2010年02月09日

【INDEX】マレーシア・ボルネオ紀行

マレーシア・ボルネオ紀行[子の巻]・・・・・・東京→コタ・キナバルへ
マレーシア・ボルネオ紀行[丑の巻]・・・・・・登山開始→ラバン・ラタへ
マレーシア・ボルネオ紀行[寅の巻]・・・・・・キナバル山登頂
マレーシア・ボルネオ紀行[卯の巻]・・・・・・下山→ポーリン温泉
マレーシア・ボルネオ紀行[辰の巻]・・・・・・ポーリン温泉→コタ・キナバル
マレーシア・ボルネオ紀行[巳の巻]・・・・・・コタ・キナバル→ブルネイ?
マレーシア・ボルネオ紀行[午の巻]・・・・・・ディープ・ブルー
マレーシア・ボルネオ紀行[未の巻]・・・・・・ジェッセルトン・ポイント他
マレーシア・ボルネオ紀行[申の巻]・・・・・・コタ・キナバル→帰国

結局起稿から擱筆(かくひつ)まで1年を擁した今回の旅行記。
それならさぞかし一大絵巻なのかといえば、何の変哲もないありふれたトラベルブログですが、これでようやくぽっくり逝っても心残りはないというものです。
FC2 Blog Ranking

2010年01月22日

マレーシア・ボルネオ紀行[申の巻]

第6日目
8時に起床。帰国日である。
パッキングを先に済ませ、昨日宿に到着した日本人カップルを連れ立って、日曜市にいってみた。

KK日曜市

彼らとはすぐに別れて、1人でぶらぶらと通りを流した。

KK日曜市2

露店で目に付いた小物やアクセサリーをお土産用にいくつか購入し、朝食にと食堂に入ってミー(麺)を注文した。

KK港

数ブロック離れたセンターマーケットにも足を伸ばす。
日曜なのでそれほど活気はないが、野菜、魚など日本ではお目にかかったことのない珍しいものがいくつも並べられていて興味深かった。

センターマーケット

KKもこれで見納めなので若干遠回りをして9:30には宿に戻った。

Normanが起きていて、ティーを勧めてくれた。
たった3日だが、すったもんだあったこともあり、すでにここTropicana Lodgeはちょっとした我が家感覚が芽生えていたので、後小1時間で立ち去ると思うと、なんだか後ろ髪を引かれる思いもあった。

宿代の精算を済ませたところでVincentがやってきた。
「もう発つのか?」と聞かれ「そうだ」と答えると、「次はいつくるんだ?」と返ってきた。

「俺がまたこれる保証はないが、俺の知り合いでKKに行くって人がいたら必ずここを紹介するよ」
と告げると、
「そうか。ならこうしよう。Nobuに紹介されたって言う旅行者がきたら、インターネットはタダで使い放題にしてやるよ」

(・・・時間が経ちすぎているので今更ではあるが、万に一つこれからボルネオはコタ・キナバルに行く機会があり、Tropicana Lodgeに泊まるという天文学的確率のお方がいらっしゃいましたら、↑とオーナーのVincentに言ったらインターネット利用料を無料にしてくれるかもです。)

Normanと連絡先を交換しようと言う話になったので、E-mailアドレスを聞こうとしたら、Facebookの登録名を教えられ、「友達登録してよ」と言われた。

なるほど、ってことは最近はバックパッカー同士の連絡先交換もSNSを通じてやんのかなあ、と思った。

時間になったので、2人と握手と別れの言葉を交わし、呼んでもらったタクシーに乗り込んだ。

タクシーの運転手はえらく陽気な人で到着するまで延々と話しかけられた。

「KKはいいところだろう?キナバル山には登ったのか?そうか、きれいだっただろう。俺は田舎育ちだから小さい頃は山を飛び回ってたもんだが、今じゃシグナルヒルに登るに登るだけでもぜいぜいもんだ。
お前は1人もんか?そうか、家族は早く持ったほうがいいぞ。俺か?もう孫が3人いるよ。」


こんな調子で彼の故郷自慢、家族自慢を聞いているうちに、車はターミナルへと辿りついた。

今回の旅は短い割に喜怒哀楽色々あったが、最後に楽な感じのおっちゃんにしめてもらえたのは実に幸いであった。

空港でチェックインし、荷物を預け、残ったリンギットを円に交換した。

身軽になったところでスターバックスに入り、余ったリンギットをきれいに消費してお茶を買った。

店の外の椅子に腰掛け、温かいお茶を流し込み一息入れながら、怒涛のような6日間の行程を反芻し、さて次はどこの国にお邪魔させてもらおうかという想いを巡らせていた。

帰国便から

2010年01月03日

マレーシア・ボルネオ紀行[未の巻]

第5日目
前日にかなりのドカ寝を繰り広げたにも関わらず、目が覚めると10時を回っていた。我ながらよく眠れたものだ。

すでにボスのVincentはおらずNormanが共有スペースで優雅にタバコをふかしていた。

ドイツ人青年とドイツ人夫婦もいて、テレビで「デスペラード」を観ていたので自分も朝食がてら序盤だけ同席し、準備ができたので11時前には出発した。

とはいえ、本来ならブルネイにいるはずだったわけで、予定も計画もあろうはずもない。

よく晴れ渡る空の下、とりあえず宿の裏手にある裏山を登り、シグナルヒルと呼ばれる展望台に行ってみた。
そこはKKの街並みが一望できるちょっとした場所で、洋の東西を問わずまとまった数の観光客が見られた。

シグナルヒル1

こうして見るとKKはなんだか見覚えがある気がするなあと思ったら、そうだ海のクリア度を除けば熱海にそっくりだなあと熱帯の暑さにほだされながらぼんやりと思った。

シグナルヒル2

圧倒的な暑さと他の観光客からやたらにカメラマン役を仰せつかるのが疎ましく思われ、丘を下りる。

さて次はどうしようかと、目的もなく海沿いを歩き、なんとなくバス停に並んだ。

KK港

横にいた初老のオッチャンが「どこにいくんだ?」と聞くので「どこに行けばいい?」と素っ頓狂な質問を投げ返すと、至極真面目に「いくあてがないならWetlandに行くといい。それなら俺と同じ方向だ」とのたまう。
「へえ、何があるの?」と聞くと「鳥」とこれまたシンプルな答えが返ってきた。
断る理由はない。

オッチャンと一緒に何本かのバスをやりすごした後、オッチャンが言うまま来たバスに乗り込んだ。

10分もしない内に肩を叩かれ、「ここだ」と言われたのでなんとなく握手をしてバスを降りた。結論から言うとオッチャンの言うWetlandから大分遠い位置で降ろされたのがこれもまあご愛嬌というものだ。

加えて一切看板がないので、炎天下を20分近く歩いた後に道行く人に尋ねたところ今来た道を20分ほど行ったところだと言われげんなりしたが、それもまた愛嬌と言うものだ。

目的地の手前に丁度いい感じのショッピングセンターがあったのでそこで水分とカロリーを補給する。

たどりついたWetland Centerは20ヘクタールの沼地の中に足場だけ設け、来る鳥拒まずの鳥の楽園であった。

Wetland Center

確実に確認できたのは白鷺とムツゴロウ(Mudskipper)が作った泥山の一群くらいだったが、十分に楽しめた。

ムツゴロウの巣
ムツゴロウの巣穴。こういうのがいっぱいあった。

14時にそこを出て、また手前のモールで水分補給する。

往路と同じバスに乗り、今度はジェッセルトン・ポイントと呼ばれる港で降りた。(RM0.5)

ジェッセルトン・ポイント

余談だが、ジェッセルトンとはKKがまだイギリス領だった時の名称で、その名残である。

さらに余談だが、その後ボルネオは第2次大戦時に日本領となる。
つまり、この地はかつてはパスポートなしで来れる"わが国"であったわけだ。

加えて余談だが、この時に読んでいた本は「サンダカン八番娼館」というノンフィクション作家、山崎朋子の著書である。

その内容は明治時代に"からゆきさん"として日本からボルネオ、サンダカン(ボルネオの東に位置するかつての首都)に連れてこられた女性の哀しい歴史絵巻である。

この地で読むには余りに思うところが多い一冊であり、この地で読むがゆえに教科書では決して読み取れない歴史の暗部と、その深奥に流れる何百年、何千年経とうと変わることのない人間の欲動というか情念というか、そういう感情の渦が津波のように押し寄せる読書体験であった。


話を戻す。
たどり着いたジェッセルトン・ポイントはかつての軍港としての面影は微塵もなく、近隣の島々へと観光客を運ぶ行楽のゲートウェイであった。

例によって自分には計画も予定もないので、折角なので近場の島へ足を伸ばすことにした。

チケットカウンターへ行き、最初は手軽に一番近いサピ島へ行こうと思ったが、自分以外誰もサピ島へ行く人がおらず、最少催行人数の7人に満たないのでボートを出せないと言う。

ふと、前に並んでいたシンガポール人男性2人にどこに行くのか尋ねると、その少し先のマヌカン島だという。

ならば、ということで自分もあっさり目的地を変えた。
こだわる理由など何一つない。

10分ほど待ち、1組の中国人カップルがやってきたところで、7人には満たないがゴーサインがかかった。

ボートはえらい揺れてザッパンザッパンと20分程海原を駆け、マヌカン島へと寄港した。

マヌカン島へ

到着すると中国人カップルが「え?自分達が行くはずだったのはサピ島だったんだけど」とゴネ始め、バウチャーを見せて一悶着始まったが、船頭が「どっちも大差ないよ」というと意外なほど2人ともあっさり折れ、下船した。

彼らが折れたのもうなずける話で、何しろ目の前にあるビーチも覗いた青い海も文句のつけようのない美しさで、ここでもいいかという気にもなるだろう。

↓こんな感じ
マヌカン島1
※クリックで拡大

↓で、こんな感じ
マヌカン島2
※クリックで拡大、点みたいなのは魚

ともあれ何の因果か男1人南国ビーチリゾートぶらり旅が始まった。

別にそうしたくてそうなったわけではないし、自分は海というより山がお好みのタイプなわけだが、こうして素敵な宇宙船地球号の乗組員たる恩恵を味わえる状況に置かれ、何の不満があろうか。

マヌカン島3

マヌカン島4

マヌカン島ではビールを飲んだり、読書をしたり、それに飽きたらポイを回したりしてお気楽に過ごし、帰りの船の時間になったので17時少し前に船着場へと戻った。

すでに行きに一緒だった4人は乗船していて、自分が最後の1人だった。
かっとばしてジェッセルトン・ポイントに着く。

時間的に日没に近かったので、折角だからここでサンセットとしゃれこもうと手近なカフェのテラスに席を取った。

しばらくして雨が降り出しそうな空模様になったので、店の中に移ると、途端にどしゃ降りとなった。

ジェッセルトン夕焼け

南国特有のスコールなのでどしゃ降りだけどサンセットは見えるという不思議な光景であったが、いずれにしろ一昨日見た夕焼けほどのインパクトはなくそろそろ宿に戻りたかったが、一向に雨脚は変わらず、帰るに帰れなかった。

そんな時に話しかけてきたのがそこのカフェで働く女性Pさんだった。

彼女は見るからにマレー系で、褐色の肌に掘りの深い目鼻立ちは一見して美人に分類される容姿であった。

どしゃ降りで雨宿り、という状況を見かねたのか彼女は隣の席に座り、チキンの乗ったプレートを差し出し、自分に勧めてくれた。
もう1人彼女の同僚Bさんも加わり、向かいのレストランから買ってきたと思われる一皿を供じてくれた。

PさんもBさんも仕事は終わったものの自分と同じく雨のせいで帰れない模様だった。

Bさんが店の奥に引っ込んだので、なんとなく沈黙を破ろうとPさんに「見ててみ、後10分したら雨止むから」と適当なことを言ってみた。

彼女は「この雨は10分やそこらじゃ止まないよ」と笑ったが、意外なことに10分経つと本当に雨はぴたりとあがった。カサイラーズっぷり再臨の瞬間だった。

単なる偶然に過ぎなかったが、彼女はえらく感激したらしく「一緒に帰ろうよ」と誘われた。
断る理由はないのでバスに乗って帰るという彼女をバス停まで送って行くことにした。

その道すがら彼女が「これからどこに行くの?」としきりに聞くので、「日本の友達にお土産を買いに行く」と答えると、彼女がモールまで案内してくれた。

モールをぶらぶらと歩いていると、彼女が「ここのチョコレートがおいしいよ」というので言われるままにいくつか購入した。

買い物を終えても彼女は帰ろうとしないので、さてどうしたものかと思ったが、カフェで頼んでないのにご馳走してもらったこともあり、「お腹減ってる?」と聞いてみた。
"No"というので、なら送っていこうかなと思ったら"I wanna just follow you"(あなたについていきたいだけ)とのお答え。

「・・・・・・。」

正直に言うと、過去に何度も観光地での異性のお誘いには裏があると思え、ということを刷り込まれていた自分は警戒心バリバリであった。

「帰んなくていいの?バス停はどこ?」と聞いても、「まだ帰るには早い」というので、考えた挙句なるべく宿の近くにあるレストランを選んで入ることにした。
自分はビールを、彼女はモスリムでお酒は飲めないので紅茶を注文した。

レストランに入ると、ある意味都合よく一昔前に日本でも流行ったオゾンの「Dragostea Din Tei」(=いわゆる『恋のマイヤヒ』)が流れたので、日本語の空耳のまんま熱唱を繰り広げてみた。
・・・なんならドン引いてもなんらおかしくない状況で、むしろ大ウケしたようで彼女はケラケラと心地のよい笑い声を聞かせてくれた。

それからは一問一答で当たり障りのない会話をしていたが、次第に彼女が問わず語りで自分の身の上話をし始めた。

一度結婚したがうまくいかなかったこと、日本人はそんなに仲良くなったことはないけど親切だから好きなこと、休みが週1回しかなくしんどいこと、スウェーデン人の友達がいて兄妹のように仲良かったこと、毎日単調に働いて家に帰るだけなのはつまんないこと、などなど。

果たして彼女の真意はわからないので警戒心が解けたわけではないものの、どうやら夕映えの中さみしく雨宿りしているる自分の横顔が彼女のお気に召したご様子で、所詮はマジックアワー効果のなせる技にすぎないのだが、かような異国美人にそんなことを言われて悪い気がするはずもなかった。

結局3本のビールを干した後に、ちょっと遠回りして海沿いの道を歩いて彼女をバス停まで送っていくことにした。
彼女はモスリムなので極力体を触れぬように気をつけていたが、むしろ彼女の方から手を引いて歩き、色々な質問を投げかけてきた。

特に首都のクアラルンプール(KL)に行った時の話に興味深々だったので、「KLは行ったことないの?」と聞くと「ないよ。それどころかサバ州(KKのある地区)を出たこともないよ」と言う。

そうしている内に「ああ、この子は異国から来た旅行者という非日常を通じて日常にちょっとした刺激がほしかったんじゃなかろうか」と思えてきた。
そうわかると終始警戒していたことに罪悪感すら感じた。

バス停はそう遠くない場所にあり、人ごみから離れた店の軒先でバスを待ったが、彼女は目的のバスが来るまで手を握って放さなかった。

別れ際ハグをすると、いたく自然にキスをされた。
バスに乗り込んだ後も一番後ろのシートに座った彼女は視界から完全に消えるまでずっと手を振ってくれた。
連絡先は一切交換しなかったので、今後2度と会うことはないんだろうなあと思うと、なんだかきゅんとした。

余談だが、彼女が薦めてくれたチョコレートは本当においしく、友人たちにはすこぶる評判がよかったことを付記しておきたい。



帰りしな、マレー料理屋に入り、カレースープとエビの揚げ物を腹に収めた。

宿に戻ると例によって宿泊者が集まってプチ宴会状態だった。

昨日まで伏せていたドイツ人青年も調子を取り戻したようで、今日は外にも出てみたらしい。

少しすると買い出しに出ていたNormanが戻り、さらに少し経つと新たに日本人のカップルが先ほど空港に着いたということでやってきた。

またしてもVinceは散々クラブ行こうぜーを繰り返していたが、明日帰国する自分はもうこれ以上断じてフライトを逃すわけにはいかなかったので、今日も辞退させてもらった。

さらに中国人のLynnも帰ってきて、Tropicana Lodgeは総勢10名ほどの社交場と化した。
ボルネオ最後の日に相応しい実ににぎやかな夜であった。

2009年11月02日

マレーシア・ボルネオ紀行[午の巻]

第4日目(後編)
一路海へと向かうVincentの車の中で、じわじわと不安がこみ上げてきた。

― 遡ること30分前、Vincentに促されるまま、生意気にもスキューバダイビングをすることに決めた。

その際、Vincentに「ところでノブが最後に潜ったのはいつ?」と聞かれたので、思わず「・・・1年位前かな?」と答えた。


ええ。私、嘘をつきました。



正確に勘定してみると、最後に潜ったのはもう6年も前だ。
「ブランク長すぎ」って理由でキャンセルになることを懸念して、とっさに出た一言であった。

ところが、続くVincentの反応が自分を著しく不安にさせた。

彼はうーんと唸り、「1年もやっていないのか・・・」という顔を浮かべ、しばし沈思黙考した後に「まあ大丈夫だろう」と言って、立ち上がった。

え?俺大丈夫かな?
ほんとはその6倍のブランクがあるんだけど・・・。
考えてみたら用具の使い方も名称もハンドサインも遠い追憶の彼方である。


ふとライセンスを取得した時のインストラクターの一言が思い出された。

「スキューバダイビングというスポーツは、人間が10分と生存することができない、海の中という異世界に道具の力を借り、道具に守られて足を踏み入れる命懸けのスポーツなのです。」

なのです。なのです。。。(←リフレイン)

そう、つまり道具の使い方がわからない、ということは即、死を意味するのである。


車中Vincentはそんな自分の不安はもちろん知る由もなく鼻歌交じりで軽快に車を走らす。
そしてあっという間に海岸沿いにあるダイビングのオフィスに着き、一連の書類に記入し、促されるままウェットスーツを着込み、あれよあれよで準備は完了していた。

ダイブマスター1人、ベテランイギリス人ダイバー1人、Vincent、そして俺という構成でボートに乗り込み、今度は一路ダイブポイントに向けて、海を駆ける。

まだ時間はあるとばかりに記憶を総動員してダイビングの"いろは"を思い出していた。

(耳抜きは問題ないと思うが、マスククリア※1は大丈夫か?不安だ・・・。)
※1 マスクの中に入った水を鼻から空気を吐いて追い出すこと

今更聞きにくかったが、命には代えられないので、「あ、あのさ念のため聞いとくとマスククリアってどうやってやるんだっけ?」とVincentに尋ねる。

おい、こいつ大丈夫か?という表情を一瞬浮かべたが、一連のハウツウを教えてくれた。

「ああ、じゃあやっぱり俺の記憶の通りだ。ありがとう。」となんとも自分が惨めになるコメントを返す。不安は募る一方だ。

ボートは徐々に失速し、いよいよポイントに近づいてきたご様子。

BC※2を渡され着用すると、さすがに断片的だった記憶が統合されてきて、これがレギュレータ※3で、そうだこれが残圧計だ。
どれどれ、うん酸素は充分だ、などと自信を取り戻してきた。
※2 Buoyancy compensator: 浮力調整装置。こいつで浮いたり沈んだりを調節する
※3 口にくわえて空気をスーハーするあれ


おっと、そういえば万一のためにレギュはスペアがあるはずだ。
そいつは確かこうして左腕を背中から回すと拾えるはず・・・お!これに違いない、と口にくわえ、ボタンを押したがエアーが出ない。

・・・それもそのはず、自分はパワーインフレータ※4の排気口をくわえて一生懸命排気ボタンを押していたのだから。

(わかる人だけ笑えばいいです。)

※4 BCに吸気および排気するための装置。断じて口にくわえるものではない。

Vincentがまるでミルコ・クロコップにように「こいつは一体何をやっているんだ?」という目を向けていたが、意図がわかったのか、スペアのレギュならそっちだ、と指差しレクチャー。

このまま沈んでしまいたいほど恥ずかしかったが、とにかく最初のポイントに到着した。


ウエイトとフィンを着け、恐る恐るエントリーし、まずは顔を海面につけマスククリアと耳抜きの練習を行う。
よし、行けるだろうと踏んで「無理はするな」と念を押すVincentをボートに残し、3人で沈降。

最初のうちはBCの扱いを思い出すのに手一杯で、それはもう汗汗だったが、慣れてくると次第に不安など吹き飛び、気付けば海中の世界にすっかり惹き込まれていた。

よそ様の写真ですが、大体こんなイメージ↓

20091102_2.jpg

20091102_3.jpg

熱帯魚の魚群がうねりとなって巨大な1匹の魚のように見えるさま、抜けるような青さに映える色とりどりのサンゴ、など陸ではお目にかかれない異世界の光景に次第に圧倒され始めた。

思えばほんの90分前は空港ですったもんだしていたわけで、本来ならブルネイにいたはずの自分がなんでまた海中を漂っているのだろう、と人生の妙を感じた。

さらに言えば、2日前は東南アジア最高峰のキナバル山を制覇し、今度は南シナ海の海床を徘徊すると言う山・海のセット体験ができたのだから自分は誠にラッキーだと思う。
(気圧の高低の激しさを考えると体にはよくなさそうだが。)

ちなみに、北東部に位置するシパダン島をはじめ、ボルネオ島はダイビングスポットとしてもかなり世界的に有名らしい。
自分はそれとは知らずアクシデントで潜ったわけだから、なんとも贅沢な話だ。


さて、そういうわけで最初の心配は杞憂となり、満足のうちに無事2本のダイブを終え、ボートは舳先を南へと向け、陸へと引き揚げていった。


ビーチにある事務所でシャワーを浴びて、着替えを終え、Vincentの車に乗り込んだ。
不安からレギュを必要以上に強くくわえていたために、顎に激しい疲労感が残っていたが、他はなんら体調に異変はなかった。

彼は帰りも行きと変わらず鼻歌ムードで、しばらく進むと「腹減んない?メシ食おうぜ」と近くのショッピングセンターへと車をつけた。

そういえば朝からろくに食事をしていなかったが、あれよあれよですっかり空腹を忘れていた。

まずは、Vincentが「宿のシャワーが壊れたから」というので、上の階で後で自分も使うことになる湯沸かし機付きシャワーマシーンを買った。
その後、一緒に地下に移動して牛肉粉麺と点心を喰らう。(←バカうま)

こうして飯食いつつVincentと雑多な会話をしているうちに、なんだか彼が昔からの友達のように思えてきて、旅感覚というよりすごいローカルライフだなこれ、と思えてきた。


日暮れ前には宿に戻り、Vincentは別件があると言うので、そのまま車で出かけていった。

戻るとロビーに自分より前から滞在している初老のイギリス人女性がいて少し会話を交わしたが、相変わらず顎はしんどいし、何しろくたびれたので、さっさと部屋に戻ってベッドに横になった。



― ちょっとした夕寝のつもりがざっと4時間も爆睡してしまった。

爆睡と言っても、ずっとレム睡眠が続いており、空腹と喉の渇きを感じ、何度も起きようと思うが、体が思うように動かず、起きるに起きれない不思議な感じだった。

ようやく覚醒し、ぼーっとしたまま夢ともうつつともつかない状態で街に出た。
今考えると危ないが、とにかく空腹感がすごかった。

繁華街まで出て、目に付いたバーガーキングに入り、バーガーを貪り食った。
夕方にVincentと食事したばかりだったが、よほど通常とは異なるカロリー消費が多い1日だったとみえる。

それでも足りず、コンビニに寄ってカップ麺を買い、宿に戻った。

ロビーではVincent、Norman、昨夜のドイツ人夫婦、さっきのイギリス人女性に加え、若いアメリカ人のカップル、そして昨日の夕方にチェックインしてからずっと寝っ放しだったドイツ人青年がいた。

青年は本当に1日中泥のように眠っていたので気になっていたが、彼は自分と1日違いで昨日の朝にキナバル山に登り、なんでもエラい雨に降られ、散々な思いをしてKKまで帰ってきたらしい。

つまり、自分も1日ずれていたら散々な思いをしていたと言うことだ。

ん?そういえばキナバル山のガイドOさんが、我々が登る前日もエラい雨模様だったと話していた。

・・・ということはだ。
予定が1日前にずれても1日後ろに倒れても雨に降られる運命にあったと言うことだ。

傘イラーズ力、ネパールに続き今回も国境を越える。

(余談だが、今年の夏に北岳に登った際も自分が行く前日までざんざ降りだったそうだ。我ながら雨に嫌われてるっぷりがすごい。)

なんともはや、自分と一緒の日に登った人たちは実にラッキーだ、いやそれどころかいっそ俺に全面的に感謝してほしいくらいだ、
などと誇大妄想が頭をもたげる。


さて、前日と同じように彼らとミニパーティを繰り広げ、ビールを数本空けたところで程なくまた眠くなってきたので、素直に欲求に従い、再度床に就くことにした。

なんだかんだ今回の旅の中で、最も喜怒哀楽の激しい1日であった。

ちにみに写真がいきなり少なくなったのは、今まで一杯撮ってくれていたマーが帰国したことと、写真なんか撮ってる余裕はねえってそういうことです。

2009年06月14日

マレーシア・ボルネオ紀行[巳の巻]

第4日目(前編)
9:30に起床。
今日で相棒のマーは日本に帰国し、自分は昼過ぎの飛行機でブルネイへの1泊旅行に出かけ、明日の夜KKにとんぼ返りする予定である。

共有スペースでトーストと紅茶の簡単な朝食を済ませた後に、身支度を始めた。

ブルネイは厳格なイスラム教国なので、お酒は一切手に入らない。
しかし、特例で外国人の場合は、ウィスキーやワインなら2本、ビールなら12缶まで自分で持ち込むことができる。

なので、晩酌用にとNormanからビールを2本買った。

すると、そのやりとりを見ていたドイツ人のおじさんが一言。

「なんだ?お前はブルネイに10分しかいないつもりか?」

いかにもドイツ人なボケである。

チェックアウトし、一泊分の宿代RM20とビール代を支払う。

幸いマーとは飛行機の時間がそう変わらなかったので、タクシーを呼んでもらって一緒に空港に向かうことにした。

KKの朝

お見事な青空の下、空港までの15分間、快適なドライブであった。

KK市内のモスク
KK市内にあるモスク

空港に着き、先に自分より1時間ほど早い便で日本に発つマーがチェックインする。

早すぎたのだろうか。自分の搭乗するロイヤルブルネイ航空のカウンターは開いていないようなので、ぼーっとマーが手続きを終えるのを待った。

マーが戻ってきたので、そろそろ自分もチェックインしようと思い、インフォメーションでロイヤルブルネイ航空のカウンターはどこか聞いてみた。

ロイヤルブルネイなら1階下だと言うので、マーにつきあってもらい、言われるままエレベーターで下りてみた。

するとそこは妙に閑散としたフロアで、寒々とした廊下が奥まで続き、ほんとにこんなところに出発カウンターがあるの??と言った感じだった。

果たして"ROYAL BRUNEI AIRLINES"の看板を掲げた一室を見つけ、ほっとして中に入る。

中にはぽつんと女性が1人カウンターデスクに向かっていて、パスポートとEチケットを出し、チェックインしたい旨を告げると、どういうわけかきょとんとした顔をされた。
そして出てきた一言がこれだ。

「お客様。本日はブルネイ行きの便はございません。」

「へ?」


いやいや何言ってるの、ほらちゃんとチケットだってあるんですから、とEチケットを見せる。
間違いなくそこには今日の日付が記されいてる。

しかし、それを見た彼女の口から衝撃の一言がこぼれだす。

「・・・お客様。このチケットは今日の夜0時のものです。
つまり、お客様が乗られるはずだった便はすでに出航しました。」





え?

え?

え?



一瞬咀嚼するのに時間がかかった。

そ、そんな馬鹿な、と奪うようにチケットを見直すと
Depart 12:55AM
と書いてある。

えーと、ちょっと待てよ、12:55AMってことは午前12時ってことだろ、午前ってことはお昼の前だから、その前に時計が12:55を指すのは・・・






ア"ーーーーーーーーッ!!!


ア


一瞬思考が止まり、山海塾の決めポーズ(↑上記)で虚空を見つめていると、心配したマーが安否を問うように「大丈夫?」と話しかけてきた。

はっきり言って大丈夫ではなかったが、我に返りお姉ちゃんに、じゃあ次の便はいつ?払い戻しはできないのか?他の航空会社で今日ブルネイに飛ぶ便はないのか?などを矢継ぎ早に質問した。

無情にも彼女はほとんどの質問にふるふると首を振るだけだった。

ダメだとわかると今度はなんだか腹が立ってきて、
12:55AMって、この書き方じゃ大概昼の便だと思うわ!
それなら0:55AMって書くのが筋だろ!

などの正論から
ってことは、そんな深夜に俺を未知の国に落とすおつもりだったのか!
などの屁理屈まで、都合よく自らの過失を消化するかのように、理不尽な怒りが沸き上がってきた。

とりあえず、ここにいても埒が明かないことはわかったので、忸怩たる思いは飲み込んで礼の言葉を告げ、オフィスを後にした。


どうしたものか・・・。
計画は完全に狂ってしまった。


マーは言葉をかけづらそうにしつつも、励ますように声を掛けてくれる。
とはいえ、マーの出発の時間は刻一刻と迫っており、自分ごとのように困り顔を浮かべるマーの背を押して、彼を見送った。








こうして1人になった。









本当にどうしたものか。
ブルネイ行きはまだ諦めたくない。
でも現実問題飛行機はない。
そうだ、なんとか陸路で行けないだろうか?
距離的には不可能ではないはずだ。

そういえば、日本でブルネイについて調べた時にバスとボートを使ってKKからブルネイに行った人のブログを読んだ。

などと考えを巡らせているうちに、とにかくこう情報がなくてはどうにもならない、と
到着初日に行ったツアーデスクに行ってみる。
→見事に開いてねえ。


そうだインターネットカフェを探そう。
→そんなオシャレなものはねえ。


せめて本屋で情報収集を。
→はっ、影も形も見当たらねえや。



ついてない時とはこういうものだ。
思わず小声でヘルプミーと呟いてしまう虚無感であった。

こうなったら仕方がない。昨夜の宿Tropicanaに戻ってNormanに方法がないか聞いてみよう。

タクシーに乗り込み、さっきアゲアゲのテンションで通った同じ道を、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観終わった貞子のようなサゲ気分で引き返す。


Tropicanaに着き、中に入るとNormanがゾンビでも見るような目で自分を見る。
事情を話すと野郎、腹を抱えて笑い転げた。

思えば昨夜、君らと宴をしていた丁度その時に、乗るはずだったブルネイ行きの便は行ってしまったのだから、ちょっとは同情してくれてもよさそうなものを。


まずはインターネットでロイヤルブルネイ航空とマレーシア航空の便を調べたが、確かに今日の便はない。

陸路で行く方法はないか?とNormanに尋ねたが、ないことはないが今から出発したら今日中には着けない、とのこと。


・・・いよいよ八方ふさがりだ。


最後の手段として今日の深夜に飛ぶブルネイ行きのチケットを買い直す、というのがあったが、なんだかそこまでしてブルネイにこだわるのもばかばかしく思えてきた。


オーナーのVincentがやってきて、やはり同じようになんでいるの?という顔をする。
説明すると、やはり大爆笑された後に、それは今回はブルネイ行くのは止めとけってことだよ、とずばり言われた。

言われてみればそうかもしれない。
そこで、冷静に考えを転換してみることにした。


【脳内会議議題】
「そもそも自分はブルネイに行って何をしたかったのか?」


ブルネイ国王が国民のために作った巨大遊園地ジュルドンパークで遊ぶ!

30男が1人で遊園地に行ってどうする。

モスクを見物し、荘厳な気持ちになる!

イスラム教徒でもないのに?この罰当たりが。


結局のところ、俺がしたかったのは、未踏の国を訪れ、パスポートに押されるハンコの数を増やしてほくそ笑みたい、そういうことではないのか?

ということはあれだ、結局のところ痛いのは、1ヵ月後にカードの請求が来た時に「あ?この$200ってなんだ?ああ、どぶに捨てたブルネイ行きのエアー代か」・・・と思い出してちょっと悔しい、

それだけのことだ。




こうして脳内会議を終えると、さっきまでの鬱な気分がなんてことなくなり、あと2晩KKで過ごすことにあっさり切り替えた。


そうVincentに告げると、なら折角ボルネオに来たんだから、ダイビングでもやってけよと提案された。

唐突の提案だったが、どのみち予定などあるわけがない。
そんなつもりは毛頭なかったのでCライセンスを携行しているはずもなかったが、Vincent曰く別になくてもなんとかなる、とのことなので、40秒で潜ることを決断。

Vincentはさくさくと手配をしてくれて、13:30には海に向けて車で出発した。


目を細めたくなるような晴天の中、海へと続く道を車に揺られ、なんだか妙なことになってきた、と一度底まで落ちたテンションが沸々と再燃してくるのが実感できた。


後編につづく

2009年03月07日

マレーシア・ボルネオ紀行[辰の巻]

第4日目
9時起床。目覚めると部屋には誰もいなかった。
顔を洗って荷をまとめていると、散歩にでも行っていたのかぞろぞろとRyan他、同室の面々が帰ってきた。

彼らも今日ここを発ち、てんでばらばらに西へ東へ向かうと言う。
Ryanとじっくり話す時間があったので、今更ながら色々聞いてみたところ、彼はN.Y.のロースクールを卒業してこれから弁護士になるのだそうだ。

その前のモラトリアムとして3ヶ月世界を旅していて、来月アメリカに帰るらしい。

「来月帰るのには理由があるんだ」という。
「なんで?」と聞くと「投票だよ」と答える。

なるほど、その当時は丁度アメリカ大統領選の直前でオバマか?マケインか?というのが世間の共通の話題だった。

「差し支えなければどっちに投票するつもり?」と聞いたところ、全く躊躇なく「バラク・オバマ」という回答が帰ってきた。

Ryan「旅で知り合った人々は大体俺の意見に賛成してくれたよ」
「そりゃそうだ、俺もその意見に一票だよ」
と話し、メリケン風にハイタッチなどしてみた。

選挙結果については今更言うまでもないだろう。


荷物を背負い、最後に"God bless your country and Barack Obama!!"という言葉を残して、マーと部屋を後にした。


チェックアウトを済ませた後、大きな荷物を預けて、ポーリン温泉の奥にあるジャングルにトレッキングに出かけた。そこには木製の吊り橋を渡したキャノピーウォークと呼ばれる場所があり、揺れる吊り橋の上から鬱蒼としたジャングルを探索できると言うナイススポットだ。
(入場料: バタフライファームと込みでRM7+カメラ持込RM4)

途中露店でフルーツの王様ドリアンが売っていて、マーに誘われるまま恐る恐る食してみたが、思っていたほど臭いはきつくなく、まさに「果肉」という歯応えのある実はかなりの美味だった。

ドリアン

キャノピーウォークにたどり着くまで木漏れ日の中を上ったり下りたり曲がったりを繰り返すことになり、ここで昨日の筋肉痛を認識することになる。

山道

たどりついたキャノピーウォークを見ると某有名映画のワンシーンと酷似していることに気付く。
「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐」に出てくるイウォーク族の村がそれだ。

キャノピーウォーク

木の上に建てられた小屋や吊り橋、何よりそこから望める豊かなジャングルが緑の惑星エンドアを連想させた。
(実際のロケ地はカリフォルニアなので全く関係ない)

↓吊り橋の上からの風景
吊り橋上

1周した後、看板にBat Cave(コウモリの洞窟)のサインを発見し、これは行くべきでしょうともう一足伸ばす。

ウォーターフォール

途中のウォーターフォールまでたどり着いたところで、マーは膝に自信がないからと後で落ち合うことにして、1人でBat Caveまで行ってみた。

道なき道を1人で登り、しばらく行くとそれらしき場所に出たが、そこは洞窟というよりはただの岩穴だった。

↓ほんとにここ?って感じ
Bat Cave

見当違いの場所に進んだのかもしれなかったが、面倒になって引き返す。

戻ってマーが先に行っているはずのラフレシア・ガーデンに行ってみたが、今はシーズンではないらしく門は閉じていた。
さらに戻って、バタフライ・ファームと言う場所でマーと落ち合うことができた。

※いわゆる「世界最大の花」

そこはその名の通り、蝶の楽園だった。

↓マー撮影による技ありの1枚。まるで図鑑から切り取ったようだ
バタフライ・ファーム


以上の行程を経た頃には、時計は13時を指しており、そろそろコタ・キナバル(以下KK)へと出発するべき時刻が近づいていた。


安食堂で昼食を済ませた後、預けていた荷物を受け取り、タクシーを呼んでもらった。料金はRM200で交渉。

KKまでは来た時と同じで約2時間、からっと晴れている時もあれば、滝のような雨で視界がほぼゼロの時もあり、熱帯の大胆な天気の変化を垣間見えた。


ところで、明日以降についてだが、実は休みの関係でマーはもう日本に帰国してしまう。なので、今後は1人で行動することになる。

で、自分はどうするのか?
実はこれは事前に決めていた。

ボルネオ島は大きく北側のマレーシア、南側のインドネシア、そして北部にぽつんとマレーシアに囲まれたブルネイ(正式名称ブルネイ・ダルサラーム国)の3つの国によって領有されている。

ブルネイの存在に気付いたのは、キナバル山に登ることを決め、ボルネオ島の地図を広げた時で、小さいながらも経済的に裕福で敬虔なイスラム教徒の住むこの国に激しく興味を持った。

調べるとKKから飛行機で30分で行けることがわかり、事前に$200でチケットも買っておいた。

つまり、明日から旅は第2章ブルネイ編に突入するわけだ。



KKには17時ごろ到着した。

すでに最初に空港で両替したリンギットは底をついてしまったので、タクシー代はマーに借りた。

両替しないと今夜のメシも食えねえ、宿も泊まれねえ、ということで真っ先に目に付いた銀行に行ってみたが、丁度17時になりクローズになってしまった。

どうしたもんかと思っていると、親切な行員の人が海岸沿いのショッピング・モールに行けば両替所があるよ、と教えてくれた。
じゃなんとかなりそうだと、ほっとして宿探しを始めた。

事前に空港でもらった地図でどの辺にしようかもあたりをつけていたので、難なくよさそうな1軒を見つけた。

Tropicana Lodgeというのがそれである。

ブザーを押して2階に上がると、こじんまりとした受付兼ロビー兼ダイニングでチェックイン。
ここでスタッフの若者Normanと出会う。


荷物を置くとマーと分かれてすぐに銀行で教えてもらったショッピング・モールに向かった。

KKは実にシンプルな街で方向感覚に自信のない自分でも迷わずに目的の場所に着くことができた。

中に入ると難なく両替所が見つかり、$150をRM4,500に両替。空港よりもレートがよかった。
さて、ついでに何か買う物はなかったかなと思いを巡らせたところ、そうだ下着買っとこうかなと思い立った。

登山中の負担を考えて、下着は最小限しか持ってきていなかったので、そろそろ洗濯が必要だったが、よく考えたら後はブルネイに行って遊んで帰るだけなので、多少荷物が増えたところでどうってことはない。

ということで、まずTシャツを買い、次に下着コーナーに向かった。
ちなみに極めてどうでもいいこととして自分はボクサートランクス派なのだが、ざっと売り場を眺めて探したが・・・ない。
そもそもトランクスがほとんどない。

仕方なく適当に地味な綿のトランクスを選び、購入した。

ここで偏見とは知りつつも、気付いた1つの仮説。


「コタ・キナバルの男子はブリーフ派である」




こうして買い物を済ませ、ショッピング・モールを出た時に息を呑む光景に出くわす。

最初は出口付近の照明が余りにまぶしいなあくらいにに思ったが、一歩外に出ると驚くほどの夕焼けが待ち構えていた。

以下、夢中で撮った写真の一部である。
誓って言うが、画像には一切手を加えていない。
※全てクリックで拡大

KKの夕焼け1

KKの夕焼け2

KKの夕焼け3

一昨日は山の上から、そして今日は海の上から神々しさすら感じる感動的なサンセットを目にすることができたわけだ。ブラボーである。


19時に宿に戻り、マーと街を散策してみた。
空港のある南方面へとひたすらに南下し、その間にあるマーケット・プレイスやカテドラルを冷やかし、十分に街を楽しんだ。

マーケット・プレイス

1時間以上は歩き、さすがにくたびれたので、帰りはローカルの人に混じって、ミニバスを拾った。(RM0.5)

先刻目をつけていたBBQレストランに入り、シーフードやチキンの炙り焼きを存分に愉しんだ。

↓これがまずいわけがないっつう話です
BBQ

食事中、黒猫がニャアニャアと足元にまとわりつき、「おすそ分け」をおねだりされた。かわいさの余り、少しつまんでは分け与えていたら、すっかりなついてしまい、果てしなく「おかわり」を要求された。

↓「エサまだー?」の図
エサまだー?


帰りに宿の1階にあるバーに1人で寄ってもう1杯飲んでから帰ると、マーとNormanが親しげに話していたので自分もお呼ばれする。

さらに、同宿のドイツ人夫妻と宿のオーナーのVincentも加わり、ちょっとしたパーティになった。

Vincentがさかんに「クラブに行こう」と誘ってきたが、さすがにくたびれていたので、休ませてもらうことにした。


シャワーを浴びてベッドに潜り込み、明日のブルネイ行きへの期待を胸に充実した1日を終えた。



・・・とこの時点で、自分はとんでもないミステイクを犯していたのだが、それがわかるのはもう少し先の話である。

2009年03月04日

マレーシア・ボルネオ紀行[卯の巻]

第3日目(後編)
途中、1kmごとに休憩を取りながら、焦らずゆっくりと下山した。
下山中はペースは上がるが、足にかかる負担は大きくなるので、慎重に下りるに限る。
現にマーが若干膝に心配が出てきたらしく、Oさんに一部荷物を持ってもらっていた。

下山始め

休憩中、Oさんが「2人はとってもついているね」という話を始めた。
なんでも我々が登った前日も前々日も雨が降り、最悪のコンディションだったらしい。

前年、雨季終盤のネパールに行った時もほとんど雨に降られず自らのMr.カサイラーズっぷりを誇らしげに語ったものだが、まだそのパワーは顕在らしい。

下山道1

マーに先に行ってほしいと言われたので、マイペースで1人がつがつ山を下っているうちに、はたと気付いたことがある。

それは、
なぜわざわざつらい思いをして自分は山に登るんだろう?
という命題についてである。

山登りという行為はしんどい。
高ければ高いほど険しければ険しいほど、しんどい。

ふと見上げると遥か彼方に霞む頂を前に、これから消費するだろう茫漠とした体力と時間を思い、しばし気が遠くなることなど珍しくない。

しかし大抵の場合、山を「登る」という行為は後に「下る」という行為をともなう。そして下っている時にまたふと山頂をふりさけ見た時に、こう思うのだ。

「よく俺はこんな山登ったな。」

と、自らの成功体験をなぞるその時、またやっちゃおうかな、とムラムラ思うのである。

実際、今回もさっきまで眠気と疲労であんなにしんどかったのに、次はカナダか?中国か?そしていつかはキリマンジャロ、なんてことをもう考えていた。

下山道2

かように山路を下りながら、とかくに住みにくい人の世のことなど考えているうちに無事昨日出発したゲートまでたどりついた。

迎えの4WDに乗り、再び管理事務所の前に降り立つ。
ガイドのOさんにチップを渡し、感謝と別れの言葉を告げる。

この時点で、時刻は13時を回り、少し遅いランチを取った。



さて、ここからの旅程だが、特にプランがあったわけではないが、折角なんでコタ・キナバルにとんぼ返りはせずに、もう少しジャングルツアーを愉しみたい、というのが人情だ。

おあつらえ向きにここから車で30分〜40分行ったところにポーリン温泉という温泉があり、宿泊施設もあると言う。

早速タクシーの運転手と交渉し、RM70で行ってもらうことにした。


ポーリン温泉には言われた通り40分で到着した。
なんでもここはその昔、太平洋戦争中に日本軍の手によって掘削されたそうだ。

旅の疲れを癒すにも、歴史好きのハートを満たすにもなんとも格好のスポットである。

ポーリン温泉入り口

受付でドミトリーの部屋を借りることにし、内見したところ部屋も小ぎれいだったので、朝食なし1人RM50で手を打った。

ロッジ
宿泊したロッジ

部屋に荷物を降ろし、着替えるとその足で温泉に向かった。

吊り橋
温泉は吊り橋を渡った先にある

今朝は零度の寒さに震えてご来光を待ったが、ここは熱帯のむあっとした熱気でもはやTシャツすらない方が丁度よかった。

温泉は鬱蒼としたジャングルの中をイメージしていたが、きっちり整備されていて遊園地のプールのようであった。

ポーリン温泉

・・・とここでまた見覚えのある顔に出くわす。
Ryanとそのご一行様だ。

「また会ったなあ」と高笑いをする彼と挨拶を交わす。

彼らがビールを飲んでいるのを見て、自分も無性にほしくなってきた。
そういえば、ボルネオに着いてから1滴たりともアルコールを飲んでいない。

どこに売っているのかを聞いて、下戸のマーを残し、1人買いに走った。


大自然―温泉―片手にビール、



この最高の環境に震えたが・・・栓抜きがない。
なんということだ。

そうだRyanに借りればいいんだ、と取って返すと、彼らも持っていなかったので、タイルの端に当てて開けようと試したが、5本中3本を破壊したと言う。

部屋に帰ればご自慢のアーミーナイフがあったが、さすがに面倒臭くなり、あきらめた。


大自然―温泉―片手にビール(気分だけ)、



これが今日の登頂のご褒美の図となった。


結局17時過ぎまでそこでゆっくりと過ごし、帰りがけにはこんな↓光景にも出くわした。

虹
※クリックで拡大


部屋に帰ると・・・またRyanたちと鉢合わせた。
なんと部屋まで一緒だったわけだ。

同じ日程で同じ旅程を踏めば、大体行動は同じようになる、そういうことだ。


ベッドに腰掛け、念願の(ぬくもった)ビールを1人で干した後、腹が減ってきたのでマーと2人で食事に出かけた。

入ったレストランは温泉の傍らにあり、ロケーションこそ最高だったが、サービスも価格もいまいちであった。

それでもかれこれ20年の付き合いになるマーと、古今東西悲喜こもごもな話を延々と語った。


その間、激しいスコールが降りすさんだが、帰る頃にはけろっと止み、いい具合に涼しくなった夜道を宿へと引き返し、長い長い1日を締めくくった。

2009年01月31日

マレーシア・ボルネオ紀行[寅の巻]

第3日目(前編)
結局一睡もすることができぬまま起床時間の2時を迎え、長い長い1日が始まった。

ラバン・ラタ、レストハウス

出発の準備を整え、ロビーに下り、腹は減っていなかったが用意されていた食事を詰め込んだ。(RM15)
マーは熟睡とまではいかなかったようだが、それなりに休養を取れた模様だった。

約束の2:30を少し回った頃、ガイドのOさんがやってきた。

外に出ると、思わず声が漏れるほど美しい星空と、キンと体に響く冷気で一気に目が冴えた。
温度計を見ると気温は摂氏7度だった。

真っ暗な中、足元を照らすヘッドライトの灯りを頼りに一歩ずつ確かめて進んでいった。

山頂アタック開始

少し行くと板で不規則ながら階段が組まれている場所になり、手すりを伝い、前の人の背を見ながらがつがつと登った。

また行くと今度は板の足場もなくなり、ごつごつとした岩場だけになった。
特に高度な登攀技術が必要な場所はなかったが、急すぎてとてもロープなしでは登れない箇所はいくつかあった。

岩場

途中、5分の休憩を除けば、ほとんど休みなしで約4時間登り通しだったが、暗闇の中を足元だけ見て進むと意外に疲れを感じなかった。
辛かったのはむしろ寒さで激しい風を防ぐためにフードまですっぽり被って登った。

急勾配

山頂が近づくと森林限界を越えたと見え、辺りは草木がほとんどない枯れ山のようだった。

4,000m地点
ついに未知の領域、4,000m越え

休まず進んだ甲斐もあり、無事日の出前の6時10分、東南アジア最高峰4,095mキナバル山の頂に立つことができた。

登頂に成功した時の写真↓
登頂!

唯一まともに2人で映っている写真である。

キナバル山は山頂がお盆上に平らになっているのだが、最高峰4,095m地点は突き出したピークの先にあり、まさに"山頂"というところは狭くやっと2人が立てる場所だった。


登頂者が続々とやってきたので、山頂から2、3m下りたところでご来光を待つことにしたのだが、これがまあとにかく寒い。

赤道の横切るボルネオ島は熱帯性気候に属するが、さすがにここまで登ると気温は0度まで下がる。

びゅんびゅん吹く風の中、シャッターチャンスを待とうと手袋からかじかんだ手を出し、カメラ片手に待機していたわけだが、寒さと眠気で今にもあっちの世界からお呼びがかかりそうだった。

さらに足場としていたところは不安定な場所で、振り返ると一歩後ろはまっさかさまの断崖絶壁。加えてこの風。
震える体を少し傾ける、カメラを持ち換える、これだけの動作でいちいちズビズビと緊張感が走った。

一歩後ろは谷底の図
反対斜面

一瞬、なんでこんな金と時間と労力かけて俺こんな辛い思いしてんだろう?とありがちな愚問が頭をかすめる。


こうして永遠とも感じられる20分を過ごした後、待ちかねたサンライズの時間となった。

雲の位置が地平線より若干高い位置にあり、太陽はいびつに現れたが、夜が明けるとともに、少しずつ山や眼下の雲が輪郭を見せ始めたさまは感慨深く、登頂に成功した実感がじわじわと沸いてきた。

ここでしばしご来光までの経過を写真でお届けしたい。
撮影は全てマーの手による。(自分のはなんか全部いまいちだった)

山頂にて1

山頂にて2
※クリックで拡大

山頂にて3

山頂にて4
※クリックで拡大

山頂にて5
※クリックで拡大

山頂にて6
※クリックで拡大

最後の1枚はキナバル山自身が大地に影を落とす様子。やはりこうして見るといかに大きな山かがわかる。


山頂にはもう10分ほど滞在した後に、Oさんに先導されながら下り始めた。

下山開始

登った時には暗闇に包まれて殺伐とした場所にすぎなかった風景が、下る時には陽光に包まれてすっかり豊かで美しい表情に変わっていた。

夜明け後
※クリックで拡大

4時間かけて登った道を帰りは1.5時間で下って、ラバン・ラタに戻ってきた。
途中余りにも眠くて、まずいこのままでは歩きながら落ちると思ったので、マーに断ってハイペースで進み、先に部屋に帰って20分だけ仮眠を取った。

マーが帰ってきたので、一緒に朝食を取る。
朝食メニューもやはり豪勢だったが、あまり食が進まず1皿完食して合掌した。

9時に出発とOさんに言われたので、マーが荷造りをしている間また横にならせてもらった。

休んだ気がしないうちに時刻は9時になり、重い体を起こしてラバン・ラタを後にした。

続く

2009年01月17日

さよならマイPC

番組(ボルネオ紀行)の途中ですが、臨時ニュースです。

私の愛PCが他界しました。完膚なきまでに。


今までありがとう。
君とつきあった9年間、決して忘れません。

誰よりも俺の個人情報を知っている君、
誰よりも俺の恥ずかしい思い出を知っている君、
本当にありがとう。

とはいえ、自分は切り替えが早いたちなので、さっさと次のPCに乗り換えたいと思います。
それまでボルネオ紀行は頓挫します。

数少ないdekirumon読者の皆さん、申し訳ございません。
しばし喪に服す自分をお許しください。
posted by n-o-b.net at 01:17| Comment(6) | TrackBack(0) | ■ 一人でできるもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月14日

マレーシア・ボルネオ紀行[丑の巻]

第2日目
6:10起床。

まだ眠いが、体を起こし、準備を始める。

外に出ると見事なピーカンの空をキナバル山が悠々と占領していた。

キナバル山
※クリックで拡大

昨日は暗闇の中に大きな難破船のように朧気にしか確認できなかった稜線が今ははっきりと見える。
なんとなくセザンヌが描いたサント・ヴィクトワール山を思わせる無骨な風貌であった。

あれに登るのか、と思うと武者震いがした。

部屋に戻ると、同宿のRyanがもし可能だったらグループになって一緒に登らないか?と提案してきて、それは願ってもないことだったので受けることにした。

というのもキナバル山に登るには2つの条件があり、1つはあらかじめ山腹にあるロッジを予約しておくこと(これが事実上の入山申請)、もう1つはガイドを雇うこと、であった。

ガイドは1人でも雇うことができるが、複数で雇った方がそれだけ割安になる。


まずは管理事務所近くにあるBalsam Cafeに赴き、朝食を摂る。費用はRM35と書かれていただが、どうやら昨日の宿代に含まれていたようだ。

なるほどそれなら昨日払った宿代も少しはうなずける。
ビュッフェ形式になっていて、炒飯やチョーメンなどの中華からフライドエッグ、ソーセージなどの洋食まで実に豪華なものだった。

昨日の空腹を解消しようと意気込んだが、いざとなると余り入らないものだ。

Ryanが7:30に管理事務所前で待ち合わせようというので、マーと荷物を取りにドミの部屋へと戻った。

パッキングをして、登山準備を始めているとRyanがばつが悪そうな顔で戻ってきた。

実は彼は他の西洋人のトレッカーとも一緒に登る約束をしていたらしいのだが、どうやら1人のガイドを雇えるのは6人までらしい、とのこと。
すでに4人のグループができていて、そこにRyan、我々を加えると7人になって、1人余ってしまう。なんなら自分が抜けようと思うが・・・というが、それはありえないので、事情はわかったから気にしないでくれ、俺らは最初から2人で登るつもりだったんだから、と告げた。

管理事務所で最終的な入山申請を行う。

・Permission Fee(申請料) RM100
・Insurance Fee(保険) RM7
・Conservation Fee(自然保護料) RM15
・Guide(ガイド料) RM85/2人

をレセプションで支払い、ガイドを待つ。

その間にBalsam Cafeに行き、ランチ・ボックスを受け取った。
これは上記以外にかかる今日停まるラバン・ラタ・レストハウス(Laban Rata Resthouse)の宿泊料(RM228/1人)に含まれている。
※宿泊料は日本からカードで支払った。

ちなみにラバン・ラタの予約は以下のWEBサイトから行うことができる。(英文)
http://www.suterasanctuarylodges.com.my/laban_rata.php
キナバル山に登るには、自分たちのように行き当たりばったりでなんとかなるが、これだけは日本で済ませておかないと、一杯で入山できませんということになる可能性がある。


ランチをもらい受けて事務所前に行くと、マーがすでにガイドの人と一緒に待っていた。

ガイドの方はオレニアス(スペルわからず)と言う名前で、自分といくらも変わらない年ではないかと思われる小柄な男性だった。(以下Oさん)

登山道まで向かうために4WDに乗って10分ほど揺られる。
道路はきれいに舗装されていたが、周りの植物は序々にジャングルテイストが濃くなってきた。

登山道へ

車を降り、軽く準備運動を終えた後、いよいよ登山開始となった。

登山道

登り始めるとすぐにこんな感じ。
登攀開始

約500m登るごとに休憩所があり、無理をせずにゆっくりと歩を進めた。

途中、食虫植物のウツボカズラなどの植物が野生していたり、
ウツボカズラ

リスが群生している場所を通ったり、
リス
※エサをあげているのはガイドのOさん

ガスってきたな、と思ったら雲の中にいたり、
雲散歩

しんどいが、一向に退屈することはない。


約4時間の行程を経て、12:30頃、登り始めて5km地点標高2,300m近辺で昼食を摂ることにした。

休憩所

さすがに4時間登り通しだったので、次第に言葉少なになり、ここにたどり着く頃にはしっかり息も上がり始めていた。

嬉しいことにランチ・ボックスは想像以上に立派で、サンドイッチにフライド・チキン、小さなリンゴまで付いていた。


なにげにここまで来てしまえば、実はその後は楽なもので予定より1時間早く14時ジャストに標高3,272mに位置するラバン・ラタ・レストハウスに到着した。

Laban Rata Resthouse

このラバン・ラタだが、かような環境にあるとは信じがたいほど立派で、温水シャワーもあれば、清潔な水洗トイレもあった。
昨夜はバタンキューでシャワーを使わなかった上、ここまで絞るほど汗をかいたので、まずシャワーを一浴びしてさっぱりすると、そのままかくんと眠りに落ちて1時間ほど寝てしまった。

昼寝中

なお、部屋には2段ベッドが3台あり、6人が宿泊できたが、自分たち以外にはオーストラリア人のカップルが1組いただけなので、自分とマーはそれぞれ1台のベッドを占有し、悠々自適であった。

目が覚めてベランダに出てみると、見事な夕暮れの風景が広がっていた。
ああ俺はすでに雲の上にいるんだとしみじみ感じられる大パノラマであった。

パノラマ1
※クリックで拡大

隣でブロンドの女子が「氷山みたーい」的な感想を漏らしていたが、あながちそう見えないこともない。

外に出るとRyanに会った。何時ごろ着いた?的な会話をした後、彼がここからが一番きれいに写真が撮れるというので一緒に近くの物置に登った。

パノラマ2
※クリックで拡大

「うーん、地球は丸いな」なんてしょうもないことを思った。

肌寒くなってきた頃、早い夕食時となり、朝と同じブッフェスタイルで食事を摂った。

展望レストラン

夕食がひと段落した頃、丁度サンセットのタイミングになり、まず平地ではお目にかかれないだろう眺望を観ようと人々がバルコニーに集まってきた。

サンセット1
※クリックで拡大

雲と雲の間を横一線に走る稲妻や地面に反射して光る夕映えもよく見えた。
仕舞いにはいわゆるマジックタイムに、見事な淡いハレーションを見た時には感激であった。

サンセット2
※クリックで拡大

感激と言えば、ラバン・ラタのディナーはまさにその一言だ。
サラダ、チキン、野菜炒めに温かいスープとどれも申し分のないおいしさだった。今まで宿泊した山小屋の中で、豪華さと言う面では間違いなく一番だろう。


夕食を終えると18:30。

明日は2時に起きて山頂に向けて出発するので、もう就寝時間である。
何枚かの絵葉書を書いてポストに投函してから、寝支度を始めた。

同室のオーストラリア人はアデレードから来たそうだ。
我々が準備を整え、床に就く頃には彼氏の方はすでに高いびきだった。

こうして明日の山頂でのご来光を胸に深い眠りについた





・・・となればよかったのだが、昼寝をしてしまったこと、お隣の寝息が半端じゃなかったこと、などが助け、一向に寝付けなかった。

万全の体調で明日を迎えるために睡眠不足は避けたかったが、寝なきゃ寝なきゃと思うとますます目が冴えた。

半ば諦めて時計を見た時が23時。

まだ3時間は眠れるか、ともう一度体を横たえたが、今度は隣の部屋の女子どもが「ねえ、まだ起きてる?」的に騒ぎ出した。(壁が板一枚なので丸聞こえ)
日本の修学旅行じゃよくあるシーンだが、ところ変わっても若人の生態は大差ないようだ。

しかし、こんな時のために自分は海外には必ず耳栓を忘れない。

よっしゃ耳栓してさあ安心、と再び毛布を被ったが、今度は隣の会話で起こされたオーストラリア人彼氏が頭に来たらしく、隣の壁を定期的にドンッと叩き始めた。
たんびビクッと目が覚める。

・・・果たして、4,000mという未知の高さに挑むのに明日俺は大丈夫だろうか?
不安は募るばかりであった。

2009年01月13日

マレーシア・ボルネオ紀行[子の巻]

昨年10月にボルネオ島に行ってきた。

目的は東南アジア最高峰4,095mのキナバル山の頂に立つことである。

海外に行った時の毎度の習慣として綴った日記の体裁を整え、旅行記としてここに転載したい。

ところで、今回最も苦労したことは何かと言えば何より情報不足であった。

キナバル山を擁するキナバル自然公園は世界遺産に登録されているので、決してマイナーなスポットではないが、
・山小屋の抑え方は?
・ガイドの手配の仕方は?
・そもそもどうやってそこまで行けるのか?

などなど一貫した情報に紡ぐまで結構な手間であった。

そこで、今後キナバル山登頂を目指す稀少な方の水先案内人となるべく、諸々の申請から交通手段、価格までなるべく細かい情報も記載していくおつもりである。

なお、バディは中学時代からのツレのマモルさま(以降マーと呼称)。
山に関する経験値は自分より高いので心強いパートナーであった。


第1日目

Kota Kinabalu

経由地の香港を出発して2時間、飛行機は定刻の18:55にコタ・キナバル空港に着陸する。

コタ・キナバル空港

成田を発って8時間、移動疲れもあったが、到着を喜んでいる暇はない。

というのも明日の朝からキナバル山にアタックするため、今日中にコタ・キナバル(以下KK)から80km北にあるキナバル自然公園まで移動しなくてはならない。

今夜はKKに泊まって明日のド朝に移動する、という選択肢もないではなかったが、移動日と登山日はできれば別にしたかった。

ところが、到着した時点ではどうやってそこまで行くのかも、果たして今日キナバル自然公園内の宿泊施設に泊まれるかも決まっていなかった。

後述するが、キナバル山は登山規制があり、中腹にある山小屋の予約を事前に取っておくことが登山条件になるため、それだけは日本から予約してあったが、それ以外は全くの無計画。

ただ知っていたのはキナバル自然公園の管理事務所は夜の22時で閉まるということと、そこまで約2時間はかかるということ。
また、公園前へ行く最終バスが20時にあるらしいということ。ただし、バス停がどこにあるのかは存じ上げない状態だった。

と、のっけから幾重にもハードルがあったわけだが、整理するとどうやら一番手前のタイムリミットは20時KK発の最終バス発車までの1時間。
以下、およその時間を追ってその道程を記したい。


18:55 コタ・キナバル空港に着陸。

19:00 機を降りボーディングブリッジをくぐる。

19:05 ちゃちゃっと入国審査を済ませる。

19:10 Baggage Claimで預けていたバックパックを受け取る。幸いにして自分もマーもかつてありえないくらい早く荷を受け取ることができた。

19:13 税関、検閲をほぼノーチェックでスルー。

19:15 予定より15分早く到着ロビーに着く。好タイム。

19:20 まずは先立つものの確保のためMoney Exchangeへ行き、$150を489リンギット(以下RMで表記)に両替。

※1円=約RM30なので約30倍するとわかりやすい。ちなみに米ドルでなく日本円でも普通に両替可。

19:25 ツアーデスクらしきものがあったのでそこに赴き、武蔵丸似のお姉ちゃんに、まずは今日キナバル自然公園まで行くことが可能なのかを尋ねる。
曰く、可能は可能だがうちで交通手段を手配するとRM500かかるよ、とのたまう。(←確実にぼったくり)
たった今両替した額とほぼ同額だ。冗談止めてよ。

じゃ足は自分で手配するとして、宿だけなんとか探してほしいと頼むと何度か携帯をかけて、キナバル自然公園の中にあるドミトリータイプの宿を予約してもらった。

値段は1人1泊RM115とドミにしては法外な価格だったが、まあいざ行って宿無しはしゃれにならんのでこればっかりは仕方がないので了承した。

次の問題は足だ。
一番楽なのは、やはりタクシーだろう。だが、値段がいまいち読めない。
なお、バスを使うと1人RM20で済むらしい。

時間は19:35、バス停までは20分かかると言う。
どの道バス停まではタクシーで行くので、最終バスを逃したらまたタクシーを拾って交渉すればよい。
ならばバスに間に合うか試してみようということになった。

19:35 タクシーカウンターで、長距離バスが発着するイナナンバスステーション(Inanan Bus Station)までのチケットをRM30で買い、空港のドアをくぐる。
↑面倒な交渉や怪しい客引きがないのでよいシステムだ。

外はすっかり夜で、どの道異国情緒を吸い込むというには暗すぎたが、到着するや訪れたタイムアタックの緊張感で別に景色などどうでもよかった。

19:55 間に合うか逃すかギリギリの時間でバスステーションらしき場所に滑り込んだ。
急いでくれたドライバーに礼を言って、2人でチケットカウンターへと向かった。

イナナン・バスステーション

どうやら間に合ったようで、幸い席も2人分なら空いていると言う。チケット(RM20)を購入し、バスに乗り込む。

席はほとんど埋まっており、自分たちの席が2つきれいに空いていた。座席が取れないということはちっとも想定していなかったが、そういう意味でもツイていた。

バスの中

バスはほどなく停留所を発車し、一路北へと向かって進路を取った。

ここでふっと気が抜けて眠気が襲ってきたが、安心するのはまだ早い。
なぜならこのバスにとってキナバル山は通過点なので、寝過ごさないように多少は気を張っていなくてはならない。

さて、ここらで落ち着いて車内を見渡してみると、どう見てもローカルな方々しか見受けられず、いかにバスでキナバル山を目指すのが観光客向けではないかがうかがい知れた。

現に90分後、無事キナバル自然公園前に着き、バスを降りたのは自分たちだけであった。

キナバル国立公園前

降ろされたのは「ほんとにここ?」と疑いたくなるような街灯も何もない真っ暗な場所だった。やむをえずヘッドライトを取り出し、空港でもらった地図を頼りに管理事務所のある方向へと向かった。

幸い、入り口は少し坂を上ったところにすぐ見つかった。
時間は22時のクローズぎりぎりに滑り込んだ。

受付でロッジを予約したConfirmation Sheetと空港で手配したドミトリーのVoucherを見せ、ようやくことなきを得た。

ここまでの道中、全てがウソのようにスムーズに進んでくれたため、なんとか無事たどり着くことができたが、歯車が1つでもずれていたらそこで全てが水泡に帰すところだった。
例えるならBボタン押しっぱなしでマリオをプレイするようなもので決して人様には薦められない。

キナバル・ロッジ

ともあれ、宿には無事たどり着いたが、ここで予定調和のように空腹感がやってきた。
時刻は22時を回っているわけだが、ここまで突っ走ってきたわけだから当然夕食も食べていない。

こんな山の中でこんな時間に空いているレストランがあるわけもなく、やむなく登山中の行動食にと日本で買ってきたチョコバーで飢えをしのぐ。

ドミの部屋に入るとすでに先客が1人いて床に就く直前だった。
New Yorkから来たと言うアメリカ人のRyanという青年だった。就職前の卒業旅行中だそうで聞けばすでに随分色々な国を探訪してきたようだった。

疲れと空腹に押され、話もそこそこにさっさと寝ることにした。思えばあな長い一日であったことよ。


オマケ:その夜、夜中にはっと目が覚めた時に面白い体験をした。
辺りを見回すと、完全なる暗闇で目を閉じている状態となんら変わらない。自分の目の前に手をかざしてみたが、それすらも視覚に捉えられない。生まれて初めてのことだった。
一瞬目が見えなくなったのかと驚いたが、まあいいやと思って目を閉じているとまたすぐにノンレム睡眠へと落ちていった。

2009年01月03日

私がブログを更新しないいくつかの理由

年が明けた。
ついに12月は一本も記事を上げなかった。
執筆中と言っていたボルネオ紀行も失筆のまま年を越した。
思えば一時は「週に2本ペースで更新します」なんて夢みたいなことも言っていた。

このままではまずい。実にまずい。
所詮自己満ブログではあるが、自分で自分にウソをつくようでは将来立派な大人になれない。

ということで

ブログを書かなくなった理由をブログで書く

という未だかつてない斬新な企画のお時間がやってまいりました。


私がブログを書かなくなったのには、それはそれはやんごとなき理由があるのです。
涙なしには語れない長い話ではあるが、あえて一言でまとめるならこの一言に集約されるでしょうか。











めんどくさいんです。





そう、めんどくさいんですよ。大して書くことないのに。
有名人のブログなんか見てるとね、よくまあまめに更新しててえらいなあなんて思うわけですよ。

とはいえ私だって「今日のお雑煮には3個おもちを入れました!」とか「道端にきれいなたんぽぽが咲いていたんです!」なんてレベルの他愛のない話でいいのなら湯水のごとく垂れ流せますけどね、私の日常さらしても誰も益することはないに決まってるんです。

と、ここで話が終わっては元の木阿弥なので、もう少し鈍筆(どんひつ)理由を考えてみたい。


・PCのパフォーマンスが落ちた
仕事用とプライベートで端末を使い分けているのだが、ブログを書くプライベートPCのパフォーマンスが最近著しく低下している。ま単純にHDD詰め込みすぎってだけなんだが、よし書くぞと思っていた時でも、なかなか起ち上がらなかったりすると一気に執筆意欲が失せて、「そうか今日は書かない方がいいってことなんだ」と解釈するシステムを導入している。
早々にプライベートPCを買い換える予定なのでこの問題は解決する予定。

・毎日の一行ネタで割とすっきりしてしまっている
実はこれは大きい。育てれば立派に「突っ込みたくて」のネタになることも毎日小出し小出しにしてしまっているので、それで十分すっきりしてしまうのだ。
(!)いや待てよ、逆にこれからは一行ネタを育てて「突っ込みたくて」に昇格すればいいではないか。
・・・ってなに俺は1人で盛り上がってんだ。馬鹿じゃなかろうか。

・世間とのしがらみ
そりゃあ昔はナイフみたいに尖っていた俺だけど、やっぱりね30歳を超えると「ああこれは書いたらいけないんだろうな」なんていう大人の事情に配慮しなければならないのですよ。
おやおや気が付いたら長いものには巻かれる汚い人間になっちまったもんだよ俺は。
しこうして、今年大殺界の俺ではないか、こうなったら開き直ってナイフ研ぎまくっちゃおうぜ大会開幕ってことでどうだろう。

つうことで今年のテーマは「とばすぜ、つかまりな」に決定。


こんなところだろうか。
というわけで更新しなくなった理由を考えて更新する理由に変えるというなんとも前向きな臨時企画、見事に成就。

これにともない、
ボルネオ・ジャングル紀行、近日公開。

以上、吹けば飛ぶようなブログのくせに年始から大層なこといってすんませんした。

FC2 Blog Ranking
posted by n-o-b.net at 15:36| Comment(5) | TrackBack(0) | ■ 一人でできるもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月30日

これまでの一行ネタ 2008秋

前記事からものすごい温度差があることを重々承知しつつ、12月を迎えるにあたり一行ネタ2008秋コレクションをご開帳。
重ねてhitori de dekirumonはこれからもアホ←→マジメを忙しく往復して参ります。

【2008年9月】
9/1 スポーツの秋だの食欲の秋だのでこの時期のTVが若干鬱陶しいWEBディレクター
9/2 自分よりうまく自分の名前を書かれると若干いらっとくるWEBディレクター
9/3 ジーンズを洗ったっていいじゃないかと思うWEBディレクター
9/4 着信メロディはもちろんダイバスターのOPテーマであるWEBディレクター
9/5 目薬をさす時のあの微妙な緊張感がたまらないWEBディレクター
9/7 思えば1年前は銀座で女装して踊っていたWEBディレクター
9/8 誕生日に届いたお祝いメールは唯一母からだけだったというWEBディレクター
9/9 炒飯にピーマンを入れるか入れないかで本気で喧嘩したことがあるWEBディレクター
9/10 最強のコラボレーションと言えば真っ先にモズク&お酢が浮かぶWEBディレクター
9/11 拭くだけメイク落としは肌によくないことを経験則で知っているWEBディレクター
9/12 ヨガの「下向きの犬ポーズ」は腰にくるWEBディレクター
9/14 Ctrlキーを押す時に小指がつったことがあるWEBディレクター
9/15 秋の味覚王と言えばサンマに決まってるだろと若干切れ気味で語るWEBディレクター
9/16 プールにある目を洗う用の二股蛇口の強さをうまく調節できないWEBディレクター
9/17 マドリッドで自動ドアに激突してデコから流血したことがあるWEBディレクター
9/18 「お気にのワンピ」と「お芋のケンピ」はよく似ていると思うWEBディレクター
9/19 田中と言えば角栄、鈴木と言えば善幸、高橋と言えば是清なWEBディレクター
※ちなみに佐藤と言えばやはり栄作だろう
9/20 全校集会でチャック全開だったためあっさりチャックのあだ名を戴いたWEBディレクター
9/21 ベルマーレ平塚はマンションの名前みたいだと思ったWEBディレクター
9/22 ジュビロ磐田、ヴィッセル神戸あたりもマンション名っぽいと思うWEBディレクター
9/23 秋分の日と10分の2は似ていると思うWEBディレクター
9/24 バケツサイズで作ってしまったため1週間豚汁三昧になったWEBディレクター
9/25 折りたたみ自転車を折りたたむチャンスがないWEBディレクター
9/26 学生時代ポケベルを持っていたのが今思うと笑えるWEBディレクター
9/27 タートルネックはチクチクするWEBディレクター
9/28 つけ麺屋とみればなぜあんなに行列ができるのか不思議でならないWEBディレクター
9/29 豚汁痛んで小虫がわいたWEBディレクター
9/30 「本日限り閉店セール」をいつもやっている店が気になるWEBディレクター

【2008年10月】
10/1 「女の子の気持ちを素直に唄った歌」程どうでもいい歌はないWEBディレクター
10/2 タクシーの運転手は急いでる時に限って話しかけてくる気がするWEBディレクター
10/3 折角の休日に夕方まで寝倒した時の罪悪感ときたら、なWEBディレクター
10/4 なんかのレシートを一緒に洗濯してしまうことがあるWEBディレクター
10/5 東京海上日動火災保険ってよく考えるとすごい社名だと思うWEBディレクター
10/11 未だボルネオのジャングル辺りをうろうろしているWEBディレクター
10/13 ジャングルより恥ずかしながら帰ってまいりました、WEBディレクター
10/14 1週間国内不在だったが、留守電預かり件数は0件だったWEBディレクター
10/15 最近のTVの芸人を使って感動させようという風潮が受け付けないWEBディレクター
10/16 オレオとリッツでオセロをしたことがあるWEBディレクター
10/19 ザリガニのザリって何?と思うWEBディレクター
10/20 老け顔の方の名前が若杉さんだった時になんだか残念に感じたWEBディレクター
10/21 賞味期限後1週間は圏内、2週間は挑戦、3週間は冒険と定義するWEBディレクター
10/22 いらっしゃいませを「せーっ」としか言わなくなった店員が増えたと思うWEBディレクター
10/23 リップクリームとスティックのりを間違えて使った(本当)WEBディレクター
10/24 ウコンの力の力をちょくちょく借りているWEBディレクター
10/25 世の中「カリスマ」とただの「人気」を混同して使っていると思うWEBディレクター
10/26 恋?と思ったら風邪の引き始めに過ぎなかったWEBディレクター
10/27 「3時間しか寝てない」という人は大抵4〜5時間は寝ていると語るWEBディレクター
10/29 細●さんという苗字の方に限って、逆説的傾向がある気がするWEBディレクター
10/30 イケメンとは、イケ面なのかイケMANなのかはっきりしてほしいWEBディレクター
10/31 しまおうしまおうと思いつつ扇風機出しっぱのまま季節は冬を迎えるWEBディレクター

【2008年11月】
11/1 カステラは本体よりむしろ上にかかってる薄紙をこよなく愛すWEBディレクター
11/2 バーベキューなんかで軍手をしている女子に萌えるWEBディレクター
11/3 秀吉の手相と同じと言われたが、なぜ彼の手相をご存知?と思ったWEBディレクター
11/4 晴れて今シーズンの1人鍋デビューを飾ったWEBディレクター
11/5 カーネルのおじさんは白いスーツで揚げ物は止めた方がいいと思うWEBディレクター
11/6 よそ見してて深爪したWEBディレクター
11/7 ウーピー・ゴールドバーグとQPコーワゴールドはよく似ていると思うWEBディレクター
11/9 好きな割にはビールの飲み比べをしても外す自信があるWEBディレクター
11/10 隠れ家居酒屋はぐるなびに載ってる時点でちっとも隠れてないと思うWEBディレクター
11/11 無性に食べたくなり真夜中に手打ちうどんをこしらえたことがあるWEBディレクター
11/12 男だてら変なカチューシャを見るとつい買ってしまうWEBディレクター
11/13 風邪薬は種類が多すぎてむしろ頭が痛くなるWEBディレクター
11/14 糸切りバサミは鼻毛を切るにも最適なことを知るWEBディレクター
11/15 坂本龍馬氏の誕生日そして命日につきしめやかに合掌するWEBディレクター
11/16 西武が優勝すると、そうだ松崎しげるは歌手だっんだと思い出すWEBディレクター
※西武ライオンズが優勝し優勝セール始まる
11/17 サザエさんは東芝提供なのにいつまであのテレビでいくのか気になるWEBディレクター
11/18 生活の中にちょいちょいジョジョのポーズを取り入れているWEBディレクター
11/19 紙幣を折ってニコニコ英世くんやニコニコ諭吉くんを制作するWEBディレクター
11/20 「レッ●カーペット」の判定はおかわり芸人に甘いと思うWEBディレクター
11/21 「得意料理は肉じゃが」という女子のアピールには一切左右されないWEBディレクター
11/22 扇風機しまった時になぜにストーブを出さなかったのかと口惜むWEBディレクター
11/23 半額シールに弱いWEBディレクター
11/24 パックの小さい醤油を開ける時飛び散りゃしないか緊張するWEBディレクター
11/25 「カラン」と「シャワー」を間違えて図らずも濡れネズミになるWEBディレクター
11/26 リップクリームを回しすぎて元に戻らなくなったWEBディレクター
11/27 エレベーターに乗ると方向感覚を失うWEBディレクター
11/28 ギター用に右手の爪だけ長いが、たまに妙な勘違いをされるWEBディレクター
11/29 よく見ると眉毛がつながっているWEBディレクター
11/30 「恋のバカンス」をうまくハモれないWEBディレクター

FC2 Blog Ranking


関連記事

 これまでの一行ネタ 2008春夏
posted by n-o-b.net at 23:52| Comment(2) | TrackBack(0) | ■ 一人でできるもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月25日

Greg and Annie

今回の投稿は完全に私信であることをご容赦願いたい。

I dedicate this article to my invaluable friends beyond the Pacific Ocean.

5年前、L.Aに留学し、大学寮225号室に入寮した。
最初の夜、枕も毛布もなくてバスタオルをかけて寝ようとしていた時、2人は帰ってきた。後に1年を同じ部屋で過ごすルームメイトのGregとその彼女のAnnieだった。
Gregが「あれ?彼は寝具がないらしいよ」と言うと、Annieは急いで自分の部屋に予備の寝具一式を取りに行って自分に貸してくれた。それが最初の出会いだった。

5 years ago, I studied abroad in L.A. and moved into the dormitory, room number 225.
At the first night, I didn't have any bedclothes and had to sleep with just one bath towel. Greg, my ex-roommate, and his girl friend Annie came back at the time. Greg found I didn't have any stuff, and Annie went back to her own room and brought me an extra pillow and blanket.
That was the encounter of us.


入寮したての頃は自分の英語はおぼつかなかった上、 Gregは基本的に無口なやつだったので、会話に窮することもあった。しかし、お互い映画好き、ビール好きという共通項があったため、ビール片手に今までに観た映画のよしあしについて語り合った。

Right after I joined 225, I couldn't speak English fluently, and basically Greg was a quiet guy. Therefore sometimes we had a hard time to communicate with.
But both of us loved movie and beer, we could have a fun time to talk about movies which we had seen before with beer.


自分の誕生日が近づいたある日、「何かほしいものはないか?」と2人に聞かれたので、遠慮がちに「じゃあビールがほしい」と答えた。
当日、2人は小さいながらもなんと樽でビールを用意してくれた。

When my birthday approached, they asked me what I wanted as a b-day present. I hesitated and told them, "I wanna have some beer."
At my birthday, they gave me a keg of beer.


最初のクオーターが終わった日、ドアに1枚の貼り紙があった。
それは「International Student用の棟に移るように」と言う内容だった。自分はInternational棟が一杯だったので臨時でRegular Student用の棟に入っていたのだが、空きが出たので移れ、ということらしい。
驚いてハウジングオフィスに赴き、なんとか今の部屋にいさせてほしいと頼んだが、「決まりだ」と突っぱねられた。

とぼとぼと部屋に戻ると貼り紙を見たAnnieに「なぜ225を出て行くの?うまくいっていると思ってたのに」と詰め寄られた。
(ちなみに彼女は女子棟の住人だったが事実上225の住人でもあった)

いやいや自分の意思じゃないから、と事情を説明すると、「わかった、じゃあ月曜にオフィスに行って話をつけよう」ということになった。翌週Greg、Annie そしてハウスメイトのHassan、Scottは本当に一緒にハウジングオフィスに行って「Nobuはもう225の一員だ」と説得してくれた。
お陰で自分は特別に225に留まることができた。

※2LDKの部屋を2人1部屋4人でシェアしており、もう一方の部屋の住人をハウスメイトと呼んでいた。

At the last day of first quarter, I found a note on our front door.
It said, "Please move to the building for international students."
I was astonished and visited housing office to ask them let me stay in 225, though, they just insisted, "That's the regulation."

I was disappointed and went back to our room. Then, Annie inquired about the note, and said, "How come you gonna move out? I thought we're on good terms."

(Actually, She lived in a dorm for women, but she was a resident of 225, in fact.)

I explained her that it was not my will, and she said, "OK. We gonna go housing office next Monday and need to resist about that."
Next week, Greg, Annie and other roommates, Hassan and Scott truly went up to housing office together and persuaded the staff that I was one of their companies already.
Thanks to them, I could stay in 225, fortunately.


土曜日は毎週のように狭いバルコニーでバーベキューをやった。
あくる日、昼寝をしているとAnnieが「まずいことになった」と自分を起こしにきた。バルコニー(2階)に行ってみると、GregとHassanがぽっかりと床に空いた大穴を見下ろしていた。
調子に乗ってバルコニーの床までバーベキューしてしまったのだ。
相談した後に、みんなでホームセンターへと出かけ、セメントを買ってきた。臨時の左官屋となり、四苦八苦しながら床を埋めてみたが ― 結果は前よりひどくなった。

Almost every Saturday, we did BBQ on a small balcony of 225.
Some Sunday, Annie came to wake me up and said, "Nobu, come over. We have a problem."
At the balcony, Greg and Hassan looked down a big hall on the floor like a dark cave.
We had got carried away and also barbecued the floor.
After a short conference, we made a decision to go Home Depot and get cement to mend a hall.
We became DIY carpenters and tried to fix them - the result was much worse than before.


大学とは別に週2回ハリウッドのプライベートスクールに通っていた。
車を持っていなかった自分はバスとメトロを使って通学していたが、ハロウィンを控えたある日大規模なストライキが起こり、あろうことかバスもメトロもぴたりと動かなくなってしまった。(しかもこのストライキ、考えられないことに2ヶ月続いた。)
完全に足を失い、困っていた自分を助けてくれたのは数少ない日本人の友人Akishi、そしてGreg、Annieだった。
行きはAkishiに乗せてもらい、夜には学校が終わった頃にGregとAnnieが迎えに来てくれた。しかも毎回。余りに申し訳なかったが、Annieはそれを察してかこう言ってくれた。
「Nobuのお陰で私たちはHollywoodのナイトドライブができるんだよ。」

I commuted twice a week to a private school in Hollywood in addition to university. I didn't have a car, so I had to make use of public transportation.
But a day of near Halloween a big strike was occurred. The strike influenced to supermarkets in L.A. and whole public transportation. It meant I completely lost my way to Hollywood. (Incredibly, the strike continued about 2 months.)
The one who helped me at the time was my Japanese friend, Akishi. He gave me a ride to Hollywood each time. And the other was, needless to say, Greg and Annie. They picked me up, when my class was over. Naturally, I felt so small but Annie seemed to notice that and told me like this way.
"Because of Nobu, we can drive Hollywood at night."


帰国の前日、自分が前から行ってみたいと話していたMt.Wilsonに連れて行ってくれた。Mt.Wilsonはキャンパスから見える山で、一度あちら側からL.A.を眺めてみたいと思っていた場所だった。
ところが、山頂手前のゲートで「今日はもう展望台は閉まりました」と言われた。
すると、あのクールで無口なGregが車から身を乗り出して、「彼は明日日本に帰るんだ。10分でいいから山頂からの眺めを見せてやってくれ」と頼んでくれた。係員は少し考えた後にOKと言ってくれた。
あの時に見たMt.Wilsonからの絶景を自分は一生忘れないだろう。

The previous day of my returning to Japan, Greg and Annie took me to Mt.Wilson where I had talked them one day I'd like to go.
But we were stopped at the front gate of the observatory. The guardian said, "We're closed already." Then, Greg thrust his body from the car and told the guy, "He is supposed to go back to Japan tomorrow. So please let him see the view from top of the mountain for just 10 minutes." The guardian considered a bit and allowed us to come in.
Probably, I'll never forget the view for the rest of my life.



2人とのエピソードにはキリがない。
L.A.にいた期間中、どれくらい彼らにお世話になったか計り知れない。
帰国した今もお互いの誕生日やクリスマスには電話、手紙、E-mailで連絡を取り合っている。
自分にとって"225"という数字は今でもラッキーナンバーだ。

I can't stop talking about their stories.
I can't tell how they took care of me while I was in L.A.
We're still keeping in touch via phones, letters, and emails at each b-day or Christmas.
For me, "225" means a special number still now.



先週、Annieから1通のE-mailが届いた。
「ニュースがある」の題名で始まったメールには、1葉の写真が添付されており、そこにはネクタイ姿のGregがドレスを着たAnnieの左手に指輪を着けるシーンが収められていた。

Last week, I got an e-mail from Annie as usual.
The subject was "Greg and I have news!"
In the email, a picture was attached. In the picture, they dressed up and Greg was about to put a ring on Annie's wedding finger.



うれしい。本当にうれしい。
まるで自分のことのようにうれしい。

できることなら飛んで行って直接お祝いの言葉を伝えたい。
しかし、それは叶わないので、アメリカ式にちょっとばかり回りくどくこの場を借りて慶びのメッセージを贈りたい。

I'm delighted, so delighted, as if it happened to myself.

If possible, I want to fly to L.A. and celebrate and hug them.
But now, it's difficult, so I'd like to send them my message via this page, though, I know that's very awkward.





Dear Greg and Annie,

I knew you two were a match made in heaven since even I met you. Actually, I was tired of waiting for hearing the news.
Now, I'm relieved, finally.
And I want you to do me a last favor now. At the time, you will have a baby, please give me a chance to be a godfather of him or her.

Congratulations.

Nobu





返信メールにここのURLを載せようと思ったが・・・さすがにかっこつけすぎなので、ひとまずは偶然発見してくれることを望む。
posted by n-o-b.net at 02:54| Comment(8) | TrackBack(0) | ■ 一人でできるもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月04日

シリーズ突っ込みたくて Vol.9[エコ]

 
 
かけがえのない私たちの地球。

海と緑の美しい星、地球。



その母なるコロニー宇宙船地球号がいま、悲鳴を上げています。

大気汚染、砂漠の拡大、熱帯雨林の減少、そして地球温暖化―。


繰り返される環境破壊を、もう黙って見過ごすことはできません。


これからhitori de dekirumonは「地球にやさしい」をテーマにしたエコブログminna de dekirumonとして生まれ変わります。


























ウソです。








それはもう真っ赤なウソです。
むしろとりあえず「エコ」と冠をつければなんでもあり的な風潮に一言もの申したいわけです。


特に最近鼻につきませんか?
「エコ」という印籠を傘に、本質とはかけ離れた商流を展開するオシャレ★エコ
それはもう苦々しくて、「ズレてるよ!」と鼻先三寸の距離でつっこみたくて仕方がない。


具体例で示したい。

雑誌などで
「エコはいまやファッションの一部です」
のような感じの記事を目にすることがある。

覚えている範囲だと「イマドキはオーガニック素材服が旬!」とか、「マイ箸携帯でモテ度アップ!」みたいな内容だった。


なんなんですかね、この違和感。


それは
・エコなファッション=かっこいい
裏を返せば
・エコじゃないファッション=かっこ悪い
という"新常識"を"ファッションリーダー"的ノリで押し付けられた疎ましさに他ならない。

ちなみに、蛇足ではあるが「ファッション」の辞書的な意味は「流行」である。

ということはだ。
「エコ」を謳いつつ、「ファッション」の名の下に買い替え、買い増しを促すことで、むしろ新たな生産、消費、そして廃棄という「流行サイクル」を生み出していることを意味する。

本質を欠いているとは言えまいか。


そして重要な事実として「流行」はすたれる。


いい例がある。

1年前、某有名ブランドが数量限定でエコバッグを発売した。
発売されるや、売れに売れ、各国で即日完売だったという。
台湾や香港では長蛇の列でき、日本でも発売前日から徹夜組が出て、ちょっとしたニュースとなったので記憶にある方も多いのではないか。

1年以上が経過した今考えると、「一体あの騒ぎはなんだったんだろうね」というのが世間的な感想なのではないだろうか。

供給側の意図はずっと崇高だったかもしれないし、エコバッグの認知と普及という目的はある程度達成したのかもしれないが、結局は一過性のブームであり、その後も社会はほとんど変わっていない。

これがいわゆる「流行」なのだと思う。

今後どこぞのブランドが似たようなことをしても同じことだ。
むしろブランド物のエコアイテムが流行れば、「折角だからエコアイテムだっていいものを」みたいな全く無駄なブランド志向を植えつけられる可能性すらある。

本来流行らすべきは、モノではなく意識じゃなかったの?と問いたい。



結論として、民間団体なり企業なりが、温室効果ガス排出をはじめ人類生態学=エコロジー上の大命題に対し、営利活動とは別になんらかのCSR活動にリソースを裂くことはあってしかるべき姿だと思う。
仮に、その目的がイメージ戦略であったり、結果としての営利活動であっても、目指す方向さえ合っていれば別にどうだってよいことだ。

ただ、「持続可能な社会」を本当に追求するのであれば、エコロジーを「恒久的な持続を前提としない」ファッション化するべきではない。

むしろ、真逆でかっこつけないことに本質があるのではないかと思う。



先のエコバッグの話で言うと、俺的には百均の巾着で十分だ。


以上、余り大層なことを言うと後々やりにくいのと、加味すべき大人の事情に配慮して、今回はこの辺にしておきたいと思う。


↓ジャカルタで開かれた「エコ」をテーマにしたファッションショーでの1枚。
eco-chic fashion showより
決して後ろ前逆に着てしまったわけではないと思う。主に廃材を利用して作ったらしいが、実用性ゼロの時点でやっぱりズレてると思う。
勝手にタイトルを付けてみた ― 「ひどく寝苦しい夜」


FC2 Blog Ranking


関連記事

 シリーズ突っ込みたくて Vol.1[レジ袋とシール]
 シリーズ突っ込みたくて Vol.8[欧米では]
posted by n-o-b.net at 02:00| Comment(3) | TrackBack(0) | ■ シリーズ突っ込みたくて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月20日

俺的英雄列伝 Vol.2[英雄、終電に乗る]

よくまあこれだけ更新頻度の低いブログに足を運んでいただいている皆様、感心もとい感謝しております。
毎度ありがとうございます。

無事にボルネオ島から帰還して1週間が過ぎました。

今回も割とアドベンチャーなジャーニーだったので、果たしてどんなところだったのかその冒険譚を誠意準備中ですが、執筆にもう少しかかりそうです。

その間の繋ぎとして英雄列伝を1つ。
先に言っとくと、お食事中の閲覧は止めといた方がいいです。



英雄、終電に乗る

終電車 ― それは普段はきっと真面目な勤め人であろう方々も、謎の奇行を繰り出すクリーチャーへと豹変させる現代のバトルフィールドである。

都心から郊外へと走るその日の終電車も人の数こそまばらとはいえ、アルコール臭気を撒き散らす酔拳使いが散見される魔窟と化していた。


電車は始発駅から2駅目に停車し、魔界から新たな刺客が送り込まれてきた。

刺客(推定40歳♂)の顔は紅潮し、普段はその魔力を封じ込めるアイテムであるネックタイを緩め、不思議な踊りを踊りながら確実に我々のMPを奪い始めた。



さて、その時自分は座席に座っていたのだが、右斜め前の位置に1人の青年が吊り革につかまって読書に耽っていた。

後の英雄、その人である。



刺客はフラフラと青年の真横に立ち、おぼつかない手で吊り革に手を伸ばした。

しばらくは何事もなく過ぎたが、徐々に不穏な兆候が現れる。
刺客が波打つムチに打たれたように小刻みに体を震わせ、よもや嗚咽のモーション(第1段階)に入ったのである。

馬鹿な。ついにここで魔界の最終兵器―GEROが解き放たれようというのか。

周囲の乗客の動揺は著しく、そぞろに退避行動の様相を示した。
位置的には攻撃テリトリーの外であったが、自分も万一のために避難ルートの確認に余念がなかった。


刺客の行動は第2段階に入り、繰り返しノド元に押し寄せているだろうブツと格闘している模様だ。

しかし確実に視界は入っているだろうが、例の青年だけは未だ動じる様子を見せない。


いよいよ刺客の行動は最終段階に入り、両方のまなこは見開かれ、額には脂汗が浮き出て、抑えきれないのか口元を手で覆い隠している。

もはや誰にも止めようがない。

刺客は巨神兵と化し、忌まわしい咆哮と共にプロトンビーム(吐しゃ物)で周囲を恐怖のどん底へと叩き落した。


・・・が、事前の退避行動により、意外にも周囲への被害は軽微であった。

ところが、はっと目をやると、その場のダメージを一手に引き受けるように、青年のパンツは膝下から裾にかけて毒液によって汚されていた。

その場の誰もが息を呑んだ。
どうなっちゃうんだろう、と。


すると青年、はっと患部に目をやり3秒程凝視していたかと思うと、





すぐまた読書に戻った。






えええええ!割とおおごとだと思うよ俺は。



まるで野に咲くタンポポに一瞬気を取られた、その程度の限りなくノーリアクションに近いリアクションであった。
そこまで気にしないと、むしろこっちの方が気になるわ。

いずれにせよ、英雄が誕生した瞬間であった。


一方、刺客の方はというと毒液を吐き出したことで、普通のかわいいオジサンに戻ったのか、たった今自分がしでかした大惨事など露知らず、避難民によって空いた空席にどっかりと座ると自らラリホーを唱え、高いびきをかき始めた。


辺りには次第に瘴気が漂い、すえた匂いが車内を汚染しつつあったが、英雄はそれでも微動だにせず、ただ黙々と読書を続けていた。

ここまでくると是非1つ聞いてみたくなった。

どんだけ面白いんだよ、その本。



なお、その際英雄が"青き衣"をまとっていたことは言うまでもない。(ウソ)

FC2 Blog Ranking
posted by n-o-b.net at 01:40| Comment(6) | TrackBack(0) | ■ 一人でできるもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月04日

俺的英雄列伝 Vol.1[英雄、富士に立つ]

 
 
 
英雄は他人によって作られる偶像ではない。

誰もが心の中で描く自分自身の理想像である。


― ロシアの哲学者 ショーブノ・リモジフ(ウソ)




このシリーズでは、今までに自分が実際に出会ったすごい人物の中でも、輪をかけてすごかった人々 ― 英雄 ― にカテゴライズされる立志伝中の猛者どもを紹介していくおつもりである。


英雄、富士に立つ

登山が好きである。
思えば1年前の丁度今頃はヒマラヤ山脈をトレッキングしていた。
そして来週は東南アジア最高峰キナバル山登頂に挑む予定である。

何が楽しいの?と言われればそれまでだが、ナントカと煙は高いところが好き、というのでつまりそういうことなのだろう。
とにかく一歩ずつ踏みしめて最後に頂に立った時の達成感は何物にも変えがたいものがある。


そんな登山の世界への扉を開いたのは日本最高峰、FUJIYAMAであった。


俗に富士山はつまらない山だと言われる。
一般的に5合目から登山道に入った場合、6合目を過ぎた辺りで森林限界を越えるため、そこからはごつごつとした火山荒原を黙々と登っていく感じで、起伏も少ないし、周りを見渡しても眼下の樹海以外に目を見張るものはない。

しかし、だからこそ「登頂する」という目的をストイックに追求できるし、黙々と足元だけ見て進むからこそ最後にご来光を目にした時にこみ上げるものがあるのではないかと思う。


とはいえ、富士山に登頂する時にはそれなりの装備や覚悟が必要である。
必携アイテムとして浮かぶものはざっとこんな感じ↓

・トレッキングシューズ
砂走りがある御殿場口や須走口を選ぶ場合、くるぶしまで足が埋まるためハイカットが望ましい。

・バックパック
大きさは20リットルでも40リットルでも負担にならない程度でよいと思うが、腰ベルトは是非あった方がよい。

・雨具
ある意味最も必需品と言える。天気が変わりやすい山で、これを忘れて雨に降られた時は、あっさり下山と相成る。上下分かれたセパレートタイプを強くオススメしたい。

・ヘッドライト
ご来光をアタックするなら、明け方の3時4時に8合目を出発するので必要。
ただトップシーズンだったら、山頂まで行列ができるので他人のライトで意外となんとかなる。

・帽子・サンブロック・サングラス
標高が高いと紫外線もそれだけ強い。なめてかかって痛い目にあった。

・長袖の衣類
山頂付近は夏でも寒い。また、登山中に暑いからと言って半袖でいると、紫外線にやられます。

・その他、水、汗拭きタオルなど。

また、あるといいねレベルでいうと、

・ストック
特に下山時に重宝する。金剛杖という木の棒が売られているが、持ちにくいのでどっちかと言うとお土産用。

・酸素缶
高山病が心配ならお守り的に持っていくとよい。

かように富士山は老若男女問わず登りやすい山とはいえ、それなりの準備と心構えを持って臨まないと、登頂はおろか不慮の事故につながりかねない。


繰り返すが、
それなりの準備と心構え、
これは富士に挑むに当たって何より必要なアイテムだ。


しかしだ、
英雄はそこにいた。



― 無事登頂を果たし、山頂から少し下った9合目あたりだったろうか、精も根も尽き果てた我々を、悠々追い抜いていく1人の青年がいた。

その青年、Tシャツに短パン、そしてあろうことか足元にはビーサンをお召しになり、我が国最高峰を闊歩していた。

さらに背中にバックパック的なものは認められず、ただ右手にドンキのビニール袋を提げているのみであった。




買い物ついでか。





お〜いお茶で一服中の英雄に、思い切ってその格好で登ったんですか?と聞いてみた。
「え?はい。まあ地元なんで」
とさらりと答える英雄。




お〜いそれは無茶!





じゃなにか、地元民は俺にとってのブックオフ感覚でFUJIYAMAかっこ標高3,776mに登るんか。


砂走りの土煙に消えていく英雄の後姿 ―。
まるでもう1つのご来光を見たような心境だった。


一切混じりっ気のない本当の話である。


※くれぐれもマネをしないでください。
英雄は特殊な訓練を積んでいます。


FC2 Blog Ranking
posted by n-o-b.net at 05:06| Comment(1) | TrackBack(0) | ■ 一人でできるもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月31日

これまでの一行ネタ 2008春夏

デイリーで更新してきたブログ説明文↑の一行ネタ。

たまにさぼったので毎日とはいかなかったが、とにかく5月末から始めて今のところまだ続いている。

「全部まとめて公開してほしい」という強い要望があったかなかったかと言えば、ビタ一文なかったわけだが、1個1個はあれでも一気に見てみると少しはましなじゃないかってことと、時事ネタをたまに取り入れていたのでこの春夏を振り返るには悪くないと思い、以下箇条書きにしてみた。

なお、わかりにくいところや更新日近辺のニュースなどには注釈を付けてみた。


【2008年5月】
5/24 「ラブラブ」という言葉を聞くと虫酸が走るWEBディレクター
5/25 焼肉パーティも鍋パーティも1人で開催するWEBディレクター
5/26 「逆に」から始まる会話が逆になっていなくても黙って流す位の器はあるWEBディレクター
5/27 あれほど自分に言い聞かせたのに傘を電車内に忘れるWEBディレクター
5/28 ひとりでできるもんという有名ダンサーの存在を最近知ったWEBディレクター
5/29 自分のことを「一途なんだよね」というのはどうかと思うWEBディレクター
5/30 FUJIMORIXとFUJI XEROXはよく似ているWEBディレクター
5/31 小田急線新宿駅の乗り場はわかりにくいと思うWEBディレクター

【2008年6月】
6/1 「超合体サンゴッドV」のオープニングテーマは100回観てもまだ笑えるWEBディレクター
※「超合体サンゴッドV」=「ギャグマンガ日和3」の中の1話
6/2 焼き鳥はツウっぽく塩を頼むが、本当はタレ派のWEBディレクター
6/3 「ダイバスター」マルさんのたまに高いテンションが好きなWEBディレクター
6/4 亡くさないように高い傘を買ってもやっぱり亡くすWEBディレクター
6/5 裁縫の玉止めが一生レベルでできた試しがないWEBディレクター
6/6 (笑)はもとより(爆)は問題外だ、とうそぶくWEBディレクター
シリーズ突っ込みたくて Vol.5[顔文字]と関連
6/7 「ダイバスター」の放送100回記念を1人しめやかに祝うWEBディレクター
6/8 ジェロの次は鼠先輩のリフレインが止まらないトゥナイトなWEBディレクター
6/9 アニメ版「ゴルゴ13」でゴルゴが携帯で顧客と連絡を取るのが納得いかないWEBディレクター
6/10 ガリガリ君で当たりが出てもいい年してもう1本もらう勇気はないWEBディレクター
6/11 ブロッコリーを見ると思わず「この木なんの木」を口ずさむWEBディレクター
6/12 「なる早」という言葉を使い慣れた自分がちょっといやなWEBディレクター
6/13 ギザ10を未だに貯金箱に貯めている昭和なWEBディレクター
6/15 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」は実話だと1年位信じていたWEBディレクター
6/16 「ふくとしんせん」と入力すると「吹くと新鮮」と変換されるナイスな端末が相棒のWEBディレクター
※6/14に副都心線が開通
6/17 本を買う時は上から3番目くらいから取ることにしているWEBディレクター
6/18 大切な衣類はネットに入れて洗うWEBディレクター
6/19 体組成のうち50%はバファリンと同じ成分でできているWEBディレクター
6/20 松尾スズキとペ・ヨンジュンは似て蝶だと思うWEBディレクター
6/21 マライア・キャリーとウイリアム・H・メイシーは紙一重だと思うWEBディレクター
6/22 折角の休日は丸一日YouTubeで「空耳アワー」を見倒して終わっちまったWEBディレクター
6/23 大学時代に作ったスノーボードサークルが冬を待たずに潰れたWEBディレクター
6/25 筆ペンを使って字の下手さを誤魔化すWEBディレクター
6/25 ダイバスター102話でのAD小田くんはいくらなんでもかわいそうだと思うWEBディレクター
※小田くんが好きな女性の前で両手にカップうどんを持ち全裸にさせられた回
6/27 「鬼畜」という言葉が変換できなくて携帯を替えたWEBディレクター
6/28 初めて本場の讃岐うどんを食べた時に小宇宙(コスモ)を感じたWEBディレクター
6/29 お察しの通り週末の楽しみの1つは録画した「ダイバスター」観賞なWEBディレクター
6/30 人生に3度モテ期があると聞くが、それならモテ期は2度と訪れないWEBディレクター

【2008年7月】
7/1 自転車のサドルだけ盗まれたことがあるWEBディレクター
7/2 ボーリングの平均スコアは聞かないでほしいWEBディレクター
7/3 うまい棒はめんたい味に限るが継投でサラダ味も挟むWEBディレクター
7/4 出席番号順だと後ろの方で背の順だと前の方だったWEBディレクター
7/5 ここ数年の24時間マラソン企画は確実にずれていると思うWEBディレクター
7/6 電化製品の折り込み広告を見るとなぜかテンションが上がるWEBディレクター
7/7 夏と言えばTUBEよりむしろ杉山清貴&オメガトライブを推したいWEBディレクター
7/8 七夕の夜空に「梅雨時のカビをなんとかしてほしい」と願ったWEBディレクター
7/9 最新の所有ゲーム機はプレステ1であるWEBディレクター
7/10 宅配ピザをオーダーした際は、対面上複数人で頼んだことを装うWEBディレクター
7/11 ブルガリアヨーグルトに付いてくる砂糖が余って困ります、なWEBディレクター
7/12 週末の1大イベントがカビ退治とはなんてかわいそうなWEBディレクター
7/13 カビキラーの威力は大したものだ、と嘆息を漏らすWEBディレクター
7/14 舘ひろし版ゴルゴにようやく慣れつつあるWEBディレクター
7/15 飛行機の座席の狙い目は、非常口前であることを知っているWEBディレクター
※7/13からベトナム・カンボジア紀行の投稿を始め、しばらく海外ネタになる
7/16 海外のマストアイテムその1は耳栓なWEBディレクター
7/17 海外のマストアイテムその2はバイクロープなWEBディレクター
7/18 海外のマストアイテムその3はガムテープなWEBディレクター
7/19 海外必携品4はアーミナイフだが、結局ほとんど使ったことはないWEBディレクター
7/22 ゲストハウス選びのポイントは「何事も大目に見ることだ」と語るWEBディレクター
7/23 熱帯で部屋を借りるならエアコンよりファンが断然おすすめなWEBディレクター
7/25 長距離バス移動の際は半分膨らませたエアピローを座布団にするWEBディレクター
※一杯に膨らませると破裂するから
7/26 日本のビールは確実に世界で通用すると思うWEBディレクター
7/27 海外を旅した中で一番うまかったのは上海で食べた小龍包だったWEBディレクター
7/28 スペインで食べたブルーチーズは一口で絶対無理と判断したWEBディレクター
7/29 メキシコ土産にお菓子だと思って買った物はなんかの種だったWEBディレクター
7/30 イギリスは飯がまずいと言うが、実際想定の倍はまずかったWEBディレクター

【2008年8月】
8/1 昔インドネシアでポン引きの片棒をかついでいた経験を持つWEBディレクター
8/2 日本の7〜10倍の紫外線により、ニュージーではえらい目に遭ったWEBディレクター
8/4 何の情報も持たずに南海の島国バヌアツに行った経験を持つWEBディレクター
8/5 バヌアツで会った唯一の日本人はJICAの人だったWEBディレクター
8/6 海外に行くと若干便秘がちになるWEBディレクター
8/7 某社長に「カンボジア紀行の続きは?」と突っ込まれたWEBディレクター
※ベトナム・カンボジア紀行の更新を2週間ほどサボタージュしていた時
8/9 散々待ったのに肝心な日本選手団の入場シーンを見逃したWEBディレクター
※8/8北京五輪が開会
8/10 実は柔道有段者だが、寝技に持ち込まれると勝負を捨てていたWEBディレクター
※8/9柔道を始め各競技が始まる
8/12 想像:実物で比べると自由の女神の小ささはマーライオン以上だったWEBディレクター
8/13 ラスベガスで1発目にやったスロットで旅費をチャラにしたWEBディレクター
8/14 Los Angelesに住んで最初の3ヶ月、ずっとLos Angelsと綴っていたWEBディレクター
8/15 L.A、シビックセンターのバス停で拳銃を突きつけられたことがあるWEBディレクター
8/18 香港のカップルはクソ暑いのによくベタベタとくっつくなあと思ったWEBディレクター
8/19 マレーシアでハンバーガーを売る少年のお陰で今があるWEBディレクター
8/20 タイで会ったニューハーフの多くは内角ギリギリでストライクゾーンなWEBディレクター
8/21 パキスタン人のルームメイトが作ったカレーが今でも忘れられないWEBディレクター
8/22 L.A時代のニックネームはMr.Miller、相棒のそれはMr.BudであったWEBディレクター
※MillerもBudもアメリカのビール
8/23 今まで行った中で最も刺激がなかった場所と言えばハワイだったWEBディレクター
8/25 北京五輪ではこれまでになく幾度も感涙し、寄る年波を感じたWEBディレクター
※8/24北京五輪閉会
8/26 昔弟に麦茶と偽って水で薄めた醤油を飲ませたことがあるWEBディレクター
8/27 昔弟にC1000タケダと偽ってオデンの残り汁を飲ませたことがあるWEBディレクター
8/28 赤いきつねよりどん兵衛、UFOよりペヤング派のWEBディレクター
8/30 「うまい!」とか「味自慢」とか自分で書いてる店は大抵その逆だと語るWEBディレクター
8/31 夏も終わりだが、夏らしいことと言えばスイカバーにはまった位だったWEBディレクター

FC2 Blog Ranking
posted by n-o-b.net at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | ■ 一人でできるもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月30日

戦争映画 FALL IN!! Vol.1〜Vol.10

Vol.1 「西武戦線異状なし」・・・・・・原点であり最高点の反戦映画
Vol.2 「炎628」・・・・・・観賞注意!ソ連発トラウマ映画
Vol.3 「戦争のはらわた」・・・・・・よくわかるRoad to World War 2
Vol.4 「戦場のピアニスト」・・・・・・歴史の黒幕ロスチャイルド家について
Vol.5 「ヒトラー 〜最後の12日間〜」・・・・・・なぜナチスは民衆に支持されたのか?
Vol.6 「ジョニーは戦場へ行った」・・・・・・余りにも有名な鬱映画とその作者について
Vol.7 「二百三高地」・・・・・・日露戦争で得をしたのは誰?
Vol.8 「パール・ハーバー」・・・・・・戦争映画とは認めません
Vol.9 「トラ・トラ・トラ!」・・・・・・戦争大好き!アメリカのスケープゴート作戦
Vol.10 「地雷を踏んだらサヨウナラ」・・・・・・戦場カメラマン一ノ瀬泰造の軌跡

FC2 Blog Ranking
posted by n-o-b.net at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ■ 戦争映画 FALL IN!! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月28日

【INDEX】ベトナム・カンボジア紀行

ベトナム・カンボジア紀行[子の巻]・・・・・・東京→サイゴン
ベトナム・カンボジア紀行[丑の巻]・・・・・・於サイゴン
戦争映画 FALL IN!! Vol.10 「地雷を踏んだらサヨウナラ」
ベトナム・カンボジア紀行[寅の巻]・・・・・・サイゴン→プノンペン
ベトナム・カンボジア紀行[卯の巻]・・・・・・於サイゴン
戦争映画 FALL IN!! Vol.11 「キリング・フィールド」
ベトナム・カンボジア紀行[辰の巻]・・・・・・プノンペン→シェムリアップ
ベトナム・カンボジア紀行[巳の巻]・・・・・・於アンコール・ワット
ベトナム・カンボジア紀行[午の巻]・・・・・・於シェムリアップ
ベトナム・カンボジア紀行[未の巻]・・・・・・シェムリアップ→プノンペン
ベトナム・カンボジア紀行[申の巻]・・・・・・プノンペン→サイゴン
ベトナム・カンボジア紀行[酉の巻]・・・・・・サイゴン→メコン・デルタ→サイゴン
ベトナム・カンボジア紀行[戌の巻]・・・・・・サイゴン→東京

FC2 Blog Ranking