと感慨を覚える。<br /><br />受付に下りて、$2で自転車を借りる。宿泊していることもあってかデポジットは取られなかった。<br />出発し、片道6kmの道のりを漕いでアンコール・ワット(Angkor Wat)へと向かう。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_1.jpg" alt="アンコール・ワットへの道" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />途中のチケットセンターで$20払い、1day ticketを購入。一般にアンコール・ワットを回るには3日は必要と言われており、割り得な3day ticketや1week ticketも売っていたが、シェムリアップに滞在できるのはせいぜい2日なので、選択の余地はなかった。<span style="color:#999999;">(顔写真つきなので転売もできない)</span><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_2.jpg" alt="アンコール・ワット外堀" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />少し進むとアンコール・ワットの堀にぶち当たる。堀に沿い西側に回って、アンコール・ワットの正面入り口前にある食堂で朝食を取ることにした。頼んだインスタント・ヌードルは$3.5とバカ高な上に激マズで、観光地プライス&クオリティ圏に突入したことを実感。<br />プラス食事をしていると、5、6歳の女の子数人の物売り攻撃に遭い、結局つぶらな瞳に負けポストカードセットを買った。<br /><br />チェックを済ませ、まずはまさに王道のアンコール・ワット西側玄関から散策を始める。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_3.jpg" alt="西側入り口" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />堀を渡す石橋から門までが遠かったが、くぐるとシンメトリーの｢山｣の字型に配置された3つの寺院が現れた。<br /><br /><a href="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_4.jpg" target="_blank"><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_4-thumbnail2.jpg" alt="アンコール・ワット" width="420" height="315" border="0" /></a><br /><span style="color:#0000FF;">※クリックで拡大</span><br /><br />寺院を遠巻きに四角く囲う城壁には長い回廊があり、その壁にはいちいち見事なレリーフが施してあった。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_5.jpg" alt="回廊" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />寺院に入ると朝の太陽と急な階段に目がくらむ。寺院の中にはクメール・ルージュ時代に破壊されたと思われる無残な石像がごろごろと転がっていた。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_6.jpg" alt="破壊された石像" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />余談だが、クメール・ルージュは誇り高いクメール人の優位性を鼓舞していたくせに、マオイズムの影響で仏教を含む一切の宗教を禁止していたので、国中でクメール人の遺産である仏教建築物をことごとく破壊した。つくづくなんて稚拙なイデオロギーと自己矛盾に満ちた連中に政権を渡したものだと、頭部を失った石像を前に沸々と思う。<br /><br />さらに余談だが、昔NHKの｢プロジェクトX｣でアンコール・ワットの修復には日本人のチームも参加していることを放送していた。<br />こうして見ると修復にはかなりの年月がかかりそうだが、今日もどこかでノミを穿っているのだろうかとふと想った。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_7.jpg" alt="仏塔" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />アンコール・ワットを出て、北のアンコール・トムの中心にあるバイヨン(Bayon)へと向かう。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_8.jpg" alt="バイヨンへの道" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />自転車での移動は自由・節約・エコロジーと3拍子揃ったナイスな選択肢だった。<br />普通はバイクタクシーを1日雇ったり、ツアーに参加してバスで回ったりするが、点在する遺跡群を｢乗れー｣、｢降りろー｣を繰り返して巡るのはそれだけでくたびれそうだ。移動距離の制約や体力的な問題はあるにせよ、何より自転車なら自分の足で回っている感があってよい。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_9.jpg" alt="バイヨン" width="420" height="315" border="0" /><br /><span style="color:#0000FF;">バイヨン正面</span><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_10.jpg" alt="四面像" width="420" height="315" border="0" /><br /><span style="color:#0000FF;">有名なバイヨンの四面像。</span><br /><br />次は東へ進み、タ・ケオ(Ta Keo)へ。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_11.jpg" alt="タ・ケオ寺院" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />この寺院は最も段が急で両手を使わないと登れないほどだった。頂上に着き息を切らせていると、アメリカ人のおっちゃんに<strong>｢そんなにきつくはないだろう！｣</strong>と笑われた。いやきついってマジで。<br /><br />次に向かったタ・プロム(Ta Prohm)はある意味アンコール・ワットを象徴する場所かもしれない。建物に絡みついた大木の根っこが実に印象的である。<br /><br /><a href="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_12.jpg" target="_blank"><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_12-thumbnail2.jpg" alt="タ・プロム" width="420" height="315" border="0" /></a><br /><span style="color:#0000FF;">※クリックで拡大</span><br /><br />ここで、1組の日本人カップルを見かけたのだが、そのお話については次の｢シリーズ突っ込みたくて｣に譲る。<br /><br /><br />タ・プロムを出てさらに東に向かい、一本道をひたすら進む。<br />午後になり丁度暑さに耐えかねてきた折に、かつての王の沐浴池スラ・スラン(Srah Srang)が右手に見えてきた。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_13.jpg" alt="スラ・スラン池" width="420" height="315" border="0" /><br /><br /><strong>｢嗚呼、足を池に浸したらさぞや気持ちよかろう｣</strong>と、フラフラと岸に下りて、サンダルのまま池に入ろうとした。<br />すると足を入れた瞬間、ずっぷりとぬかるんだ泥の中に足を取られる。なにを！と思って無理に歩を進めるが4、5歩が限界で、そこからは足首まで泥に埋まり、ついには足が上がらず身動きが取れなくなった。<br /><br /><strong>｢こいつはことだ｣</strong>と事態を把握し、まずはバッグを岸に投げ、泥の中からサンダルをかき出した。冷静に先に着地点を決めてから一歩一歩岸へと戻る。<br /><br /><strong><span style="font-size:16px;">しかも冷たいと思っていた水はしっかりとお湯で、それはもうマンガのように汗が噴き出した。</span></strong><br /><br />何一つ得をせず、泥の衣をまとったサンダルを手に岸にたどり着く。最悪の気分だったが、転倒する、膝まで埋まるといった事態は避けられたのでよかった。そもそも何の病原菌や生物がいるともわからない池に不用意に足を踏み入れた自分が悪い。<br /><br />一部始終を見ていたスペイン人のおばちゃんが<strong>｢さっきの人も同じことになっていたので私は止めておいたの｣</strong>とカラカラ笑う。<br /><br /><br /><strong><span style="font-size:large;">｢教えてよ。｣</span></strong><br /><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_14.jpg" alt="プレ・ループ" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />プレ・ループ(Pre Rup)に着くが、余裕がなく、軽く眺めるにとどめる。<br /><br />次のタ・ソム(Ta Som)で水を買って休憩。<br />寺院の入り口をくぐるが、すでにほとんど寺巡りに飽きつつあったので、帰りしなのポーランド人に<strong>｢何があった？｣</strong>と尋ねると、<strong>｢こんなんあったよ｣</strong>とデジカメで木の根が絡まるお堂の写真を見せてくれた。<br /><strong>｢いいね。でもこの写真で満足したわ｣(Cool. But now I'm satisfied)</strong>と話し、奥まで行かずに彼と門まで引き返す。<br /><br /><strong>｢アンコール・ワットを見るには最低3日は必要｣</strong>と言うが、3日もいたら確実に飽きると思うのは自分だけか。(修学旅行の寺巡りと同じ)<br />確かに1日で、というのはかなりの強行軍だったし西側には一切足を延ばせなかったが、せいぜい2日もあれば十分な気がする。<br /><br />次のネアック・ポアン(Neak Pean)はほぼやっつけで回った。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_15.jpg" alt="顔のないレリーフ" width="315" height="420" border="0" /><br /><span style="color:#0000FF;">ネアック・ポアンの顔の削られたレリーフ</span><br /><br />ここを見ればほぼ一周したことになるプレア・カン(Preah Khan)は、広くて見ごたえがあった。修復の手が回っていないのか、状態は今までの寺院の中で一番悪かった。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_16.jpg" alt="プレア・カン" width="315" height="420" border="0" /><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_17.jpg" alt="プレア・カン内部" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />こうして1周してバイヨンまで戻ってきたが、もう半周してスラ・スランの手前を南に下りれば丁度東側からアンコール・ワットのサンセットが見れるはずだと思い、意を決して自転車にまたがる。<br />今思えばバイヨンを南下してぐるっと堀を回った方がはるかに効率的だった。<br /><br />しかも、スラ・スランを折れてアンコール・ワットへ向かう道は砂利道で、俺のボロチャリで行くには相当ハードだった。途中あまりにおケツが痛すぎて立ち漕ぎをしていたら、ガラガラッ！といやな音がしてチェーンが外れた。やれやれと直しにかかると、フレームに日本語で名前が書いてあることに気付く。Youもはるばる日本から来たのか、となんとなく親しみを覚えた。<br /><br />かような苦労を経て、もう少しでアンコール・ワットというところまでたどり着いた。時間的にももう少しで日没だ。<br /><br />ところが、あと橋を渡ればアンコール・ワットというところで突然スコールが降り出した。<br />雨宿りする場所もないので仕方なく、か細い木の下で身を小さくしていた。止んでくれないと日が沈んでしまうなあとため息をつくが、雨脚は一層強くなり、もはや木陰では防ぎようのないスコールに叩かれた。<br /><br /><br />すると5mほど前に停まっていたセダンから青年が降りて、トランクをがさごそと物色し始めた。<br />｢ああ、ずぶ濡れだよ｣と思っていたら、<strong>青年は1本の傘を取り出し、何も言わずに自分の前に差し出した。</strong><br /><br />足元から突き上げるように嬉しさが喉元までこみ上げ、ろくにお礼を言う間もなく、彼は運転席へと戻っていった。<br /><br /><br />胸いっぱいの幸福感に包まれ、もはやサンセットなどどうでもよくなった。<br /><br /><br />10分ほどでスコールは小雨になり、小さくて大きな親切に感謝して傘を返し、短くて濃い交流の証に握手を交わしてその場を後にした。<br /><br />幸いなことに日没にはギリギリ間に合い、前書きでも掲載した以下の風景を目の当たりにした。<br /><br /><a href="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_18.jpg" target="_blank"><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080726_18-thumbnail2.jpg" alt="サンセット" width="420" height="315" border="0" /></a><br /><span style="color:#0000FF;">※クリックで拡大</span><br /><br />その感動がひとしおだったことは言うまでもない。<br /><br />こうして生涯記憶に残るだろう半日を終え、雨上がりの薄暮の中、街に戻るべく再びペダルに体重を乗せた。<a name="more"></a>

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<title>ベトナム・カンボジア紀行[辰の巻]</title>
<description>■ 第5日目ジェフとの語らいから一夜明け、朝がやってきた。今日はアンコール・ワットの街、シェムリアップに移動するため、半日をバスに揺られて過ごすことになる。出発までは、まだ2時間ほど余裕がある。夜の早さと引き換えにプノンペンの朝は早い。通り沿いの店は軒並みシャッターを開け、営業を始めていた。一昨夜、おっかなびっくり訪れたマーケットまで足を伸ばす。中は食べ物から衣服、家電までごっちゃごちゃに様々な物が並べられていた。クメール・ルージュ支配の時代には貨幣経済が廃止され、主に米との...</description>
<dc:subject>■ ベトナム・カンボジア紀行</dc:subject>
<dc:creator>n-o-b.net</dc:creator>
<dc:date>2008-07-25T12:00:00+09:00</dc:date>
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<strong><span style="color:#FF0000;">■</span> 第5日目</strong><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/indochina_map3.jpg" alt="Day5" width="350" height="329" border="0" /><br /><br />ジェフとの語らいから一夜明け、朝がやってきた。<br />今日はアンコール・ワットの街、シェムリアップに移動するため、半日をバスに揺られて過ごすことになる。<br />出発までは、まだ2時間ほど余裕がある。<br /><br />夜の早さと引き換えにプノンペンの朝は早い。通り沿いの店は軒並みシャッターを開け、営業を始めていた。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080725_1.jpg" alt="朝のプノンペン" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />一昨夜、おっかなびっくり訪れたマーケットまで足を伸ばす。<br />中は食べ物から衣服、家電までごっちゃごちゃに様々な物が並べられていた。<br /><br />クメール・ルージュ支配の時代には貨幣経済が廃止され、主に米との物々交換が基本だったので、当時からは考えられない光景だろう。<br />SONYやHYUNDAIの電化製品を横目に見つつ、自分はカンボジアに対して<strong>"内戦の爪あと残る"</strong>イメージが強すぎだったんだなあと思う。<br /><br />思えば30年という時間はある程度経済を立て直すには十分な時間で、日本だって戦後30年、つまり自分が生まれた頃には戦争の面影は見事に払拭されていた。<br /><br />もちろん日本の驚異的な復興のスピードは特異であり、カンボジアの現状と並べて比較するには大雑把にもほどがあるわけだが。<br /><br /><br />バスで食べるようにとサンドイッチと水を購入し、まだ全然時間があるので、ゲストハウスの裏通りの朝市も覗いてみた。<br />そこに売られていたのはむき出しの魚や肉、野菜などの生鮮食品。わんわんとたかるハエの群れを見て、食堂で運ばれてきた皿の上を舞うハエを追うことの無意味さを感じた。<br /><br />ゲストハウスに帰り、1階の食堂でヌードル・スープで簡単な朝食を済ませた後、部屋に戻って荷造りを整え、10時にチェック・アウト。<br />バス乗り場へと向かう。<br /><br /><span style="color:#0000FF;">※ちなみにプノンペン→シェムリアップのバス代は25,000リエル。市中では$1=4,000Rで等価交換できるので、日本円にすると600円くらい。距離と時間を考えるとかなり安い。</span><br /><br />バスは少し遅れて10:30にシェムリアップに向かって出発した。<br /><br />道中はもはや見慣れた感のあるカンボジアの田舎風景が延々と続いていた。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080725_2.jpg" alt="プノンペン→シェムリアップ" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />途中パーキングで2度の休憩を挟んで、バスはひたすら北へ西へと進む。<br />特にやることはないので、本を読んだり、日記を付けたり、前の席から顔を出す男の子にちょっかい出したりして過ごした。<br /><br /><br />― そろそろ腰や膝が限界に達してきた16時にシェムリアップに到着した。<br />最初<strong>｢え？ここで降ろされるの？｣</strong>という簡素な場所で止まり、乗客の半分以上がそこで下車したので焦るが、そのままバスは出発し、キャピトルツアーのシェムリアップ支店前で終着とあいなった。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080725_3.jpg" alt="キャピトルツアー前" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />ここでもまずは今夜の宿探しから始まるのだが、今回も特に迷うことはない。<br />事前の情報収集でバックパッカーにはポピュラーゲストハウスというそのまんまの名前の宿が人気があると聞いていた。<br />場所は南北に長いシェムリアップの最南端に位置し、バス停から1分もかからない距離にあった。<br /><br />いくつか部屋を見てファン、トイレ・シャワー共同、窓付きの部屋に決めた。1泊$3というお手頃価格。<br /><br />受け付けの青年は実に親切で、地図がほしいというと無料の地図をくれ、丁寧に現在地と中心街、そしてアンコール・ワットへの行き方を教えてくれた。見るとアンコール・ワットは10kmに満たない位置にあるようだったので、翌日はまた自転車を借りて行くことを考えた。<br />そう告げると、おあつらえ向きに宿でも自転車を借りれるという。完璧だ。<br /><br />部屋に荷物を下ろすとすぐに街に出てまずはシェムリアップ川(Siem Reap River)のほとりでぼんやりと一休みする。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080725_4.jpg" alt="Siem Reap River" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />日が落ちてきたので、街の中心に向かい、適当な屋台を見つけ、席に着いた。<br />腹が減っていたので、麺、チャーハンそしてビール(大)を頼んだ。<br /><br />食事をしていると隣の席に座っていた初老の白人女性が｢タバコ吸っていい？｣と聞いてきたので、どうぞと言うとその流れで｢どっから来たの？｣トークに展開した。<br />その女性はドイツから1人でやってきたそうで、普段は山歩きが趣味なのだそうだが、体力的にきつくなってきたので今回はフラットなところを選んでみた、と話す。とはいえ、カンボジアに女性1人旅とは、大した度胸だと思う。<br /><br />どのみちビール(大)は1人では多かったので、1杯すすめるとぐいと飲み干し、今度は私がおごると言って新たにビールを注文し、グラスに注いでくれた。<br />再び満たした1杯もみるみる空にすると、彼女は席を立ち、また1人になった。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080725_5.jpg" alt="夜のシェムリアップ" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />すっかり辺りは暗くなり、夜の装いになってきたが、さすがシェムリアップはカンボジア、いや世界でも名だたる観光地だけあって、アンコール・ワットから帰ってきた観光客でプノンペンとは逆に遅くなるほどにぎやかさは増してきた。<br /><br />屋台を出て街を一周し、街の西端にあるナイト・マーケットに立ち寄ってみた。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080725_6.jpg" alt="ナイト・マーケット" width="420" height="315" border="0" /><br /><br />中には土産物や服、絵画などが整然と並べれていたが、特に買いたい物があるではなし、店先を冷やかして回った。<br /><br />マーケットの一番奥まで行くと、1枚の立て看板が目に留まる。<br />そこには<strong>｢ポル・ポト、虐殺の歴史｣</strong>と題した映画の上映スケジュールが書かれていた。当然興味が沸き、観てみようかと思うが、次の上映まではかなり時間がある。<br /><br />映画館の入り口とおぼしき場所に腰掛けていた若者が近づいてきて｢観て行きませんか？｣と声をかける。観たいけど次の回まで待つのはしんどいから明日また来るよ、と話しリーフレットだけもらってその場を立ち去る。<br /><br />ナイト・マーケットを出て、宿に向かって帰ろうかと思ったが、ふと明日また来れる保障は何もないんだよなあと思い、踵を返しまた映画館まで戻った。<br /><br />さっきの青年は笑って、｢明日じゃないの？｣と聞いてきた。やっぱり待つことにした、と言うと、ベンチをすすめてくれ、どう見てもひまそうな彼と例によって｢どこから来たの？｣的な会話が始まる。<br /><br />やはりひまそうにしていたチケット売り場の女性も｢日本人は一杯くるけど、映画は英語とフランス語字幕だからかほとんどお客にはならないの｣と会話に参加してきた。もっとも、日本人どころか周りには他に客らしい人は見当たらなかった。<br /><br />ふと絵葉書と一緒に並んで売っている本の中に見覚えのある表紙が目に付く。<a href="http://blog.n-o-b.net/article/103402617.html" target="_blank">戦争映画シリーズVol.11</a>で紹介した<strong>｢最初に父が殺された｣</strong>の英語版とフランス語版だった。<br /><br />おお、と思い、この本に背中を押されて俺は今ここにいるんだ、という話をし、言葉を選びながらクメール・ルージュ時代のカンボジアに興味を持ったいきさつを話した。<br /><br />共感してくれたのか2人とも饒舌になり、あの時代の体験者がここのスタッフにいるから違う日だったら紹介できたのに、と惜しむ。<br /><br />そんなこんなであっという間に上映時間になり、中に入る。<br />案の定、劇場は自分1人の貸切だった。<br /><br /><br />映画の大筋自体はすでに知っているクメール・ルージュの勃興と凋落についてだったが、農奴政策を始めて米を作りまくったけどソ連が安い米を大量に市場に流した結果米が売れず、おかしくなり始めた話などは興味深かった。また、前国王シアヌークの功績を称える要素が多分に盛り込まれていたのも特徴的だった。<br /><br />約40～50分の上映が終わり、受付の2人に別れを告げて宿への帰途に着いた。<br /><br /><br />今日は単なる移動日と割り切っていたが、思い返すと想像以上の異文化コミュニケーションがあったものだ。<a name="more"></a>

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<title>戦争映画 FALL IN!! Vol.11 ｢キリング・フィールド｣</title>
<description>英タイトル: The Killing Fields公開年: 1984年製作: アメリカ国民の約4分の1から3分の1が失われたカンボジア内戦を描いた数少ない(あるいは唯一？)ハリウッド映画。実際に大虐殺の時代を生き抜き、死屍累々の"キリング・フィールド"から生還したプラン役ハイン・S・ニョルが助演男優賞を受賞している。■ ストーリー1973年8月。NYタイムズの記者シャンバーグ(サム・ウォーターストン)は、アメリカを後楯にしたロン・ノル政権と、反米革命派勢力、クメール・ルージュ...</description>
<dc:subject>■ 戦争映画 FALL IN!!</dc:subject>
<dc:creator>n-o-b.net</dc:creator>
<dc:date>2008-07-23T12:00:00+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080723_1.jpg" alt="キリング・フィールド" width="134" height="191" border="0" hspace="10" Vspace="10" align="left" /><strong><br /><span style="color:#FF6500;">英タイトル:</span> The Killing Fields<br /><span style="color:#FF6500;">公開年:</span> 1984年<br /><span style="color:#FF6500;">製作:</span> アメリカ</strong><br /><br />国民の約4分の1から3分の1が失われたカンボジア内戦を描いた数少ない(あるいは唯一？)ハリウッド映画。実際に大虐殺の時代を生き抜き、死屍累々の"キリング・フィールド"から生還したプラン役ハイン・S・ニョルが助演男優賞を受賞している。<br /><br /><br /><br /><strong><span style="color:#650000;">■</span> ストーリー</strong><br />1973年8月。NYタイムズの記者シャンバーグ(サム・ウォーターストン)は、アメリカを後楯にしたロン・ノル政権と、反米革命派勢力、クメール・ルージュとの闘いが表面化したカンボジアの首都プノンペンに降り立つ。カンボジア人のディス・プラン(ハイン・S・ニョル)が、現地で彼の通訳・ガイドとして仕事を助けてくれることになった。75年、ロン・ノル政権はついに崩壊、クメール・ルージュを率いるポル・ポト政権が誕生する。<br />次第にシャンバーグら外国人記者の安全地帯も徐々に縮小されに、ついに国外へと避難する。しかし、カンボジア人のプランは国外脱出が叶わずクメール・ルージュに連行されていくのであった。<br />(goo映画あらすじを大幅に加筆修正)<br /><br /><br />最初にはっきり言ってしまうと、<br /><strong><span style="font-size:16px;">この映画はカンボジア内戦の入門的作品である。</span></strong><br />悪く言えば、表面的で、当時の戦戦慄慄なカンボジアの国状に肉薄しているとは到底言いがたい。<span style="color:#999999;">(あくまで私見)</span><br />なので、カンボジア内戦について本当に知りたければ、後に紹介する別のソースを推薦したい。<br /><br />入門映画にならしめた理由として、主人公のアメリカ人記者の目線を主軸に据えていることがあり、内戦の当事者であるカンボジア人の心情が表面的にしか描かれていない。結果シャンバーグとプランの友情物語に終わっている。<br /><strong>さらにそこに虚構＝映画的ウソを加えているので、観る人が観ればもどかしさを感じずにはいられないだろう。</strong><br /><br />しかし、<strong>後半クメール・ルージュから逃れるプランの逃走劇は真に迫るものがあり、この部分だけで2時間やってくれればよかったのにと思う。</strong><br /><br />また、音楽の選曲がかなり不可思議で、クライマックスで流れる<strong>｢イマジン｣</strong>はまだよいとしても、エンドロールでクラシック・ギターの名曲<strong>｢アルハンブラの思い出｣</strong>を、しかもこのトレモロの名曲をなぜか単音で流すセンスは全く理解不能であった。<br /><br /><br />と、半ば批判的なイントロになったが、｢キリング・フィールド｣の功績は、ハリウッドパワーで歴史の闇に埋もれつつあったカンボジアの大虐殺を世に知らしめたことにある。<br /><strong>ベトナム戦争の映画は数限りなくあるが、カンボジア内戦を描いたハリウッド映画は知る限りこれだけ</strong>で、アカデミー助演男優賞に加え、撮影賞、編集賞も受賞したことも考えると注目度はかなり高かったと言える。<br /><br />また、現代の日本ではもはや<strong>｢ポル・ポト派｣</strong>、<strong>｢クメール・ルージュ｣</strong>という言葉すら人々の記憶から風化しつつあると思うが、実は30年越しの2006年に始まった｢クメール・ルージュ裁判｣<span style="color:#999999;">(当時の最高幹部5～10人を人道の罪で裁く裁判)</span>の費用の4割、実に2160万ドルを出しているのは他ならぬ日本だ。<br /><br />せめて何があったのかを知る入門として考えると、｢キリング・フィールド｣は決して悪い選択肢ではない。<br /><br /><br /><br /><strong><span style="color:#650000;">■</span> ｢キリング・フィールド｣の背景</strong><br />まずもって沸き起こる疑問はこれであろう。<br /><br /><strong><span style="font-size:large;"><span style="color:#FF0000;">なぜカンボジアで大虐殺が起きたのか？</span></span></strong><br /><br />これについて紐解いてみたいが、その前段として<a href="http://blog.n-o-b.net/article/102906776.html" target="_blank">Vol.10 ｢地雷を踏んだらサヨウナラ｣</a>の背景でインドシナ半島の状況について軽く触れた。<br />今回はさらに世界地図を広げてみたい。<br /><br />そもそもの話で言うと、カンボジア内戦はその名の通り戦時国際法の適用も曖昧な内戦＝Civil Warである。<br /><br />しかし、カンボジアを戦乱の渦に巻き込んだ状況、東西の代理戦争であったベトナム戦争から受けた影響を考えると<strong>カンボジア内戦は内戦の枠には収まらない。</strong><br /><br />ここで1975年、冷戦の下に二極化した東西勢力図をまとめてみた。<br /><a href="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080723_2.jpg" target="_blank"><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/image/20080723_2-thumbnail2.jpg" alt="インドシナ半島に見る東西冷戦マップ" width="420" height="326" border="0" /></a><br /><span style="color:#0000FF;">※クリックで拡大</span><br /><br />一目ではわかりにくいが、これでもめいいっぱい簡略化しており、現実ははるかに複雑。<br /><br />上記を見てもわかる通り、東西陣営は険悪なにらみ合いの末、直接的なぶつかり合いを避け、将棋の駒でも動かすように第三国の内乱に手を出し口を出し、なんとも底意地の悪い歪んだ世界を作り出した。<br /><br />自分は、<span style="font-size:15px;"><strong><span style="color:#FF0000;">カンボジアの内戦そして大虐殺はこの歪んだ東西軋轢の果てに生まれた｢膿み｣のようなものだと考えている。</span></strong></span><br /><br /><br />具体的な対外関与を見てみよう。<br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/banner/cn.gif" alt="China" /> <strong><span style="color:#FF6500;">中国との関係</span></strong><br />精神面においても実行動においても、<strong>クメール・ルージュを培養したのは中国共産党、さらに言えば毛沢東である。</strong><br />クメール・ルージュ率いるポル・ポトは、<strong><span style="color:#FF0000;">毛沢東主義＝マオイズム</span></strong>の狂信的支持者であり、<strong>農村社会への回帰、都市型帝国主義の否定</strong>という思想も毛沢東の受け売りだ。<br />また、時代的にも<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD" target="_blank">文化大革命</a><span style="color:#FF0000;">※</span>の終末期とクメール・ルージュの台頭期は符合する。<br /><span style="color:#FF0000;">※毛沢東によって行われた"改革運動"。その実は反対派の粛清であり、1000万から2000万の人々が殺害された。</span><br /><br />こうしてマオイズムの後継者として<strong>ポル・ポトは、都市の住民を農村へと移住させ、強制的に農作業に従事させた。そして、医者、学者、教師などのインテリは生産を行わず搾取を行う対象として、すべからく連行し、拷問・抹殺した。</strong><br />メガネをかけているだけで、抹殺対象にされたと言うから恐ろしい。また身体障害者など欠陥を持つ者も｢無用｣として容赦なく殺された。<br /><br />中国共産党側もクメール・ルージュへの援助を惜しまず、蜜月の関係が成立していた。<br /><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/banner/us.gif" alt="USA" /> <strong><span style="color:#FF6500;">アメリカとの関係</span></strong><br />Vol.10で書いた通り、シアヌーク国王を追い出した<strong>ロン・ノル軍事政権を操り、カンボジア内戦の火種を作ったのはアメリカだ。</strong><br />火種どころか1970年には南ベトナム軍と共にカンボジアに侵攻し、<strong>なんと二次大戦で日本に投下した総量の3倍の爆弾を放っていった。</strong><br /><br />ところが、1973年にベトナム戦争から撤兵すると、急激にインドシナ半島から興味を失い、火だけ着けて後は<strong>｢対岸の火事｣</strong>にしてしまった。<br />また、1978年に結実した米中国交正常化への動きもあり、中国が支援するクメール･ルージュとことを荒立てたくない、という思惑もあったと思われる。いずれにせよ、結果的にアメリカはポル・ポト派の虐殺を見て見ぬふりしたことになる。<br /><br />それどころか、冷戦下の複雑なもつれの果てに、クメール・ルージュ政権崩壊後、介入したベトナム軍と戦うクメール・ルージュゲリラに資金援助を行っている。<br /><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/banner/vn.gif" alt="Vietnam" /> <strong><span style="color:#FF6500;">ベトナムとの関係</span></strong><br /><strong>ベトナムはクメール・ルージュにとって最も忌むべき存在</strong>であり、国民はベトナム人(ユーン)への憎悪と殺意を徹底して教育された。<br />根は深いが、直近のきっかけはカンボジア侵攻である。<br /><br />上の図を見ての通り、<span style="color:#FF0000;">同じ共産主義でありながら当時中国とソ連は対立していた。</span>カンボジア侵攻において、<strong>カンボジア(中国支援) × ベトナム(ソ連支援)</strong>という、ここでも小さな代理戦争が展開されたのだ。<br />まさに<span style="color:#FF0000;">赤同士、血で血を洗う泥沼戦争</span>であり、ここにも冷戦当時の複雑怪奇な世界の歪みを観察することができる。<br /><br />クメール・ルージュは政権奪取後、幾度となくベトナムへの侵攻を繰り返し、1978年4月には国境の村の3,000名を超える住民を虐殺した。これを機にベトナムは本格的にクメール・ルージュ掃討へと動き、翌1979年1月にとうとうクメール・ルージュ政権を打倒する。<br /><br /><strong>ここに3年9ヶ月に及んだポル・ポト大虐殺の時代が終わりを告げた。</strong><br /><br />しかし、クメール・ルージュの残党はタイ国境のジャングルへと逃れ一帯を支配し、ポル･ポト自身も1998年まで生き長らえることになる。<br /><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/banner/jp.gif" alt="Japan" /> <strong><span style="color:#FF6500;">日本との関係</span></strong><br />当時の日本の外交は常にアメリカの顔色を伺う風見鶏的スタンスだった。<span style="color:#999999;">(つまり今と同じってこと)</span><br />確かに直接カンボジアに手を出したのはアメリカだったが、<strong>ベトナム戦争以降、日本は軍隊の中継地、物資の供給地として機能し、濡れ手で粟状態だった</strong>わけだから、関与していないとは到底言えた言葉ではない。<br /><br /><strong><span style="font-size:16px;"><span style="color:#FF0000;">そして極めて重要な事実として、日本は西側諸国として唯一ポル・ポト政府(正確にはカンボジア民族連合政府)を承認している。</span></span></strong><br /><br /><strong>1978年にはポル・ポトの義弟で副首相兼外務大臣だったイエン・サリの訪日が実現</strong>したりと、それなりの関係を築いていたわけだ。<br />ちなみにイエン・サリは前述の｢クメール・ルージュ裁判｣の被告の1人で、日本はこの裁判に巨費を投じているのだから風見鶏っぷりも甚だしい。<br /><br />また、ベトナム軍侵攻によるクメール・ルージュ崩壊後、ベトナムの傀儡ヘン・サムリン政権が樹立するが、ソ連が裏で糸を引いているベトナム傀儡政権を、西側に属する日本が支持できるはずがなかった。<br /><br />こうして、日本は現実を熟知しつつも、アメリカやイギリスと同様に形骸化したクメール・ルージュ政権を支持し、カンボジア復興を遅らせる一因を作ったことになる。<br /><br /><br />以上、どうしたってややこしい話になってしまったが、<br /><strong><span style="color:#FF0000;">カンボジア内戦は｢歪んだ東西軋轢の果てに生まれた『膿み』のようなものだ｣</span></strong>と言った理由がお分かりいただけたのではないかと思う。<br /><br /><br /><strong><span style="color:#650000;">■</span> おすすめ図書<br /></strong><br /><strong>｢最初に父が殺された―飢餓と虐殺の恐怖を越えて｣</strong>ルオン・ウン著<br /><div align="center" style="margin-bottom:20px;"><div style="float:left;width:110px;text-align:center;"><a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=188914&url=http://seesaa-books.seesaa.net/shop/goods/SV88377204.html" target="_blank"><img src="http://shop.seesaa.jp/pages/goods_image?ssin=SV88377204" width="100" border="0" alt="最初に父が殺された―飢餓と虐殺の恐怖を越えて" /></a><div style="font-size:9px;margin-bottom:10px;">by <a href="http://seesaa.jp" target="_blank">Seesaa</a><a href="http://shop.seesaa.jp" target="_blank">ショッピング</a></div></div><div style="padding:0px;float:left;width:200px;text-align:left;"><div style="line-height:140%;text-align:left;"><a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=188914&url=http://seesaa-books.seesaa.net/shop/goods/SV88377204.html" target="_blank" title="最初に父が殺された―飢餓と虐殺の恐怖を越えて">最初に父が殺された―飢餓と虐殺の恐怖を越..</a></div><div style="line-height:140%;text-align:left;color:#CC0000;">￥<script type="text/javascript" src="http://shop.seesaa.jp/pages/goods_price?ssin=SV88377204"></script></div></div></div><br clear="left" />タイトルだけでもすでに禍々しいインパクトが伝わってくるかと思うが、この本は1人でも多くの人に読んでほしいと強く願う1冊だ。<br />上述したような面倒くさい歴史的背景や政治的背景は最小限にとどめ、<strong>クメール・ルージュ政権成立当時まだ5歳の少女だった著者が実際に体験した地獄絵図を子供の目線で綴ったノン・フィクションである</strong>。<br /><br />クメール・ルージュ統治下のカンボジアが、いかに退行した原始的イデオロギーで国民を苦しめ、夢も希望もない困窮生活を強いていたかがよくわかる。<br /><br />実話だけに読むにはちょっと覚悟がいる本ではあるが、最後までたどり着くと救いがあることもまた事実である。<br /><br />なお、7年前この本を読んで以来悲願となったカンボジア来訪が叶ったのは今年4月のこと。<br /><br /><br /><strong>｢キリング・フィールドからの生還―わがカンボジア『殺戮の地』｣</strong>ハイン・ニョル著<br /><div align="center" style="margin-bottom:20px;"><div style="float:left;width:110px;text-align:center;"><a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=188914&url=http://seesaa-books.seesaa.net/shop/goods/SV88423964.html" target="_blank"><img src="http://shop.seesaa.jp/pages/goods_image?ssin=SV88423964" width="100" border="0" alt="キリング・フィールドからの生還―わがカンボジア「殺戮の地」" /></a><div style="font-size:9px;margin-bottom:10px;">by <a href="http://seesaa.jp" target="_blank">Seesaa</a><a href="http://shop.seesaa.jp" target="_blank">ショッピング</a></div></div><div style="padding:0px;float:left;width:200px;text-align:left;"><div style="line-height:140%;text-align:left;"><a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=188914&url=http://seesaa-books.seesaa.net/shop/goods/SV88423964.html" target="_blank" title="キリング・フィールドからの生還―わがカンボジア「殺戮の地」">キリング・フィールドからの生還―わがカン..</a></div><div style="line-height:140%;text-align:left;color:#CC0000;">￥<script type="text/javascript" src="http://shop.seesaa.jp/pages/goods_price?ssin=SV88423964"></script></div></div></div><br clear="left" />｢キリング・フィールド｣でアカデミー助演男優賞を受賞したハイン・S・ニョルの自著。(ミドルネームのSは偽名で使っていた"サムナン"を亡命後に本名に入れたらしい。)<br />ハイン・S・ニョルは演劇経験はゼロだったが、虐殺の歴史の生き証人としてその辛い過去を自らなぞったことはやはり賞賛に値する。<br /><br />本書では映画をはるかに凌ぐ凄惨極まりないポル・ポト政権の実態が、直接的描写で語られている。自分は映画より先に本書を読んだがために、冒頭に書いたようなもどかしさを感じたとも言える。<br />氏はクメール・ルージュ以前、医師であったため、正体がばれれば真っ先に拷問され、殺される立場にあった。<br />どうやって虐殺の魔手を逃れ、また幾多の拷問と悲しみを乗り越え、アメリカ亡命を果たしたのか、きっとノン・ストップで読みきれる1冊だと思う。<br /><br />なお、氏はポル・ポトの死より2年早い1996年、ロサンゼルスの自宅近くで強盗により射殺された。<br /><br /><br />最後に、YouTubeで見つけた｢キリング・フィールド｣の後半ハイライト部分の動画を引用しておく。これから全編をご覧になるという方はスキップされるといいが、上記を読んでもなんだかピンとこなかった、という場合要するにこういう映画だということがわかる動画です。<br /><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/hy3nmHH6Lho&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/hy3nmHH6Lho&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><br /><br /><br /><div align="center" style="margin-bottom:20px;"><div style="float:left;width:110px;text-align:center;"><a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=188914&url=http://seesaa-dvd.seesaa.net/shop/goods/SMTE067007.html" target="_blank"><img src="http://shop.seesaa.jp/pages/goods_image?ssin=SMTE067007" width="100" border="0" alt="キリング・フィールド" /></a><div style="font-size:9px;margin-bottom:10px;">by <a href="http://seesaa.jp" target="_blank">Seesaa</a><a href="http://shop.seesaa.jp" target="_blank">ショッピング</a></div></div><div style="padding:0px;float:left;width:200px;text-align:left;"><div style="line-height:140%;text-align:left;"><a href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=188914&url=http://seesaa-dvd.seesaa.net/shop/goods/SMTE067007.html" target="_blank" title="キリング・フィールド">キリング・フィールド</a></div><div style="line-height:140%;text-align:left;color:#CC0000;">￥<script type="text/javascript" src="http://shop.seesaa.jp/pages/goods_price?ssin=SMTE067007"></script></div></div></div><br clear="left" /><br /><br /><br /><img src="http://n-o-b.up.seesaa.net/parts/bar_related.gif" alt="関連記事" width="237" height="31" border="0" /><br /><br />　<a href="http://blog.n-o-b.net/article/102906776.html" target="_blank">Vol.10 ｢地雷を踏んだらサヨウナラ｣</a><br />　<a href="http://blog.n-o-b.net/article/102968332.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[寅の巻]</a><br />　└トゥール・スレン虐殺博物館篇<br />　<a href="http://blog.n-o-b.net/article/103028536.html" target="_blank">ベトナム・カンボジア紀行[卯の巻]</a><br />　└プノンペン、キリング・フィールド篇<a name="more"></a>

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<title>ベトナム・カンボジア紀行[卯の巻]</title>
<description>■ 第4日目9:30に起床。今日の目的は街の南西に位置するキリング・フィールドに行くこと。11時にキャピトルからもバスが出るということなので、準備して1階に下りてみる。ところが、今日はキリング・フィール行きのバスは出ないという。どうしたものかととりあえずコーラを頼んで思案していると、隣の席に見覚えのある顔が。昨日同じサイゴンからのバスに同乗していて、トゥール・スレンでも見かけた人物だった。どちらからともなく話をしてみると、アメリカ人青年の彼ジェフリーも今日キリング・フィールド...</description>
<dc:subject>■ ベトナム・カンボジア紀行</dc:subject>
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<strong><span style="color:#FF0000;">■</span> 第4日目</strong><br /><br />9:30に起床。<br />今日の目的は街の南西に位置するキリング・フィールドに行くこと。<br /><br />11時にキャピトルからもバスが出るということなので、準備して1階に下りてみる。<br />ところが、今日はキリング・フィール行きのバスは出ないという。<br /><br />どうしたものかととりあえずコーラを頼んで思案していると、隣の席に見覚えのある顔が。昨日同じサイゴンからのバスに同乗していて、トゥール・スレンでも見かけた人物だった。<br />どちらからとも