2008年04月23日

赤道近辺より

通っているジムのサウナでよく見るおじさんがいて
「・・・暑い。ううぅ暑い。」
と10秒おきにつぶやいています。

サウナ=暑い、タウンページ=厚い
ということは当たり前ではないか、
誰かこのおじさん保健所に連れてってくれないかな

などと不必要なほどイライラしていましたが、
今ならわかる。限界を超えるとうなるんだね、人は。

暑いよ、朦朧とするほど暑いよ。
うっかりしてたらバターになっちゃうよ。


そういうところにいます。

今朝の現地ニュースによると、あまりの暑さに
市場のカニたちが、「海雪」に合わせて軽やかにパラパラを踊りだしたそうです。(ウソ)


というわけで、折角いただいたコメントに返信できずに申し訳ないです。帰国後、しっかり冷静になった頭で返信させていただきたいと思います。

以上、取り急ぎご報告でした。
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2008年04月21日

生卵とジェロ

4月末までしばし日本を離れます。


どうしたものか、な話。
出発直前になって冷蔵庫の生卵(10ヶパック)の存在に気付く。3つだけ茹でておいしくいただいたが、残りは断腸の思いで放置プレイ。
誰もいない部屋で少しずつ腐乱していく生卵はちょっとしたホラーだ。


全くどうでもいいが、ここ数日ジェロの「海雪」が頭から離れない。
ジェロは本当に出雲崎に行ったことあるのだろうかとか、
いい歌なんだがせめて着流しで歌ってほしいものだとか、
エマニエル坊やは今頃どうしてるのだろうかとか、
日がな一日考えさせる「海雪」は罪な一曲だ。


次回は映画「二百三高地」を投稿予定です。
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2008年04月18日

ご報告

先日、俳優としての活動基盤であった所属事務所を辞めました。

結論としては、プレーヤーとして限界を感じつつも、過当競争・栄枯盛衰の激しいショービジネスの世界にこだわり続けることより、自らのもう一つの基軸であるWEBメディアの世界で勝負していくことを選択しました。

そもそもモデル系の事務所であるにもかかわらず、明らかに毛色の違うザ★劇団系の自分に機会を与えてくれた所属事務所には真摯に感謝しています。

また、すでに悩む段階は乗り越えており、今はこれまでのアドベンチャーな経験をいかにWEBというプラットフォームに投影できるかを思案している最中です。


ということでプレーヤーとしての活動には区切りをつけましたが、今後は恐らく多くの方がご存知であろうエンタメ系サイトのディレクションを手がけていくので、別の角度からエンターテイメント業界と関わっていくことになります。

なお迷いましたが、当ブログについては継続していく予定です。
編成コンセプトについては若干の変更が必要ですが、元々「俳優」的立場から起稿した記事は少ないので、基本路線は変わりません。(←そんな大層なブログでもないが)
これからはより自由に書きたいことを社会の隅から書いていこうと思っています。

特に本腰を入れ始めた戦争映画コラムについては、古今東西の戦争映画を絡めつつ、裏にある歴史の本質について稚拙ながらまとめていくおつもりです。

同時に従来のバカコラムも思いつくまま書いていきたいので、今後はマジメ→バカ、バカ→マジメを無節操に往復していくことになりそうです。


最後に、これまで私の演劇活動を色々とご支援いただきました皆様に、略式ながらこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
誠にありがとうございました。
posted by n-o-b.net at 11:43| Comment(7) | TrackBack(0) | ■ 一人でできるもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月16日

シリーズ突っ込みたくて Vol.3[腰パン]

腰パンってあるじゃないですか。
パンツを腰ではくやつ。

日本に限らず、世界中の若人のストリート・ファッションとして定着しているあれね。
自分が真似することはまずありえないが、個人的には全然そういうのもありだと思う。

階段上りにくくない?とかヘソ冷えない?とか思うことはあるが、"ファッション"の名の下に機能面を犠牲にするのはよくあることだ。

例えば、ネクタイなんてよく考えたらなんの役にも立たないどころか、ラーメンに浸かってもちっともいいダシは出ない。
ニット帽をオールシーズンで着用するには日本の夏は暑すぎるし、軍パンでカモフラージュするほど殺伐としてもいない。

先端を行くファッションショーの現場まで行っちゃうと、「もはや服っていうレベルじゃないよな」と思うものばっかり。

それを考えれば腰ではくことなんて十分常識の範囲内だろう。服装の乱れと決め付けて目くじらを立てることはない。


しかし、以上の前提を踏まえつつも、先日街で見たそれにはたまげた。

腰というよりさ、もう膝ですよあれは。

↓こんな感じ
ミケランジェロさん、ごめんなさい


そこまで下ろしたら
色んなモノが「チェケラ!」しちゃわない?
なんてちょっとハラハラ。

"見せパン"なんて言うけど、一歩間違えて
ドルチェ・アンド・ガッバーナ
なんてことになったら"前科一犯"もありえなくはない。

というかどこに引っ掛かってんの?
とつい若人の下半身を二度見、三度見したところで正気に返る。


あれは下降線をたどる世界経済に対するアンチテーゼなのかもしれない。

だけど、これまでの経験則から言うと、10年後にはきっと消したい過去になっているだろうね。
誰しもあるよ、中学の時にクツ紐を緑の蛍光色に変えていたこととか、「男子トイレはこちらです」と言わんばかりの肩パット入りジャケットとか、ネガごと焼却したくなるような幻のオシャレ・ファッションが。

↓腰パンをかわいくするとこんなイメージ
PEANUTS
PEANUTS (C)United Feature Syndicate, Inc.


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2008年04月13日

シリーズ突っ込みたくて Vol.2[タバコ]

ワタクシは基本的に非喫煙者である。

基本的に、ということは応用があるということ。
その時と場合について書いてみたい。

そもそも5年ほど前までは普通に喫煙者だった。
だけど、なんか唐突に意味のない行為に金と時間と健康を消費することがアホらしくなってぱったりと止めてしまった。


最近では喫煙スペースなんかも随分縮小傾向にあるようで、つくづく止めてよかったなあと実感する。

例えば、

某Mバーガーの喫煙スペースは電話ボックス大。そこで2人の男子が身を寄せ合って吸っている様子は、酸素の足りない金魚ばちの金魚のようだった。

未だに歩きタバコをする人も結構多い。地下鉄の駅から地上に上がる時、辛抱たまらんのか上りのエスカレーターで口にくわえて用意していたりする。そして地上に出るやいなや着火。それをスターターの合図とするかのように夜の帳の中へと消えていく。
そういう姿は非喫煙者から見ると「ぷっ」って感じだ。

駅の周辺も最近は喫煙できるところが減っているようだ。
一角に設けられた喫煙所から朝の豆腐屋のように白煙が立ち上っているさまはすっかり東京の風物詩だ。



それにしても
「そこまでして吸いたいのかね?」
と喫煙者の友人に聞いたら
「うん。そこまでして吸いたいんだよ。」
と即答だった。


さて、ここで喫煙者の方に問いたい。

皆さんはタバコをオカズにご飯食べられますか?

さすがにこれには「食えるわけないじゃん」って答えが多いのではないだろうか。

しかしだ。俺に言わせれば
皆さんが居酒屋でやってるのはそういうことですよ。

例えば、吸いしなにフードが運ばれてくると、
「あ、チャーハン来た」
と、ぱくっと食べてはすぐさま灰皿のタバコに手を伸ばす。

ね。

確かにね、お酒とタバコって相性いいですよ。わかりますよ、元喫煙者として。
とはいえ、今となっては「タバコをオカズにご飯」に付き合わされるのは結構つらい。
だからといって、喫煙率高しの宴会であった場合、もう我慢するしかない。

だからね、そういう時は自分も開き直って吸っちゃいます。


自分にとってカラオケボックスは地獄だ。
あの密室の中で2人も喫煙者がいたものなら、もはや呼吸もままならない。
そこで「歌を歌え」というのだから、ほとんど拷問に近い。

だからね、そういう時は自分も開き直って吸っちゃいます。


実家の近所に中華の定食屋がある。そこの店員はありえないことに堂々とくわえタバコで中華鍋を振っている。困ったことにそこの人気メニューは「手作り餃子」だ。そして最もありえないこととして、そこの店は結構繁盛している。
お陰で俺(当時高校生)がバイトしていた隣のファミレスは潰れてしまった。


だからね、その時は自分も開き直って吸っちゃったよ。
(未成年の喫煙は法律で禁じられています。)


寿司屋の板前が喫煙者ってこともあった。流石に握りながらってことはないが、やはり堂々と板場でお吸いになっていた。自分、俺が雄山だったら顔に酢飯投げつけられても文句言えねえぞ、と内心思いつつその時は一気に食欲が失せて店を後にした。
「美味しんぼ」コミックス第4巻「板前の条件」参照。良三のあの話。


要するに、自分が喫煙する場面というのは、ある意味防衛のためなのだ。
したがって、「何言ってんの?自分、タバコ吸ってたじゃん」って場合は、大抵上記のパターンかご自身が喫煙者のはずである。


なお、ご存知だろうか?
喫煙者とは医学的には病人に分類される。(本当)

taspoの本格的導入まで、後わずか。
喫煙者の方にとってはえらい迷惑だと思うが、いい機会なのでその病気、治しちゃえばいいのに。手伝うよ。

というわけで、本日付けで
「友達のタバコをこっそり
シナモン・スティックにすりかえる会」

を発足したい。
現在、会員及び会長候補募集中。

Just quit it

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2008年04月12日

シリーズ突っ込みたくて Vol.1[レジ袋とシール]

戦争映画コラムの箸休めに、どうせまた中途半端に終わるだろう新シリーズを立ち上げ。
現代社会に渦巻く悲喜こもごもに、それとはなしに鋭いメスを入れるコーナー。


なるべくレジ袋をもらわないようにしている。

それは、エコとかロハスとかそんな宇宙船地球号の乗組員的理由ではなく単純に邪魔だから。もらっておけばゴミ袋として使えるけど、たまってくるとそれ自体がゴミになってしまう。

そうなると会計の度に「このままでいいです」とか「袋いらないです」と店員に告げなくてはいけない。

以前、とあるスーパーでやはり「袋いいです」と告げた。
すると、レジの姉ちゃん「ありがとうございます」と言いつつ(チッ)と小さく舌打ち。

え?今舌打ちされた?
いやまさかそんなわけねえだろ


と思っていたら、お姉ちゃん、買った商品全てにシールをつけ始めた。ご丁寧に裸のキャベツにまで直接。

ないないない、その線はないよお姉ちゃん。


その手間を考えたら、袋を渡した方が楽だったんだろうね。
会計済みですよってことを示すお店のルールなんだろうけど、それってどうしても必要?


場所変わってブックオフなんかでも袋いらないっていうと「それではシールで失礼します」と、「お客様の大切な本」にべったりとシールを貼りよる。

ただでさえ、ブックオフの値札シールはなぜか対角線に×印の切れ込みが入っていて剥がしにくい上、重ね貼りされたシールの枚数で最低でも何オーナーを経ているかがわかるシロモノだ。

そこにさらに新しい仲間を増やそうというのか。

そいつは●ァックオフ!というものだ。

万引き防止のため、というのがその理由なのだろうが、「店の袋に入っている」あるいは「シールが貼ってある」ってことがそんなに重要か?

だったら、袋やシールを使い回せばあっさり万引きできてしまうではないか。

大体、そういうところに限ってレジ脇に「不要なレシート入れ」を置いていたりする。

レシートの方が確実にエビデンスとしての能力は上だろうに。



やれやれだ。

早いとこ必要な時にだけ買う方が「袋ください」って言うシステムになって、後はノーシールでレジをスルーさせてほしい。


変なおじさん
昔丸の内線のホームで見た頭にレジ袋を乗せて立っていたおじさん。
思わずシャッターを切ってしまったが、あれは一体何だったのか未だに謎。プレイ?


変なおじさん2
レジ袋の新しい可能性


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2008年04月09日

戦争映画 FALL IN!! Vol.6 「ジョニーは戦場へ行った」

ジョニーは戦場へ行った英タイトル: Johnny Got His Gun
公開年: 1971年
製作: アメリカ


ハリウッド・テン(後述)の1人、ダルトン・トランボが自身の小説「ジョニーは銃を取った」(1939年)を映画化。
必死に「俺を助けてくれ、どうか殺してくれ」と声にならない悲痛な叫びを上げるジョーの姿は観る者に強烈な印象を残す。通称「ジョニ戦」(ウソ)。


ストーリー
愛するカリーンに別れを告げ、第一次世界大戦に出兵したジョー。しかし、戦場で爆撃を受けて負傷し、病院に搬送される。無事だったのは延髄と性器のみで、目も耳も口も鼻も失い、手足は切断されてしまう。ジョーは過去を回想しつつ、現実に絶望し、自らの死を望むのだが・・・。
(Wikipediaから修正引用)


そろそろヨーロッパ戦線を一時離脱しようかなということで、継投でVol.1同様、舞台やイデオロギーに関係なく「反戦」を明確なテーマとしている本作を選んでみた。

未見の方のために最初に言っておかねばならい。
今回の「ジョニ戦」もVol.2「炎628」と同系統、

つまりトラウマ系映画である。


グロいシーンは一切ないが、救いがない度合いだけで言うとこっちの方が上をいく。
反戦映画の代表というより欝映画の代表として有名かもしれない。

さらにどんよりさせる要素として、この話、実話を基にしている


「ジョニーは戦場へ行った」の背景

― 1998年、アカデミー賞名誉賞の授賞式。会場は異様な空気に包まれていた。

直立して祝福の拍手を送る者、
拍手はするが席は立たない者、
拍手どころか顔をしかめ腕組みする者、
三者三様であった。

受賞者の名前はエリア・カザン

アクターズ・スタジオの創設に関わった人物で、ハリウッドの発展に大きく寄与し、名誉賞の受賞に値する経歴の持ち主だった。

しかし、彼には暗い過去があった。

時は二次大戦後、冷戦モードに突入した1940年代後半。
レッド・パージ=赤狩りの嵐が西側諸国に吹き荒れ、徹底した共産主義者排斥が行われた。
その波はハリウッドにも押し寄せ、大きな影響力を持つ映画関係者の中にも共産党員がいないか調査が進められ、疑いのあるものには容赦ない圧力がかけられた。

チャップリンブレヒト(Vol.3終盤で紹介)といった大物も、レッド・パージの果てにアメリカを追われ、ヨーロッパへと渡った人物たちである。華やかなハリウッドの世界にはこんな黒歴史があったのだ。

エリア・カザンにも共産党員の疑惑がかけられた。(実際に元共産党員だった)
疑惑を晴らすため、エリア・カザンは司法取引に応じ、疑わしい人物の名前を売った。
つまり、「密告者」となったのだ。

一方、カザンとは逆に、証言を頑なに拒否した10人の映画監督・脚本家たちがいた。
彼らはハリウッド・テンと呼ばれ、言論の自由を掲げて司法の場で争うが、結局敗訴してショービジネスの世界を追われた上、刑務所送りとなった。

本作の原作・脚本・監督のダルトン・トランボは
そんなハリウッド・テンの1人であった。


しかし、トランボはめげなかった。
釈放後も偽名を使い、身分を隠して精力的に執筆活動を続ける。

1953年、トランボはイアン・マクレラン・ハンターの名を借りて「ローマの休日」を執筆した。言わずもがなではあるが、「ローマの休日」はオードリー・ヘプバーンという世界的スターを産み、今に語り継がれる大ヒット映画となって、その年のアカデミー原案賞を受賞した。

1956年には、ロバート・リッチ名義で「黒い牝牛」を執筆、こちらもアカデミー原案賞を受賞。
なお、アカデミー原案賞は1956年の「黒い牝牛」をもって廃止された。廃止の理由は明かされていないが、一説ではロバート・リッチがハリウッドを追放されたダルトン・トランボであると気づいたためだという。

その後1960年に「スパルタカス」、「栄光の脱出」でようやくハリウッド復帰を果たした。


そんなトランボの悲願が、「ジョニーは戦場へ行った」の映画化だった。

本作は小説の段階で、幾度も発禁処分となり、アメリカが戦争をする度に絶版、復刊を繰り返していた。
紆余曲折の果てに、1971年トランボ自らがメガホンを取って、小説発表から30年越しに映画として結実させた。
なお、当時アメリカはベトナム戦争の真っ最中。よく公開できたものだ。
結果として、アメリカでこそヒットしなかったものの、ヨーロッパや日本では高い評価を得る作品となった。


一言で言うと
俺的率直な感想は、
すっごい前向きな姿勢で、すっごい後ろ向きな
映画を作ったんだね、

といったところ。


ところで、実話が基である、と前述したが、モデルとなったイギリス人将校は一時大戦で被爆して四肢と耳、眼、口を失いながら15年間、闇の中を生きたのだという。
意識はあったのだろうか?ただ死を待つというのはどういうことだったのだろうか?
・・・頭が重くなってきたので、この辺にしておこう。


「ジョニ戦」の「へえ」
最後に、いくつか観賞ティップスを紹介。

本作の主人公はジョーなのにタイトルは「ジョニー」。
なぜかというと、タイトルは「ジョニーよ、銃を取れ」("Johnny, get your gun")という一時大戦時にアメリカが志願兵募集のために用いたスローガンを皮肉っているから。

知らなかったけど、IMDBをチェックしたら、キャストにダルトン・トランボの名がある。演説者(Orator)ってことだけど、そんな人いたかな?これから観る方がいたら探して教えてください。

若かりしドナルド・サザーランドが「キリスト」と呼ばれる役で出ている。
Donald Sutherland
こうして見ると息子のキーファー(ジャック・バウアーね)とそっくりだ。
Kiefer Sutherland


似ている小説
原作小説「ジョニーは銃を取った」を遡る10年前、江戸川乱歩が発表した短編小説「芋虫」は「ジョニー〜」とよく似ている。
トランボが影響された可能性は低いが、戦争で四肢と視覚、触覚を除く五感を失うという設定や、戦時中に発禁を喰らったという点が共通している。
もっとも乱歩には反戦的意図は全くなく、彼独自の屈折した世界観を表現したにすぎないらしいが。焦点も変わり果てた夫に倒錯的サディズムを抱く妻に当てられている。


無関係リンク
申し訳ないほど無関係だけど、「闇の中を生きた」でふとカスパー・ハウザーのことを思い出したのでリンクを貼ってみた。
Wikipedia
x51の記事





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 Vol.7 「二百三高地」
 Vol.5 「ヒトラー 〜最後の12日間〜」
 Vol.4 「戦場のピアニスト」
 Vol.3 「戦争のはらわた」
 Vol.2 「炎628」
 Vol.1 「西武戦線異状なし」
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2008年04月06日

戦争映画 FALL IN!! Vol.5 「ヒトラー 〜最期の12日間〜」

ヒトラー 〜最期の12日間〜独タイトル: Der Untergang
公開年: 2004年
製作: ドイツ・イタリア・オーストリア合作


「ドイツ人がヒトラーの映画を作った」 ― これだけで話題性十分の1本。物語は邦題の示す通り、独裁者ヒトラーの末期を実在の女性秘書の視点から再現したもの。ブルーノ・ガンツがとにかく似ていると話題になったが、似すぎていただけに議論を呼んだ作品でもある。


ストーリー
1945年4月20日、ベルリン。迫りくるソ連軍から身を守るため、ナチス党総統アドルフ・ヒトラー(ブルーノ・ガンツ)は、ごく限られた身内や側近たちと共にドイツ首相官邸の地下にある要塞へ退却。ヒトラーの個人秘書であるトラウドゥル・ユンゲ(アレクサンドラ・マリア・ララ)もその中にいた。側近たちはすでに敗戦を確信していたが、客観的な判断能力を失っていたヒトラーだけが、不可能な大逆転の作戦について熱く語り続けていた。やがて側近たちの逃亡、裏切りが相次ぎ、ヒトラーは最終決戦を決意。
(goo映画あらすじから抜粋)


お気づきかもしれないが、Vol.1からここまで一貫してヨーロッパ戦線についての映画を取り上げ、その全てにドイツが関係している。

お陰でナチズムは突如沸いて出たわけではなく、一次大戦後の列強による圧力、屈辱、貧困の結果、じわじわと育ってきたということが見えてきた。

映画は邦題が示す通り、もはやドイツの敗戦が決定的な状況を描いている。
なので、今回はナチス党がドイツ国内で頭角を表していく背景を追ってみた。


「ヒトラー 〜最期の12日間〜」の背景
1934年、国家元首の座についたヒトラーは国民投票の結果90%の支持率を得ていた。

驚きの数字である。
アドルフ・ヒトラーといえば、すぐさま悪の権化、サタンの申し子といったイメージで捉えられることが多い。しかし、これだけの支持を受けた背景として、彼に民衆を惹きつける魅力があったことは間違いない。

さえない画学生だったヒトラーはどうしてドイツ国民の熱狂的な人気を勝ち得たのだろうか?


1. 経済復興
1919年、第一次大戦敗戦の後に生まれたヴァイマール共和国は、理想的な憲法を掲げ、復興を目指したものの、1320億金マルクという気の遠くなる賠償金アルザス・ロレーヌ地方、ルール地方といった重要な経済拠点を奪われるなど、列強の締め付けに苦しんだ。
(この辺の話はVol.3でも触れた通り。)
ドイツ経済はハイパーインフレーション状態に陥り、紙幣は紙切れと化した。

シュトレーゼマン外交、アメリカの仲介による賠償金減額(ドーズ案、ヤング案)により、一時は復興の兆しを見せるが、世界大恐慌が決定的なクリティカル・ヒットとなる。

街には失業者が溢れ、社会不安は募る一方だった。


そんな中、ナチス政権は誕生した。
ヒトラーは第一帝国(神聖ローマ帝国)、第二帝国(ドイツ帝国)に次ぐ第三帝国を標榜し、ドイツ民族の歴史的な優秀性を鼓舞する。「ドイツ人よ、卑屈になるな」と。

そして首相就任演説において、ヒトラーは
「ドイツ国民よ、私に4年の猶予を与えよ。」
と宣言し、失業の解消と国民生活の向上を公約した。

首相就任演説の映像


ヒトラー自身は経済に疎かったが、経済大臣にシャハトを登用し、アウトバーンの建設に代表される公共事業を打ち立て、雇用を創出した。

その結果、4年後には完全雇用を実現し、ドイツはアメリカに次ぐ第2の経済大国となった。

つまり、公約を本当に実現したわけだ。


2. 宣伝
ナチスは宣伝という手法を政治に取り入れ、大いに活用した。
宣伝大臣という新たなポストに就いたヨーゼフ・ゲッベルスはメディアを活用することの重要性を熟知し、その方法も知っていた。

その代表例は以下の通り。

・ベルリン・オリンピック(1936年)
テレビ中継が史上初めて行われたのは実はベルリン・オリンピックで、盛大な開会式や開会宣言するヒトラーの様子がベルリン市内に放送された。
また、女性映画監督レニ・リーフェンシュタールに、「オリンピア」というプロパガンダ映画も制作させる。

・ラジオの普及
ゲッベルスは高価だったラジオを格安で販売しその普及を促し、メインストリーム・メディアとなったラジオを通じてヒトラーの演説を国民に伝えた。

・イメージ戦略
ナチス高官の写真には修正が加えられ、徹底したイメージ操作が行われていて、国民に「英雄的」イメージを植えつけていた。

↓ナチスのナンバー1、2、3の肖像。いずれも"よく撮れている"。
ヒトラーゲーリングヒムラー
※左からヒトラー、ゲーリング、ヒムラー

実際にはヒトラーは髪が薄かったし、ゲーリングはぶっくぶくに太っていたし、ヒムラーは凡庸な小役人的風貌だったという。

こうして扇動されたドイツ国民は「退廃」に向かって進んでしまったわけだ。


ナチス高官の最期
ヒトラーとゲッベルスの最期は映画の中に登場するが、他の高官たちのその後は最後にごく簡単に紹介されているだけ。なので、ここで彼らの足取りをまとめてみた。

ヘルマン・ゲーリング
国家元首。ニュルンベルク裁判後、死刑が確定したが、執行直前に青酸カリをあおって自殺。どうやって青酸カリを牢屋に持ち込んだのか謎とされていた。当時19歳の米兵が万年筆に仕込んだ青酸カリを街角で出会ったドイツ人女性に「常備薬だから」と渡された、という話がつい最近出回ったが、真相は不明。
彼の死体は焼却され、遺灰は川に捨てられた。

ハインリヒ・ヒムラー
親衛隊(SS)最高司令官・秘密警察(ゲシュタポ)長官。彼のトレードマークであるヒゲを剃り、メガネを眼帯に変えて2人の部下と共に逃走。ドイツ北部のイギリス軍の検問所で捕まる。尋問キャンプに連行され、身体検査中に奥歯に仕込んだ青酸カリのカプセルを噛んで自殺。
服毒に気づいた軍医たちは水の入ったボールに頭を押し込むなど救命処置を試みたが、15分後に絶命したという。

マルチン・ボルマン
総統秘書長。ヒトラーの信頼を得て党内でめきめき出世し、ヒトラーの最期を見届けた一人。遺言によりナチス党首に任命されるが、ベルリン脱出を試み足取りが途絶えた。ボルマンの生死は長年不明で様々な憶測を呼んだが、1972年ベルリンのヴァイデンダム橋近郊で見つかった2つの死体のうち1つがボルマンのものであると認定された。(もう1体はヒトラーの主治医のもの)死体には服毒自殺の痕跡が見られたらしい。
が、未だボルマンの国外逃亡説を信じる者も多い。

ルドルフ・ヘス
ナチ党副総統。ヒトラーの長年のシンパで、ミュンヘン一揆後ランツベルク刑務所収監中に「我が闘争」を口述筆記した人物。鬱病気味だったヘスは既にヒトラーの信用を失っていた。1941年、停戦交渉のため単独飛行でイギリスに飛んだが、ロンドン塔に送られた。従って、映画には登場しない。
ニュルンベルク裁判で終身刑を言い渡され、シュパンダウ刑務所に服役。
1987年、ヘスは服役中の所内でコードが首に絡まって死亡しているのを発見された。ヘスの死については、自殺説(公式見解)、殺害説、更には戦中替え玉説まで諸説紛々。

ヨアヒム・フォン・リッベントロップ
外務大臣。日独防共協定(1936年)や独ソ不可侵条約(1939年、モロトフ・リッベントロップ協定)を締結した外交官。党内ではゲッベルスに疎まられていた。ニュルンベルク裁判により絞首刑。

アルベルト・シュペーア
軍需大臣。作中、地下壕を訪問しヒトラーと会見した人物。
ヒトラーお気に入りの建築家で、ヒトラーは自身が果たせなかった芸術家としての夢を彼に託していたというが、後にヒトラーと袂を分かつ。
ニュルンベルク裁判では禁固20年の判決を受け、ナチス高官のうち唯一極刑を免れた。1981年、ロンドンにて死去。

アドルフ・アイヒマン
親衛隊中佐。ホロコーストの中心人物。
米軍に捕縛されるも、巧妙に逃亡を図る。ドイツ→イタリア、そして中立国アルゼンチンへと渡る。のちに家族を呼び寄せて、ブエノス・アイレスで平凡な生活を送っていた。
戦後イスラエル情報機関モサドヴィーゼンタール・センターによって、ナチス残党狩りが始まり、600万人の同胞を葬ったアイヒマンは第一の標的であった。
1960年、モサドはベンツ工場で働くリカルド・クレメントという男をマークした。ある日、男は帰宅途中に花束を買った。それを見たモサドはこの男こそ標的であると確信する。なぜなら、その日はアイヒマンの結婚記念日だった。
アイヒマンはイスラエルへと送られ公開裁判にかけられた後、1961年に絞首刑に処された。
アイヒマン裁判での有名な一言。「私はただ命令に従っただけだ。」

ちなみに本作の監督オリヴァー・ヒルシュビーゲルが撮った映画「es」は、スタンフォード監獄実験を基にしており、さらにその基になった実験はアイヒマン実験と呼ばれる。


おまけとして、1972年から1981年まで2期連続で国連事務総長を務めたクルト・ヴァルトハイムは、元ナチス突撃隊の将校だった。(発覚は事務総長辞任後)2007年6月に、心不全によりこの世を去る。


観賞のツボ
・2人の主人公
本作の主人公はヒトラーではない。1人は秘書のトラウドゥル・ユンゲであり、もう1人はベルリンの少年ペーターだ。
トラウドゥルは地下壕の中で焦燥し失墜する権威の模様、ペーターは戦火の中カオスに陥るベルリン市街の模様を観るものに伝える。
交わることのなかった2人は物語終盤、小さな接点で結ばれることになる。

・タバコ
ヒトラーはタバコ嫌いで、喫煙を禁じていた。にもかかわらず、作中たびたび喫煙のシーンが登場する。これはヒトラーの権力が"Der Untergang" ― 「凋落」していたことを象徴している。


併せてどうぞ
「アドルフに告ぐ」 手塚治虫著
俺的手塚マンガの最高傑作。幾重にも重なる社会情勢、深い人物描写、手に汗握るストーリ展開、ありきたりでないメッセージ性、完璧っす。
読み返すとその度に発見がある。情報収集も今ほどままならない時代によくぞここまで重厚なストーリーを紡ぎ出したものだと感嘆する。特にアドルフ・カウフマンがナチズムに傾倒していくさまは必読。


参考文献
「ヒトラーの秘密警察」 ルパート・バトラー著 / 原書房刊




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2008年04月05日

白い衝撃

春だ。
先日、某大学の前を通りかかると丁度入学式の日だったようで、サークルの勧誘で人が溢れていた。

新入生を横目に桜吹雪の中を歩くと、なんとも新鮮な気持ちになった。

すると

「新入生ですか?」

と勧誘のお兄ちゃんに声をかけられた。

その日はたまたまめったに着ないスーツを着ていたためと思われるが、オーバー30の自分が、いくらなんでもつい最近まで高校生ってことはないだろう。

とはいえ、悪い気はしない。
「違いますよ」
と言いつつも、なぜかしたり顔だったと思われる。

前日に体組成分析の結果が20代前半と出ていたこともあり、非常に気をよくしてルンララ気分で街を闊歩。




― その夜。

ふと鏡を覗くと、鼻孔にちらと見慣れぬ色素が横切った。


なっ、白髪だ。


大層ショックだった。
若いおつもりでいても、着々とエイジングは始まっているのだ。当たり前だけど。

「自分、調子に乗ってました。ちょっと間違えられただけで『まだまだいける』と勘違いしていました。」
と白鼻毛様に陳謝。

あ、一句できた。


春来たり 桜に染まりし 我が鼻毛




弓道部
posted by n-o-b.net at 20:42| Comment(1) | TrackBack(0) | ■ 一人でできるもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする