英タイトル: Come and See露タイトル: Idi i smotri
公開年: 1985年
製作: ソ連
第二次大戦時に現在のベラルーシ(当時ソ連領)で起きたドイツ軍による虐殺の模様を描いた一作。
←のパケ写を見れば想像がつく通り、Vol.2にしてかなり上級者向けの内容で、容赦ない非人道的シーンが続くため、ご覧になるならそれなりに覚悟を持って臨むことをお勧めする。
■ ストーリー
ベラルーシの少年、フローリャは砂地から一挺のライフルを掘り出す。何気ないその行動が、その後未曾有の恐怖と戦慄を少年に与えることになるとは、その時は知る由もない ― 。
のっけから陰鬱なムードで始まる本作だが、少年がパルチザンに取り残され、家に帰った辺りから正視に堪えないシーンが続く。
重ねて、スナック感覚で観賞すると
エラい目に遭うので要注意。
エラい目に遭うので要注意。
■ 「炎628」の背景
邦題の「炎628」とは、ナチスドイツによってソ連の628の村が焼き尽くされたことに由来する。
実は、第二次世界大戦による犠牲者の数はソ連が圧倒的に多く、2,000万人と断トツである。
※参考リンク
(ソ連の犠牲者が多い理由については別回で)
それでは、「ドイツは残虐な加害者」で「ソ連は可哀想な被害者」なのかと考えると、それは余りにも一面的過ぎであり、ソビエトが行った非道行為も枚挙に暇がない。
・ポグロム
ポグロム=ロシア語で「破壊」の意。19世紀から20世紀初頭にかけてロシアを中心に起こったユダヤ人迫害・虐殺の総称。犠牲者の数は5万人とも10万人とも言われる。ロシア革命以前なのでソ連ではないが、反ユダヤ主義は革命後も引き継がれる。
・カティンの森の虐殺
1940年、ベラルーシから50km程西に位置するスモレンスク近郊カティンの森で起きた、ソ連兵によるポーランド人捕虜25,000人の虐殺事件。
昨年、アンジェイ・ワイダ監督によって映画化された。
→「Katyn」(日本未公開)
・バルト三国における虐殺
エストニア、ラトビア、リトアニアの三国では、1940年開戦直後、独ソ間の勝手な協定でソ連に併合されるやいなや、政治家、軍人の大量処刑が始まる。続いて、13万人以上の市民が生還率の低いシベリアの強制キャンプへと送られた。
(ちなみに日本人外交官、杉原千畝がリトアニアで6,000人のユダヤ人にビザを発給したのはこの頃。)
それゆえ、ナチスドイツがバルト三国入りした時は解放軍として迎えられたそうだが、蓋を開けるとすぐにユダヤ狩り、ジプシー狩り、赤狩りが始まる。
・対日参戦
極東において、ソ連は終戦間際の1945年8月11日、一方的に日ソ中立条約を破棄し日本に宣戦布告する。8月14日、日本は既にポツダム宣言受諾を連合国に通達していたが、8月16日に南樺太、8月18日に千島列島に侵攻。戦後の東西分割を見越して東の足場とすることを目論んだ。
さらに満州にいた何十万人という日本人はシベリアへと抑留された。
そして、どういうわけか60数年が過ぎ、ソ連が崩壊した現在も千島列島=北方領土はロシア領のまま。
そもそも、映画の舞台ベラルーシは"当時"ソ連領だったにすぎず、この国は実に幾度にも渡って他国に翻弄された歴史を持つ。
20世紀初頭だけでみても以下の通り。
・ロシア帝国領 → ドイツとソ連の分割統治 → ベラルーシ人民共和国独立(ドイツ占領下)
→ 白ロシア・ソビエト社会主義共和国(ソ連が接収) → リトアニアと統合 → ポーランドが侵攻
→ ポーランド領とソ連領に東西分割
なんとここまでが1918年から1922年のたった4年間の歩み。
さらに二次大戦の幕開けにより、ソ連領→ドイツ軍占領→ソ連領とキャッチボール状態が続く。
いずれにしてもたまったものではないのは住民たちで、頭の上で勝手に政治屋や軍人が決めた決め事に従い、今日は赤旗、明日はハーケンクロイツと振り回され、蹂躙される憂き目に遭ったわけだ。
なお、映画が作られた1985年に目を向けて見ると、丁度ゴルバチョフの手でペレストロイカが始まった頃。
その後、自由化の気運が高まり、バルト三国、ウクライナ、ベラルーシが独立してソ連邦が崩壊するのは、その6年後の1991年のことである。
この映画はソ連視点で描かれているので、一見すればドイツ→悪という構図だが、独立した今ベラルーシ視点で作り直せばドイツもソ連も悪の枢軸として描かれるに違いない。
■ 観賞ポイント
この映画、観る者をなんとも禍々しい気持ちにさせてくれるのだが、その理由の1つとして以下2つの撮影方法が目立って使われている。
1. ステディカムでの撮影
走る少年を追うシーン、避難した村人の間を縫うシーン、などステディカムが多用されている。
映画「シャイニング」で与えた効果と同じように、人の目線の高さ、歩行速度で被写体を追ったり、主人公自身の目線になったりすることで、自分が物語の中に引き込まれたような錯覚を覚える。
2. 異常に多いカメラ目線
作中、常軌を逸する頻度でカメラ目線が使われる。これも作品世界へ視聴者を引き込むことを狙ってのことだと思うが、それにしても多い。訴えかける目、見下した目、怯える目と色々あるが、余りに見据えられるので思わず視線を外したくなるほどだ。
最後に、気になるシーンを2つ挙げると、1つは終盤にドイツ軍がパルチザンにとっつかまる場面。え?いつの間にという展開で一瞬状況が飲み込めなかった。
もう1つは、オーラスで主人公がある人物の写真に向かって何度も何度も発砲するシーンがあるのだが、この少年の表情が本気で怖い。
ぱっと見中学生くらいかと思われるのだが、憎悪に歪んだその顔は30歳にも50歳に見えた。一体、どんな演出をしたらこんな顔になるのだろう?と不思議に思った。
本作、大きなレンタル屋でないと置いていないかもしれないが、甘っちょろいヒューマンドラマに辟易としている方は、探し出してでも観る価値があることを保証する。
Vol.7 「二百三高地」
Vol.6 「ジョニーは戦場へ行った」
Vol.5 「ヒトラー 〜最後の12日間〜」
Vol.4 「戦場のピアニスト」
Vol.3 「戦争のはらわた」
Vol.1 「西武戦線異状なし」
タグ:炎628


前回のコメントの返事、感謝です。
軽い気持ちで書いただけだったのでちょっと失礼だったかもしれませんね。まあ気が向いたら他のジャンルの映画も・・ということで。
今回の映画。しかしよくもまあこんなマイナーな映画を・・・。
申し訳ありません、見たことありません。
興味は出ますが見た後かなり鬱になりそうなんでちょっとためらわれます。
というか読んでて一番思ったのは「こんな映画を見てて、しかもその背景まで語っちゃうあんたすげ〜よ!」ってことです。
この濃い内容でホントに週二回も更新していけるのかちょっと心配になっちゃいますが、個人的に密かな楽しみとしているので是非頑張っていただきたいと思います。
ちょっと質問ですが、戦争映画、これは基本的に近、現代のものでしょうか。古い戦争もの(ブレイブハートとかキングダムオブヘヴンとか)はどうすんのかな〜、つーかこの辺は歴史物になるのかな〜などと思ったもので。
あ、別に書けってんじゃないっすよ。ただの確認です。
最後に、編集方針の
>一、誤りを見つけたら、勇気を出してこっそり修正。
これはちょっと笑った。
勇気出てねえ(笑)。
いいんです。むしろどんどん書き込んでほしいです。
> 今回の映画。しかしよくもまあこんなマイナーな映画を・・・。
知る人ぞ知るだけど、観たら絶対誰かに言いたくなる系です。思春期に見たらトラウマですが、グロではないのでちょっと気構えしていれば、大丈夫でしょう。"Come and See"気分で召し上がれ。
> この濃い内容でホントに週二回も更新していけるのかちょっと心配になっちゃいますが、
「基本的に」週二回です。内容優先で行くおつもりです。
> 戦争映画、これは基本的に近、現代のものでしょうか。
わたくしがよく知っている範囲なので、どうしても19世紀以降が中心になってしまいますが、全然対象内です。「ブレイブハート」は初夜権の話とか興味深いので、大いにあり。
> 勇気出てねえ(笑)。
じゃあ「にっこり修正」にしときますか。
この映画のラストシーンを見れば
「悪」はドイツやヒトラーといった
特定のものではなく、もっと根深く、誰の心の中にも存在しているものと描こうとしてるのだと
思います。
だからこそ怖い映画です。
>ベラルーシは"当時"ソ連領だったにすぎず、この国は実に幾度にも渡って他国に翻弄された歴史を持つ。
ベラルーシとロシアの関係は日本とロシアが外国であるほど、簡単に割り切れるものではないです。(言語、文化、民族的に)
日本でも関西人と関東人は言葉も違いますが
同じ日本ということになっています。
ベラルーシがソ連領だった時代が、はたして
他国に翻弄された時代と表現できるかは疑問です。ウクライナもそうですが。
ウクライナの別称小ロシアはウクライナがロシアの文化中心地である事を示しています。(小は距離が短いという意味)
べラルーシとは白いロシアです。
歯ごたえのあるコメントありがとうございます。
じっくり咀嚼しながら拝読しました。
確かに「一見すればドイツ→悪という構図」の側面を浮き彫りにしたのは一義的すぎたかもしれません。私がこう書いたのは、この映画を表面だけさらって「いやードイツは悪かったんだねー」で終わってほしくない、ということであり、深部においてはぱーすさんと同じ意見です。
ただ他国に翻弄された時代だったのか?と言うことに関しては、翻弄された時代だったと考えています。
なぜなら当時のロシアは共産化しており、ロシア≠ソビエトの時代でした。ロシア・ロマノフ王朝時代の旧体制はもとより、マルクス主義からも乖離しつつあった恐怖政治の風潮に、隣接諸国が「従来どおり」ついていけていたとは考えにくい気がします。
そこにさらに新興の国家社会主義が台頭し、ちょうど地理的境界に位置していたベラルーシやバルト三国が、記事内で書いたような悲劇に見舞われたわけですが、その時にはすでに自分たちの意志を挟む余地はなかったのではないかと思います。