
7:30起床。
身支度を整え、バス停に向かう。
途中、もはや常食となったバケットを買い、かじりながらバスを待つ。
シン・カフェ前は朝の送り出しラッシュで、ハノイ行き、プノンペン行き、クチ・トンネル行きなどのバスが引っ切りなしに来ては乗客を詰め込み、発車していった。
程なく自分の乗るバスもやってきた。
立派なバスで今まで道中で利用してきたどのバスよりも新しかった。
隣の席は日本からきた看護士のRさん。
この後の半日、なんとなく一緒に行動することになる。
目的の場所はサイゴンから南西に90km程下った場所にあるベンチェ省(Ben Tre)。
メコン川と太平洋が出会う三角州(デルタ)を構成する場所に位置する。
かつては米軍の手で枯葉剤が大量に散布されたことにより、深刻な被害がもたらされ、ベトナム戦争が終わった後も長年不毛の地として作物が育たなかった土地である。
また、枯葉剤の影響で多くの奇形児や精神障害者を生み、その負の遺産は今も残っている。
現在は緑も戻り、農業や水産業、そして観光業を生業としている。
バスは2時間ほどでデルタ地帯に到着し、ボートに乗り換える。
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ボートからまず見えたのがこの建築中の大橋。
以前も書いたが、自分大きな建造物を見ると畏怖を覚えると同時に妙にテンションが上がる癖があり、今回もお前そこかよってくらい1人で橋の写真ばかり撮りまくっていた。

果てしなく眠かったパトリス・ルコントの映画「Dogora」みたいな風景が続き、実際にうとうとし始めたところで辺りは熱帯植物が生い茂り、ジャングル・クルーズな感じになってきた。

中州にある小島の1つに降りると、そこではライスペーパー作りをやっていた。
おねいさんがクレープの要領でライスペーパーを作りながら、隣のおねいさんに何か話しかけていた。
大方「こんなもん見て何が楽しいんだろうねえ」とかそんな雰囲気。

隣にいたイタリア人男性が彼女は何て言ってるんだ?というジェスチャーを送ってきた。
(その人は行きのバスの中で、あまりに急ブレーキが多いので、運転手に激しくクレームをつけていたおじさん。)
まともに知っている数少ないイタリア語で
"Il lavoro e faticoso."(私の仕事は大変骨が折れます。)
と言っているよ、と適当に答えると、恐らく「Youはベトナム語もイタリア語がわかるのか?すごいな」みたいなことをイタリア語でまくし立ててきたので、すんません英語と日本語専門です、と英語で伝える。(←ややこしい)
彼、ジャンは男3人ぶらり旅でミラノからベトナムにやってきたそうだ。
連れの2人、マルチェッロとリカルドを紹介してくれたところで、早めのランチタイムとなったので、Rさんを呼んで5人で飯を食うことになった。
ファッション関係の仕事をするマルチェッロは日本に来たことがあるとかで、知っているアーティストの名前なんかをやっとこやっとこ思い出しては教えてくれた。
リカルドはコンピューター関係の仕事をしているそうで、当時は日本デビュー前だったiPhoneでこれまで撮影した写真を見せてくれた。
折りしもこの時期はシルヴィオ・ベルルスコーニが首相に3選された時期なので、ジャンに軽くその話を振ってみた。
曰く「彼が返り咲いてほっとした」とのこと。
続けて小声で"No communist"(コミュニストはいかん)と強い調子で言う。
※ベルルスコーニの前のプローディは左派=コミュニスト
しかし、そう語るジャンは真っ赤なパンツにベトナムの国旗、金星紅旗をかたどった真っ赤な帽子をかぶっていた。
3人はボケ=大ボケ=ツッコミの関係が見事に成立していて、一緒にいて非常に愉快な連中だった。

左からジャン、Rさん、マルチェッロ、リカルド
ツアーだけあって、やれ馬車だの手漕ぎボートだの色んなアトラクション的アイテムを乗り継いだり、なんか歌を聴かされたり、竹で編んだ傘をかぶせられたりと要らんサービスがついてきたが、いつぞや体験したアユタヤ・ツアーよりはるかにクオリティが高かったし、何より上の連中と一緒にいたので、退屈しなかった。
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こんなたおやかな風景の中、ゆったりと川を下るボートに揺られていた時など、強行軍だった今回の旅の締めくくりとして実に穏やかな時間を過ごすことができことに至福を感じた。
最後、はしけに向かう途中にボートがエンジントラブルで10分くらい停まった以外、これというトラブルもなく、むしろ物足りなさを感じるほどツアーは順調に幕を閉じた。
サイゴンに向かう帰りのバスの中ではすっかり眠りこけ、目が覚めるとシン・カフェ前に到着していた。
イタリア人の3人とはここでさよならとなり、来年日本を訪れる予定だと言う彼らと連絡先を交換した。
なお、この後は同じツアーに参加していた某大手電機メーカーに勤めるOさんとカンボジア人の青年と夕食を一緒にする約束をしていた。
しかし、その前に今日中にどうしてもやっておかなければいけないお土産探しと言うタスクがあった。
今夜の便で日本に帰るというRさんとマーケットに行って、やっつけで目に付いた食品や雑貨を購入する。
Rさんは折角ベトナムに来たのにまだフォーを食べていないというので、夕食が控えてはいたが、マーケット内の食堂で一緒にフォーをすすった。
Rさんを見送った後にデタムに戻り、待ち合わせをしたカフェに行くと、カンボジア青年はおらずOさんだけがいた。
さらに30分ほど待ったが、結局もう1人の彼は来そうな気配がなかったため、後ろ髪ひかれつつOさんと2人で近くの食堂に腰を落ち着けた。
Oさんは40台半ばくらいで、教養があり、自分の大好物である歴史の話やそれにまつわる本や映画の知識が豊富であった。
特に中国共産党についての造詣が深く、興味深い話をいくつも紹介してくれた。
今回周遊したベトナムは今でも中共の影響下にあるベトナム共産党の独裁だし、カンボジアのクメール・ルージュを培養したのも中共である。
また昨年訪れたネパールはつい先ごろ王政が廃止され、ネパール共産党毛沢東主義派=マオイストが実権を握っている。
北京五輪開催を前にチベットやウイグルの問題が騒がれていたが、強権主義の性格を持つ中国共産党の影響を強く受けているのは何もチベット、ウイグルだけではない。
明日の午前10時の便で日本に帰るため、それほどゆっくりしていいわけではなかったが、まさに今回の旅の総括となるマクロ視点で見たアジア世界の政治地図について、夜が更けるまで語り合った。
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