2009年06月14日

マレーシア・ボルネオ紀行[未の巻]

第4日目(前編)
9:30に起床。
今日で相棒のマーは日本に帰国し、自分は昼過ぎの飛行機でブルネイへの1泊旅行に出かけ、明日の夜KKにとんぼ返りする予定である。

共有スペースでトーストと紅茶の簡単な朝食を済ませた後に、身支度を始めた。

ブルネイは厳格なイスラム教国なので、お酒は一切手に入らない。
しかし、特例で外国人の場合は、ウィスキーやワインなら2本、ビールなら12缶まで自分で持ち込むことができる。

なので、晩酌用にとNormanからビールを2本買った。

すると、そのやりとりを見ていたドイツ人のおじさんが一言。

「なんだ?お前はブルネイに10分しかいないつもりか?」

いかにもドイツ人なボケである。

チェックアウトし、一泊分の宿代RM20とビール代を支払う。

幸いマーとは飛行機の時間がそう変わらなかったので、タクシーを呼んでもらって一緒に空港に向かうことにした。

KKの朝

お見事な青空の下、空港までの15分間、快適なドライブであった。

KK市内のモスク
KK市内にあるモスク

空港に着き、先に自分より1時間ほど早い便で日本に発つマーがチェックインする。

早すぎたのだろうか。自分の搭乗するロイヤルブルネイ航空のカウンターは開いていないようなので、ぼーっとマーが手続きを終えるのを待った。

マーが戻ってきたので、そろそろ自分もチェックインしようと思い、インフォメーションでロイヤルブルネイ航空のカウンターはどこか聞いてみた。

ロイヤルブルネイなら1階下だと言うので、マーにつきあってもらい、言われるままエレベーターで下りてみた。

するとそこは妙に閑散としたフロアで、寒々とした廊下が奥まで続き、ほんとにこんなところに出発カウンターがあるの??と言った感じだった。

果たして"ROYAL BRUNEI AIRLINES"の看板を掲げた一室を見つけ、ほっとして中に入る。

中にはぽつんと女性が1人カウンターデスクに向かっていて、パスポートとEチケットを出し、チェックインしたい旨を告げると、どういうわけかきょとんとした顔をされた。
そして出てきた一言がこれだ。

「お客様。本日はブルネイ行きの便はございません。」

「へ?」


いやいや何言ってるの、ほらちゃんとチケットだってあるんですから、とEチケットを見せる。
間違いなくそこには今日の日付が記されいてる。

しかし、それを見た彼女の口から衝撃の一言がこぼれだす。

「・・・お客様。このチケットは今日の夜0時のものです。
つまり、お客様が乗られるはずだった便はすでに出航しました。」





え?

え?

え?



一瞬咀嚼するのに時間がかかった。

そ、そんな馬鹿な、と奪うようにチケットを見直すと
Depart 12:55AM
と書いてある。

えーと、ちょっと待てよ、12:55AMってことは午前12時ってことだろ、午前ってことはお昼の前だから、その前に時計が12:55を指すのは・・・






ア"ーーーーーーーーッ!!!


ア


一瞬思考が止まり、山海塾の決めポーズ(↑上記)で虚空を見つめていると、心配したマーが安否を問うように「大丈夫?」と話しかけてきた。

はっきり言って大丈夫ではなかったが、我に返りお姉ちゃんに、じゃあ次の便はいつ?払い戻しはできないのか?他の航空会社で今日ブルネイに飛ぶ便はないのか?などを矢継ぎ早に質問した。

無情にも彼女はほとんどの質問にふるふると首を振るだけだった。

ダメだとわかると今度はなんだか腹が立ってきて、
12:55AMって、この書き方じゃ大概昼の便だと思うわ!
それなら0:55AMって書くのが筋だろ!

などの正論から
ってことは、そんな深夜に俺を未知の国に落とすおつもりだったのか!
などの屁理屈まで、都合よく自らの過失を消化するかのように、理不尽な怒りが沸き上がってきた。

とりあえず、ここにいても埒が明かないことはわかったので、忸怩たる思いは飲み込んで礼の言葉を告げ、オフィスを後にした。


どうしたものか・・・。
計画は完全に狂ってしまった。


マーは言葉をかけづらそうにしつつも、励ますように声を掛けてくれる。
とはいえ、マーの出発の時間は刻一刻と迫っており、自分ごとのように困り顔を浮かべるマーの背を押して、彼を見送った。








こうして1人になった。









本当にどうしたものか。
ブルネイ行きはまだ諦めたくない。
でも現実問題飛行機はない。
そうだ、なんとか陸路で行けないだろうか?
距離的には不可能ではないはずだ。

そういえば、日本でブルネイについて調べた時にバスとボートを使ってKKからブルネイに行った人のブログを読んだ。

などと考えを巡らせているうちに、とにかくこう情報がなくてはどうにもならない、と
到着初日に行ったツアーデスクに行ってみる。
→見事に開いてねえ。


そうだインターネットカフェを探そう。
→そんなオシャレなものはねえ。


せめて本屋で情報収集を。
→はっ、影も形も見当たらねえや。



ついてない時とはこういうものだ。
思わず小声でヘルプミーと呟いてしまう虚無感であった。

こうなったら仕方がない。昨夜の宿Tropicanaに戻ってNormanに方法がないか聞いてみよう。

タクシーに乗り込み、さっきアゲアゲのテンションで通った同じ道を、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観終わった貞子のようなサゲ気分で引き返す。


Tropicanaに着き、中に入るとNormanがゾンビでも見るような目で自分を見る。
事情を話すと野郎、腹を抱えて笑い転げた。

思えば昨夜、君らと宴をしていた丁度その時に、乗るはずだったブルネイ行きの便は行ってしまったのだから、ちょっとは同情してくれてもよさそうなものを。


まずはインターネットでロイヤルブルネイ航空とマレーシア航空の便を調べたが、確かに今日の便はない。

陸路で行く方法はないか?とNormanに尋ねたが、ないことはないが今から出発したら今日中には着けない、とのこと。


・・・いよいよ八方ふさがりだ。


最後の手段として今日の深夜に飛ぶブルネイ行きのチケットを買い直す、というのがあったが、なんだかそこまでしてブルネイにこだわるのもばかばかしく思えてきた。


オーナーのVincentがやってきて、やはり同じようになんでいるの?という顔をする。
説明すると、やはり大爆笑された後に、それは今回はブルネイ行くのは止めとけってことだよ、とずばり言われた。

言われてみればそうかもしれない。
そこで、冷静に考えを転換してみることにした。


【脳内会議議題】
「そもそも自分はブルネイに行って何をしたかったのか?」


ブルネイ国王が国民のために作った巨大遊園地ジュルドンパークで遊ぶ!

30男が1人で遊園地に行ってどうする。

モスクを見物し、荘厳な気持ちになる!

イスラム教徒でもないのに?この罰当たりが。


結局のところ、俺がしたかったのは、未踏の国を訪れ、パスポートに押されるハンコの数を増やしてほくそ笑みたい、そういうことではないのか?

ということはあれだ、結局のところ痛いのは、1ヵ月後にカードの請求が来た時に「あ?この$200ってなんだ?ああ、どぶに捨てたブルネイ行きのエアー代か」・・・と思い出してちょっと悔しい、

それだけのことだ。




こうして脳内会議を終えると、さっきまでの鬱な気分がなんてことなくなり、あと2晩KKで過ごすことにあっさり切り替えた。


そうVincentに告げると、なら折角ボルネオに来たんだから、ダイビングでもやってけよと提案された。

唐突の提案だったが、どのみち予定などあるわけがない。
そんなつもりは毛頭なかったのでCライセンスを携行しているはずもなかったが、Vincent曰く別になくてもなんとかなる、とのことなので、40秒で潜ることを決断。

Vincentはさくさくと手配をしてくれて、13:30には海に向けて車で出発した。


目を細めたくなるような晴天の中、海へと続く道を車に揺られ、なんだか妙なことになってきた、と一度底まで落ちたテンションが沸々と再燃してくるのが実感できた。


後編につづく

2009年03月07日

マレーシア・ボルネオ紀行[辰の巻]

第4日目
9時起床。目覚めると部屋には誰もいなかった。
顔を洗って荷をまとめていると、散歩にでも行っていたのかぞろぞろとRyan他、同室の面々が帰ってきた。

彼らも今日ここを発ち、てんでばらばらに西へ東へ向かうと言う。
Ryanとじっくり話す時間があったので、今更ながら色々聞いてみたところ、彼はN.Y.のロースクールを卒業してこれから弁護士になるのだそうだ。

その前のモラトリアムとして3ヶ月世界を旅していて、来月アメリカに帰るらしい。

「来月帰るのには理由があるんだ」という。
「なんで?」と聞くと「投票だよ」と答える。

なるほど、その当時は丁度アメリカ大統領選の直前でオバマか?マケインか?というのが世間の共通の話題だった。

「差し支えなければどっちに投票するつもり?」と聞いたところ、全く躊躇なく「バラク・オバマ」という回答が帰ってきた。

Ryan「旅で知り合った人々は大体俺の意見に賛成してくれたよ」
「そりゃそうだ、俺もその意見に一票だよ」
と話し、メリケン風にハイタッチなどしてみた。

選挙結果については今更言うまでもないだろう。


荷物を背負い、最後に"God bless your country and Barack Obama!!"という言葉を残して、マーと部屋を後にした。


チェックアウトを済ませた後、大きな荷物を預けて、ポーリン温泉の奥にあるジャングルにトレッキングに出かけた。そこには木製の吊り橋を渡したキャノピーウォークと呼ばれる場所があり、揺れる吊り橋の上から鬱蒼としたジャングルを探索できると言うナイススポットだ。
(入場料: バタフライファームと込みでRM7+カメラ持込RM4)

途中露店でフルーツの王様ドリアンが売っていて、マーに誘われるまま恐る恐る食してみたが、思っていたほど臭いはきつくなく、まさに「果肉」という歯応えのある実はかなりの美味だった。

ドリアン

キャノピーウォークにたどり着くまで木漏れ日の中を上ったり下りたり曲がったりを繰り返すことになり、ここで昨日の筋肉痛を認識することになる。

山道

たどりついたキャノピーウォークを見ると某有名映画のワンシーンと酷似していることに気付く。
「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐」に出てくるイウォーク族の村がそれだ。

キャノピーウォーク

木の上に建てられた小屋や吊り橋、何よりそこから望める豊かなジャングルが緑の惑星エンドアを連想させた。
(実際のロケ地はカリフォルニアなので全く関係ない)

↓吊り橋の上からの風景
吊り橋上

1周した後、看板にBat Cave(コウモリの洞窟)のサインを発見し、これは行くべきでしょうともう一足伸ばす。

ウォーターフォール

途中のウォーターフォールまでたどり着いたところで、マーは膝に自信がないからと後で落ち合うことにして、1人でBat Caveまで行ってみた。

道なき道を1人で登り、しばらく行くとそれらしき場所に出たが、そこは洞窟というよりはただの岩穴だった。

↓ほんとにここ?って感じ
Bat Cave

見当違いの場所に進んだのかもしれなかったが、面倒になって引き返す。

戻ってマーが先に行っているはずのラフレシア・ガーデンに行ってみたが、今はシーズンではないらしく門は閉じていた。
さらに戻って、バタフライ・ファームと言う場所でマーと落ち合うことができた。

※いわゆる「世界最大の花」

そこはその名の通り、蝶の楽園だった。

↓マー撮影による技ありの1枚。まるで図鑑から切り取ったようだ
バタフライ・ファーム


以上の行程を経た頃には、時計は13時を指しており、そろそろコタ・キナバル(以下KK)へと出発するべき時刻が近づいていた。


安食堂で昼食を済ませた後、預けていた荷物を受け取り、タクシーを呼んでもらった。料金はRM200で交渉。

KKまでは来た時と同じで約2時間、からっと晴れている時もあれば、滝のような雨で視界がほぼゼロの時もあり、熱帯の大胆な天気の変化を垣間見えた。


ところで、明日以降についてだが、実は休みの関係でマーはもう日本に帰国してしまう。なので、今後は1人で行動することになる。

で、自分はどうするのか?
実はこれは事前に決めていた。

ボルネオ島は大きく北側のマレーシア、南側のインドネシア、そして北部にぽつんとマレーシアに囲まれたブルネイ(正式名称ブルネイ・ダルサラーム国)の3つの国によって領有されている。

ブルネイの存在に気付いたのは、キナバル山に登ることを決め、ボルネオ島の地図を広げた時で、小さいながらも経済的に裕福で敬虔なイスラム教徒の住むこの国に激しく興味を持った。

調べるとKKから飛行機で30分で行けることがわかり、事前に$200でチケットも買っておいた。

つまり、明日から旅は第2章ブルネイ編に突入するわけだ。



KKには17時ごろ到着した。

すでに最初に空港で両替したリンギットは底をついてしまったので、タクシー代はマーに借りた。

両替しないと今夜のメシも食えねえ、宿も泊まれねえ、ということで真っ先に目に付いた銀行に行ってみたが、丁度17時になりクローズになってしまった。

どうしたもんかと思っていると、親切な行員の人が海岸沿いのショッピング・モールに行けば両替所があるよ、と教えてくれた。
じゃなんとかなりそうだと、ほっとして宿探しを始めた。

事前に空港でもらった地図でどの辺にしようかもあたりをつけていたので、難なくよさそうな1軒を見つけた。

Tropicana Lodgeというのがそれである。

ブザーを押して2階に上がると、こじんまりとした受付兼ロビー兼ダイニングでチェックイン。
ここでスタッフの若者Normanと出会う。


荷物を置くとマーと分かれてすぐに銀行で教えてもらったショッピング・モールに向かった。

KKは実にシンプルな街で方向感覚に自信のない自分でも迷わずに目的の場所に着くことができた。

中に入ると難なく両替所が見つかり、$150をRM4,500に両替。空港よりもレートがよかった。
さて、ついでに何か買う物はなかったかなと思いを巡らせたところ、そうだ下着買っとこうかなと思い立った。

登山中の負担を考えて、下着は最小限しか持ってきていなかったので、そろそろ洗濯が必要だったが、よく考えたら後はブルネイに行って遊んで帰るだけなので、多少荷物が増えたところでどうってことはない。

ということで、まずTシャツを買い、次に下着コーナーに向かった。
ちなみに極めてどうでもいいこととして自分はボクサートランクス派なのだが、ざっと売り場を眺めて探したが・・・ない。
そもそもトランクスがほとんどない。

仕方なく適当に地味な綿のトランクスを選び、購入した。

ここで偏見とは知りつつも、気付いた1つの仮説。


「コタ・キナバルの男子はブリーフ派である」




こうして買い物を済ませ、ショッピング・モールを出た時に息を呑む光景に出くわす。

最初は出口付近の照明が余りにまぶしいなあくらいにに思ったが、一歩外に出ると驚くほどの夕焼けが待ち構えていた。

以下、夢中で撮った写真の一部である。
誓って言うが、画像には一切手を加えていない。
※全てクリックで拡大

KKの夕焼け1

KKの夕焼け2

KKの夕焼け3

一昨日は山の上から、そして今日は海の上から神々しさすら感じる感動的なサンセットを目にすることができたわけだ。ブラボーである。


19時に宿に戻り、マーと街を散策してみた。
空港のある南方面へとひたすらに南下し、その間にあるマーケット・プレイスやカテドラルを冷やかし、十分に街を楽しんだ。

マーケット・プレイス

1時間以上は歩き、さすがにくたびれたので、帰りはローカルの人に混じって、ミニバスを拾った。(RM0.5)

先刻目をつけていたBBQレストランに入り、シーフードやチキンの炙り焼きを存分に愉しんだ。

↓これがまずいわけがないっつう話です
BBQ

食事中、黒猫がニャアニャアと足元にまとわりつき、「おすそ分け」をおねだりされた。かわいさの余り、少しつまんでは分け与えていたら、すっかりなついてしまい、果てしなく「おかわり」を要求された。

↓「エサまだー?」の図
エサまだー?


帰りに宿の1階にあるバーに1人で寄ってもう1杯飲んでから帰ると、マーとNormanが親しげに話していたので自分もお呼ばれする。

さらに、同宿のドイツ人夫妻と宿のオーナーのVincentも加わり、ちょっとしたパーティになった。

Vincentがさかんに「クラブに行こう」と誘ってきたが、さすがにくたびれていたので、休ませてもらうことにした。


シャワーを浴びてベッドに潜り込み、明日のブルネイ行きへの期待を胸に充実した1日を終えた。



・・・とこの時点で、自分はとんでもないミステイクを犯していたのだが、それがわかるのはもう少し先の話である。

2009年03月04日

マレーシア・ボルネオ紀行[兎の巻]

第3日目(後編)
途中、1kmごとに休憩を取りながら、焦らずゆっくりと下山した。
下山中はペースは上がるが、足にかかる負担は大きくなるので、慎重に下りるに限る。
現にマーが若干膝に心配が出てきたらしく、Oさんに一部荷物を持ってもらっていた。

下山始め

休憩中、Oさんが「2人はとってもついているね」という話を始めた。
なんでも我々が登った前日も前々日も雨が降り、最悪のコンディションだったらしい。

前年、雨季終盤のネパールに行った時もほとんど雨に降られず自らのMr.カサイラーズっぷりを誇らしげに語ったものだが、まだそのパワーは顕在らしい。

下山道1

マーに先に行ってほしいと言われたので、マイペースで1人がつがつ山を下っているうちに、はたと気付いたことがある。

それは、
なぜわざわざつらい思いをして自分は山に登るんだろう?
という命題についてである。

山登りという行為はしんどい。
高ければ高いほど険しければ険しいほど、しんどい。

ふと見上げると遥か彼方に霞む頂を前に、これから消費するだろう茫漠とした体力と時間を思い、しばし気が遠くなることなど珍しくない。

しかし大抵の場合、山を「登る」という行為は後に「下る」という行為をともなう。そして下っている時にまたふと山頂をふりさけ見た時に、こう思うのだ。

「よく俺はこんな山登ったな。」

と、自らの成功体験をなぞるその時、またやっちゃおうかな、とムラムラ思うのである。

実際、今回もさっきまで眠気と疲労であんなにしんどかったのに、次はカナダか?中国か?そしていつかはキリマンジャロ、なんてことをもう考えていた。

下山道2

かように山路を下りながら、とかくに住みにくい人の世のことなど考えているうちに無事昨日出発したゲートまでたどりついた。

迎えの4WDに乗り、再び管理事務所の前に降り立つ。
ガイドのOさんにチップを渡し、感謝と別れの言葉を告げる。

この時点で、時刻は13時を回り、少し遅いランチを取った。



さて、ここからの旅程だが、特にプランがあったわけではないが、折角なんでコタ・キナバルにとんぼ返りはせずに、もう少しジャングルツアーを愉しみたい、というのが人情だ。

おあつらえ向きにここから車で30分〜40分行ったところにポーリン温泉という温泉があり、宿泊施設もあると言う。

早速タクシーの運転手と交渉し、RM70で行ってもらうことにした。


ポーリン温泉には言われた通り40分で到着した。
なんでもここはその昔、太平洋戦争中に日本軍の手によって掘削されたそうだ。

旅の疲れを癒すにも、歴史好きのハートを満たすにもなんとも格好のスポットである。

ポーリン温泉入り口

受付でドミトリーの部屋を借りることにし、内見したところ部屋も小ぎれいだったので、朝食なし1人RM50で手を打った。

ロッジ
宿泊したロッジ

部屋に荷物を降ろし、着替えるとその足で温泉に向かった。

吊り橋
温泉は吊り橋を渡った先にある

今朝は零度の寒さに震えてご来光を待ったが、ここは熱帯のむあっとした熱気でもはやTシャツすらない方が丁度よかった。

温泉は鬱蒼としたジャングルの中をイメージしていたが、きっちり整備されていて遊園地のプールのようであった。

ポーリン温泉

・・・とここでまた見覚えのある顔に出くわす。
Ryanとそのご一行様だ。

「また会ったなあ」と高笑いをする彼と挨拶を交わす。

彼らがビールを飲んでいるのを見て、自分も無性にほしくなってきた。
そういえば、ボルネオに着いてから1滴たりともアルコールを飲んでいない。

どこに売っているのかを聞いて、下戸のマーを残し、1人買いに走った。


大自然―温泉―片手にビール、



この最高の環境に震えたが・・・栓抜きがない。
なんということだ。

そうだRyanに借りればいいんだ、と取って返すと、彼らも持っていなかったので、タイルの端に当てて開けようと試したが、5本中3本を破壊したと言う。

部屋に帰ればご自慢のアーミーナイフがあったが、さすがに面倒臭くなり、あきらめた。


大自然―温泉―片手にビール(気分だけ)、



これが今日の登頂のご褒美の図となった。


結局17時過ぎまでそこでゆっくりと過ごし、帰りがけにはこんな↓光景にも出くわした。

虹
※クリックで拡大


部屋に帰ると・・・またRyanたちと鉢合わせた。
なんと部屋まで一緒だったわけだ。

同じ日程で同じ旅程を踏めば、大体行動は同じようになる、そういうことだ。


ベッドに腰掛け、念願の(ぬくもった)ビールを1人で干した後、腹が減ってきたのでマーと2人で食事に出かけた。

入ったレストランは温泉の傍らにあり、ロケーションこそ最高だったが、サービスも価格もいまいちであった。

それでもかれこれ20年の付き合いになるマーと、古今東西悲喜こもごもな話を延々と語った。


その間、激しいスコールが降りすさんだが、帰る頃にはけろっと止み、いい具合に涼しくなった夜道を宿へと引き返し、長い長い1日を締めくくった。

2009年01月31日

マレーシア・ボルネオ紀行[寅の巻]

第3日目(前編)
結局一睡もすることができぬまま起床時間の2時を迎え、長い長い1日が始まった。

ラバン・ラタ、レストハウス

出発の準備を整え、ロビーに下り、腹は減っていなかったが用意されていた食事を詰め込んだ。(RM15)
マーは熟睡とまではいかなかったようだが、それなりに休養を取れた模様だった。

約束の2:30を少し回った頃、ガイドのOさんがやってきた。

外に出ると、思わず声が漏れるほど美しい星空と、キンと体に響く冷気で一気に目が冴えた。
温度計を見ると気温は摂氏7度だった。

真っ暗な中、足元を照らすヘッドライトの灯りを頼りに一歩ずつ確かめて進んでいった。

山頂アタック開始

少し行くと板で不規則ながら階段が組まれている場所になり、手すりを伝い、前の人の背を見ながらがつがつと登った。

また行くと今度は板の足場もなくなり、ごつごつとした岩場だけになった。
特に高度な登攀技術が必要な場所はなかったが、急すぎてとてもロープなしでは登れない箇所はいくつかあった。

岩場

途中、5分の休憩を除けば、ほとんど休みなしで約4時間登り通しだったが、暗闇の中を足元だけ見て進むと意外に疲れを感じなかった。
辛かったのはむしろ寒さで激しい風を防ぐためにフードまですっぽり被って登った。

急勾配

山頂が近づくと森林限界を越えたと見え、辺りは草木がほとんどない枯れ山のようだった。

4,000m地点
ついに未知の領域、4,000m越え

休まず進んだ甲斐もあり、無事日の出前の6時10分、東南アジア最高峰4,095mキナバル山の頂に立つことができた。

登頂に成功した時の写真↓
登頂!

唯一まともに2人で映っている写真である。

キナバル山は山頂がお盆上に平らになっているのだが、最高峰4,095m地点は突き出したピークの先にあり、まさに"山頂"というところは狭くやっと2人が立てる場所だった。


登頂者が続々とやってきたので、山頂から2、3m下りたところでご来光を待つことにしたのだが、これがまあとにかく寒い。

赤道の横切るボルネオ島は熱帯性気候に属するが、さすがにここまで登ると気温は0度まで下がる。

びゅんびゅん吹く風の中、シャッターチャンスを待とうと手袋からかじかんだ手を出し、カメラ片手に待機していたわけだが、寒さと眠気で今にもあっちの世界からお呼びがかかりそうだった。

さらに足場としていたところは不安定な場所で、振り返ると一歩後ろはまっさかさまの断崖絶壁。加えてこの風。
震える体を少し傾ける、カメラを持ち換える、これだけの動作でいちいちズビズビと緊張感が走った。

一歩後ろは谷底の図
反対斜面

一瞬、なんでこんな金と時間と労力かけて俺こんな辛い思いしてんだろう?とありがちな愚問が頭をかすめる。


こうして永遠とも感じられる20分を過ごした後、待ちかねたサンライズの時間となった。

雲の位置が地平線より若干高い位置にあり、太陽はいびつに現れたが、夜が明けるとともに、少しずつ山や眼下の雲が輪郭を見せ始めたさまは感慨深く、登頂に成功した実感がじわじわと沸いてきた。

ここでしばしご来光までの経過を写真でお届けしたい。
撮影は全てマーの手による。(自分のはなんか全部いまいちだった)

山頂にて1

山頂にて2
※クリックで拡大

山頂にて3

山頂にて4
※クリックで拡大

山頂にて5
※クリックで拡大

山頂にて6
※クリックで拡大

最後の1枚はキナバル山自身が大地に影を落とす様子。やはりこうして見るといかに大きな山かがわかる。


山頂にはもう10分ほど滞在した後に、Oさんに先導されながら下り始めた。

下山開始

登った時には暗闇に包まれて殺伐とした場所にすぎなかった風景が、下る時には陽光に包まれてすっかり豊かで美しい表情に変わっていた。

夜明け後
※クリックで拡大

4時間かけて登った道を帰りは1.5時間で下って、ラバン・ラタに戻ってきた。
途中余りにも眠くて、まずいこのままでは歩きながら落ちると思ったので、マーに断ってハイペースで進み、先に部屋に帰って20分だけ仮眠を取った。

マーが帰ってきたので、一緒に朝食を取る。
朝食メニューもやはり豪勢だったが、あまり食が進まず1皿完食して合掌した。

9時に出発とOさんに言われたので、マーが荷造りをしている間また横にならせてもらった。

休んだ気がしないうちに時刻は9時になり、重い体を起こしてラバン・ラタを後にした。

続く

2009年01月17日

さよならマイPC

番組(ボルネオ紀行)の途中ですが、臨時ニュースです。

私の愛PCが他界しました。完膚なきまでに。


今までありがとう。
君とつきあった9年間、決して忘れません。

誰よりも俺の個人情報を知っている君、
誰よりも俺の恥ずかしい思い出を知っている君、
本当にありがとう。

とはいえ、自分は切り替えが早いたちなので、さっさと次のPCに乗り換えたいと思います。
それまでボルネオ紀行は頓挫します。

数少ないdekirumon読者の皆さん、申し訳ございません。
しばし喪に服す自分をお許しください。
posted by n-o-b.net at 01:17| Comment(6) | TrackBack(0) | ■ 一人でできるもん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月14日

マレーシア・ボルネオ紀行[丑の巻]

第2日目
6:10起床。

まだ眠いが、体を起こし、準備を始める。

外に出ると見事なピーカンの空をキナバル山が悠々と占領していた。

キナバル山
※クリックで拡大

昨日は暗闇の中に大きな難破船のように朧気にしか確認できなかった稜線が今ははっきりと見える。
なんとなくセザンヌが描いたサント・ヴィクトワール山を思わせる無骨な風貌であった。

あれに登るのか、と思うと武者震いがした。

部屋に戻ると、同宿のRyanがもし可能だったらグループになって一緒に登らないか?と提案してきて、それは願ってもないことだったので受けることにした。

というのもキナバル山に登るには2つの条件があり、1つはあらかじめ山腹にあるロッジを予約しておくこと(これが事実上の入山申請)、もう1つはガイドを雇うこと、であった。

ガイドは1人でも雇うことができるが、複数で雇った方がそれだけ割安になる。


まずは管理事務所近くにあるBalsam Cafeに赴き、朝食を摂る。費用はRM35と書かれていただが、どうやら昨日の宿代に含まれていたようだ。

なるほどそれなら昨日払った宿代も少しはうなずける。
ビュッフェ形式になっていて、炒飯やチョーメンなどの中華からフライドエッグ、ソーセージなどの洋食まで実に豪華なものだった。

昨日の空腹を解消しようと意気込んだが、いざとなると余り入らないものだ。

Ryanが7:30に管理事務所前で待ち合わせようというので、マーと荷物を取りにドミの部屋へと戻った。

パッキングをして、登山準備を始めているとRyanがばつが悪そうな顔で戻ってきた。

実は彼は他の西洋人のトレッカーとも一緒に登る約束をしていたらしいのだが、どうやら1人のガイドを雇えるのは6人までらしい、とのこと。
すでに4人のグループができていて、そこにRyan、我々を加えると7人になって、1人余ってしまう。なんなら自分が抜けようと思うが・・・というが、それはありえないので、事情はわかったから気にしないでくれ、俺らは最初から2人で登るつもりだったんだから、と告げた。

管理事務所で最終的な入山申請を行う。

・Permission Fee(申請料) RM100
・Insurance Fee(保険) RM7
・Conservation Fee(自然保護料) RM15
・Guide(ガイド料) RM85/2人

をレセプションで支払い、ガイドを待つ。

その間にBalsam Cafeに行き、ランチ・ボックスを受け取った。
これは上記以外にかかる今日停まるラバン・ラタ・レストハウス(Laban Rata Resthouse)の宿泊料(RM228/1人)に含まれている。
※宿泊料は日本からカードで支払った。

ちなみにラバン・ラタの予約は以下のWEBサイトから行うことができる。(英文)
http://www.suterasanctuarylodges.com.my/laban_rata.php
キナバル山に登るには、自分たちのように行き当たりばったりでなんとかなるが、これだけは日本で済ませておかないと、一杯で入山できませんということになる可能性がある。


ランチをもらい受けて事務所前に行くと、マーがすでにガイドの人と一緒に待っていた。

ガイドの方はオレニアス(スペルわからず)と言う名前で、自分といくらも変わらない年ではないかと思われる小柄な男性だった。(以下Oさん)

登山道まで向かうために4WDに乗って10分ほど揺られる。
道路はきれいに舗装されていたが、周りの植物は序々にジャングルテイストが濃くなってきた。

登山道へ

車を降り、軽く準備運動を終えた後、いよいよ登山開始となった。

登山道

登り始めるとすぐにこんな感じ。
登攀開始

約500m登るごとに休憩所があり、無理をせずにゆっくりと歩を進めた。

途中、食虫植物のウツボカズラなどの植物が野生していたり、
ウツボカズラ

リスが群生している場所を通ったり、
リス
※エサをあげているのはガイドのOさん

ガスってきたな、と思ったら雲の中にいたり、
雲散歩

しんどいが、一向に退屈することはない。


約4時間の行程を経て、12:30頃、登り始めて5km地点標高2,300m近辺で昼食を摂ることにした。

休憩所

さすがに4時間登り通しだったので、次第に言葉少なになり、ここにたどり着く頃にはしっかり息も上がり始めていた。

嬉しいことにランチ・ボックスは想像以上に立派で、サンドイッチにフライド・チキン、小さなリンゴまで付いていた。


なにげにここまで来てしまえば、実はその後は楽なもので予定より1時間早く14時ジャストに標高3,272mに位置するラバン・ラタ・レストハウスに到着した。

Laban Rata Resthouse

このラバン・ラタだが、かような環境にあるとは信じがたいほど立派で、温水シャワーもあれば、清潔な水洗トイレもあった。
昨夜はバタンキューでシャワーを使わなかった上、ここまで絞るほど汗をかいたので、まずシャワーを一浴びしてさっぱりすると、そのままかくんと眠りに落ちて1時間ほど寝てしまった。

昼寝中

なお、部屋には2段ベッドが3台あり、6人が宿泊できたが、自分たち以外にはオーストラリア人のカップルが1組いただけなので、自分とマーはそれぞれ1台のベッドを占有し、悠々自適であった。

目が覚めてベランダに出てみると、見事な夕暮れの風景が広がっていた。
ああ俺はすでに雲の上にいるんだとしみじみ感じられる大パノラマであった。

パノラマ1
※クリックで拡大

隣でブロンドの女子が「氷山みたーい」的な感想を漏らしていたが、あながちそう見えないこともない。

外に出るとRyanに会った。何時ごろ着いた?的な会話をした後、彼がここからが一番きれいに写真が撮れるというので一緒に近くの物置に登った。

パノラマ2
※クリックで拡大

「うーん、地球は丸いな」なんてしょうもないことを思った。

肌寒くなってきた頃、早い夕食時となり、朝と同じブッフェスタイルで食事を摂った。

展望レストラン

夕食がひと段落した頃、丁度サンセットのタイミングになり、まず平地ではお目にかかれないだろう眺望を観ようと人々がバルコニーに集まってきた。

サンセット1
※クリックで拡大

雲と雲の間を横一線に走る稲妻や地面に反射して光る夕映えもよく見えた。
仕舞いにはいわゆるマジックタイムに、見事な淡いハレーションを見た時には感激であった。

サンセット2
※クリックで拡大

感激と言えば、ラバン・ラタのディナーはまさにその一言だ。
サラダ、チキン、野菜炒めに温かいスープとどれも申し分のないおいしさだった。今まで宿泊した山小屋の中で、豪華さと言う面では間違いなく一番だろう。


夕食を終えると18:30。

明日は2時に起きて山頂に向けて出発するので、もう就寝時間である。
何枚かの絵葉書を書いてポストに投函してから、寝支度を始めた。

同室のオーストラリア人はアデレードから来たそうだ。
我々が準備を整え、床に就く頃には彼氏の方はすでに高いびきだった。

こうして明日の山頂でのご来光を胸に深い眠りについた





・・・となればよかったのだが、昼寝をしてしまったこと、お隣の寝息が半端じゃなかったこと、などが助け、一向に寝付けなかった。

万全の体調で明日を迎えるために睡眠不足は避けたかったが、寝なきゃ寝なきゃと思うとますます目が冴えた。

半ば諦めて時計を見た時が23時。

まだ3時間は眠れるか、ともう一度体を横たえたが、今度は隣の部屋の女子どもが「ねえ、まだ起きてる?」的に騒ぎ出した。(壁が板一枚なので丸聞こえ)
日本の修学旅行じゃよくあるシーンだが、ところ変わっても若人の生態は大差ないようだ。

しかし、こんな時のために自分は海外には必ず耳栓を忘れない。

よっしゃ耳栓してさあ安心、と再び毛布を被ったが、今度は隣の会話で起こされたオーストラリア人彼氏が頭に来たらしく、隣の壁を定期的にドンッと叩き始めた。
たんびビクッと目が覚める。

・・・果たして、4,000mという未知の高さに挑むのに明日俺は大丈夫だろうか?
不安は募るばかりであった。

2009年01月13日

マレーシア・ボルネオ紀行[子の巻]

昨年10月にボルネオ島に行ってきた。

目的は東南アジア最高峰4,095mのキナバル山の頂に立つことである。

海外に行った時の毎度の習慣として綴った日記の体裁を整え、旅行記としてここに転載したい。

ところで、今回最も苦労したことは何かと言えば何より情報不足であった。

キナバル山を擁するキナバル自然公園は世界遺産に登録されているので、決してマイナーなスポットではないが、
・山小屋の抑え方は?
・ガイドの手配の仕方は?
・そもそもどうやってそこまで行けるのか?

などなど一貫した情報に紡ぐまで結構な手間であった。

そこで、今後キナバル山登頂を目指す稀少な方の水先案内人となるべく、諸々の申請から交通手段、価格までなるべく細かい情報も記載していくおつもりである。

なお、バディは中学時代からのツレのマモルさま(以降マーと呼称)。
山に関する経験値は自分より高いので心強いパートナーであった。


第1日目

Kota Kinabalu

経由地の香港を出発して2時間、飛行機は定刻の18:55にコタ・キナバル空港に着陸する。

コタ・キナバル空港

成田を発って8時間、移動疲れもあったが、到着を喜んでいる暇はない。

というのも明日の朝からキナバル山にアタックするため、今日中にコタ・キナバル(以下KK)から80km北にあるキナバル自然公園まで移動しなくてはならない。

今夜はKKに泊まって明日のド朝に移動する、という選択肢もないではなかったが、移動日と登山日はできれば別にしたかった。

ところが、到着した時点ではどうやってそこまで行くのかも、果たして今日キナバル自然公園内の宿泊施設に泊まれるかも決まっていなかった。

後述するが、キナバル山は登山規制があり、中腹にある山小屋の予約を事前に取っておくことが登山条件になるため、それだけは日本から予約してあったが、それ意外は全くの無計画。

ただ知っていたのはキナバル自然公園の管理事務所は夜の22時で閉まるということと、そこまで約2時間はかかるということ。
また、公園前へ行く最終バスが20時にあるらしいということ。ただし、バス停がどこにあるのかは存じ上げない状態だった。

と、のっけから幾重にもハードルがあったわけだが、整理するとどうやら一番手前のタイムリミットは20時KK発の最終バス発車までの1時間。
以下、およその時間を追ってその道程を記したい。


18:55 コタ・キナバル空港に着陸。

19:00 機を降りボーディングブリッジをくぐる。

19:05 ちゃちゃっと入国審査を済ませる。

19:10 Baggage Claimで預けていたバックパックを受け取る。幸いにして自分もマーもかつてありえないくらい早く荷を受け取ることができた。

19:13 税関、検閲をほぼノーチェックでスルー。

19:15 予定より15分早く到着ロビーに着く。好タイム。

19:20 まずは先立つものの確保のためMoney Exchangeへ行き、$150を489リンギット(以下RMで表記)に両替。

※1円=約RM30なので約30倍するとわかりやすい。ちなみに米ドルでなく日本円でも普通に両替可。

19:25 ツアーデスクらしきものがあったのでそこに赴き、武蔵丸似のお姉ちゃんに、まずは今日キナバル自然公園まで行くことが可能なのかを尋ねる。
曰く、可能は可能だがうちで交通手段を手配するとRM500かかるよ、とのたまう。(←確実にぼったくり)
たった今両替した額とほぼ同額だ。冗談止めてよ。

じゃ足は自分で手配するとして、宿だけなんとか探してほしいと頼むと何度か携帯をかけて、キナバル自然公園の中にあるドミトリータイプの宿を予約してもらった。

値段は1人1泊RM115とドミにしては法外な価格だったが、まあいざ行って宿無しはしゃれにならんのでこればっかりは仕方がないので了承した。

次の問題は足だ。
一番楽なのは、やはりタクシーだろう。だが、値段がいまいち読めない。
なお、バスを使うと1人RM20で済むらしい。

時間は19:35、バス停までは20分かかると言う。
どの道バス停まではタクシーで行くので、最終バスを逃したらまたタクシーを拾って交渉すればよい。
ならばバスに間に合うか試してみようということになった。

19:35 タクシーカウンターで、長距離バスが発着するイナナンバスステーション(Inanan Bus Station)までのチケットをRM30で買い、空港のドアをくぐる。
↑面倒な交渉や怪しい客引きがないのでよいシステムだ。

外はすっかり夜で、どの道異国情緒を吸い込むというには暗すぎたが、到着するや訪れたタイムアタックの緊張感で別に景色などどうでもよかった。

19:55 間に合うか逃すかギリギリの時間でバスステーションらしき場所に滑り込んだ。
急いでくれたドライバーに礼を言って、2人でチケットカウンターへと向かった。

イナナン・バスステーション

どうやら間に合ったようで、幸い席も2人分なら空いていると言う。チケット(RM20)を購入し、バスに乗り込む。

席はほとんど埋まっており、自分たちの席が2つきれいに空いていた。座席が取れないということはちっとも想定していなかったが、そういう意味でもツイていた。

バスの中

バスはほどなく停留所を発車し、一路北へと向かって進路を取った。

ここでふっと気が抜けて眠気が襲ってきたが、安心するのはまだ早い。
なぜならこのバスにとってキナバル山は通過点なので、寝過ごさないように多少は気を張っていなくてはならない。

さて、ここらで落ち着いて車内を見渡してみると、どう見てもローカルな方々しか見受けられず、いかにバスでキナバル山を目指すのが観光客向けではないかがうかがい知れた。

現に90分後、無事キナバル自然公園前に着き、バスを降りたのは自分たちだけであった。

キナバル国立公園前

降ろされたのは「ほんとにここ?」と疑いたくなるような街灯も何もない真っ暗な場所だった。やむをえずヘッドライトを取り出し、空港でもらった地図を頼りに管理事務所のある方向へと向かった。

幸い、入り口は少し坂を上ったところにすぐ見つかった。
時間は22時のクローズぎりぎりに滑り込んだ。

受付でロッジを予約したConfirmation Sheetと空港で手配したドミトリーのVoucherを見せ、ようやくことなきを得た。

ここまでの道中、全てがウソのようにスムーズに進んでくれたため、なんとか無事たどり着くことができたが、歯車が1つでもずれていたらそこで全てが水泡に帰すところだった。
例えるならBボタン押しっぱなしでマリオをプレイするようなもので決して人様には薦められない。

キナバル・ロッジ

ともあれ、宿には無事たどり着いたが、ここで予定調和のように空腹感がやってきた。
時刻は22時を回っているわけだが、ここまで突っ走ってきたわけだから当然夕食も食べていない。

こんな山の中でこんな時間に空いているレストランがあるわけもなく、やむなく登山中の行動食にと日本で買ってきたチョコバーで飢えをしのぐ。

ドミの部屋に入るとすでに先客が1人いて床に就く直前だった。
New Yorkから来たと言うアメリカ人のRyanという青年だった。就職前の卒業旅行中だそうで聞けばすでに随分色々な国を探訪してきたようだった。

疲れと空腹に押され、話もそこそこにさっさと寝ることにした。思えばあな長い一日であったことよ。


オマケ:その夜、夜中にはっと目が覚めた時に面白い体験をした。
辺りを見回すと、完全なる暗闇で目を閉じている状態となんら変わらない。自分の目の前に手をかざしてみたが、それすらも視覚に捉えられない。生まれて初めてのことだった。
一瞬目が見えなくなったのかと驚いたが、まあいいやと思って目を閉じているとまたすぐにノンレム睡眠へと落ちていった。

2009年01月03日

私がブログを更新しないいくつかの理由

年が明けた。
ついに12月は一本も記事を上げなかった。
執筆中と言っていたボルネオ紀行も失筆のまま年を越した。
思えば一時は「週に2本ペースで更新します」なんて夢みたいなことも言っていた。

このままではまずい。実にまずい。
所詮自己満ブログではあるが、自分で自分にウソをつくようでは将来立派な大人になれない。

ということで

ブログを書かなくなった理由をブログで書く

という未だかつてない斬新な企画のお時間がやってまいりました。


私がブログを書かなくなったのには、それはそれはやんごとなき理由があるのです。
涙なしには語れない長い話ではあるが、あえて一言でまとめるならこの一言に集約されるでしょうか。











めんどくさいんです。





そう、めんどくさいんですよ。大して書くことないのに。
有名人のブログなんか見てるとね、よくまあまめに更新しててえらいなあなんて思うわけですよ。

とはいえ私だって「今日のお雑煮には3個おもちを入れました!」とか「道端にきれいなたんぽぽが咲いていたんです!」なんてレベルの他愛のない話でいいのなら湯水のごとく垂れ流せますけどね、私の日常さらしても誰も益することはないに決まってるんです。

と、ここで話が終わっては元の木阿弥なので、もう少し鈍筆(どんひつ)理由を考えてみたい。


・PCのパフォーマンスが落ちた
仕事用とプライベートで端末を使い分けているのだが、ブログを書くプライベートPCのパフォーマンスが最近著しく低下している。ま単純にHDD詰め込みすぎってだけなんだが、よし書くぞと思っていた時でも、なかなか起ち上がらなかったりすると一気に執筆意欲が失せて、「そうか今日は書かない方がいいってことなんだ」と解釈するシステムを導入している。
早々にプライベートPCを買い換える予定なのでこの問題は解決する予定。

・毎日の一行ネタで割とすっきりしてしまっている
実はこれは大きい。育てれば立派に「突っ込みたくて」のネタになることも毎日小出し小出しにしてしまっているので、それで十分すっきりしてしまうのだ。
(!)いや待てよ、逆にこれからは一行ネタを育てて「突っ込みたくて」に昇格すればいいではないか。
・・・ってなに俺は1人で盛り上がってんだ。馬鹿じゃなかろうか。

・世間とのしがらみ
そりゃあ昔はナイフみたいに尖っていた俺だけど、やっぱりね30歳を超えると「ああこれは書いたらいけないんだろうな」なんていう大人の事情に配慮しなければならないのですよ。
おやおや気が付いたら長いものには巻かれる汚い人間になっちまったもんだよ俺は。
しこうして、今年大殺界の俺ではないか、こうなったら開き直ってナイフ研ぎまくっちゃおうぜ大会開幕ってことでどうだろう。

つうことで今年のテーマは「とばすぜ、つかまりな」に決定。


こんなところだろうか。
というわけで更新しなくなった理由を考えて更新する理由に変えるというなんとも前向きな臨時企画、見事に成就。

これにともない、
ボルネオ・ジャングル紀行、近日公開。

以上、吹けば飛ぶようなブログのくせに年始から大層なこといってすんませんした。

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2008年11月30日

これまでの一行ネタ 2008秋

前記事からものすごい温度差があることを重々承知しつつ、12月を迎えるにあたり一行ネタ2008秋コレクションをご開帳。
重ねてhitori de dekirumonはこれからもアホ←→マジメを忙しく往復して参ります。

【2008年9月】
9/1 スポーツの秋だの食欲の秋だのでこの時期のTVが若干鬱陶しいWEBディレクター
9/2 自分よりうまく自分の名前を書かれると若干いらっとくるWEBディレクター
9/3 ジーンズを洗ったっていいじゃないかと思うWEBディレクター
9/4 着信メロディはもちろんダイバスターのOPテーマであるWEBディレクター
9/5 目薬をさす時のあの微妙な緊張感がたまらないWEBディレクター
9/7 思えば1年前は銀座で女装して踊っていたWEBディレクター
9/8 誕生日に届いたお祝いメールは唯一母からだけだったというWEBディレクター
9/9 炒飯にピーマンを入れるか入れないかで本気で喧嘩したことがあるWEBディレクター
9/10 最強のコラボレーションと言えば真っ先にモズク&お酢が浮かぶWEBディレクター
9/11 拭くだけメイク落としは肌によくないことを経験則で知っているWEBディレクター
9/12 ヨガの「下向きの犬ポーズ」は腰にくるWEBディレクター
9/14 Ctrlキーを押す時に小指がつったことがあるWEBディレクター
9/15 秋の味覚王と言えばサンマに決まってるだろと若干切れ気味で語るWEBディレクター
9/16 プールにある目を洗う用の二股蛇口の強さをうまく調節できないWEBディレクター
9/17 マドリッドで自動ドアに激突してデコから流血したことがあるWEBディレクター
9/18 「お気にのワンピ」と「お芋のケンピ」はよく似ていると思うWEBディレクター
9/19 田中と言えば角栄、鈴木と言えば善幸、高橋と言えば是清なWEBディレクター
※ちなみに佐藤と言えばやはり栄作だろう
9/20 全校集会でチャック全開だったためあっさりチャックのあだ名を戴いたWEBディレクター
9/21 ベルマーレ平塚はマンションの名前みたいだと思ったWEBディレクター
9/22 ジュビロ磐田、ヴィッセル神戸あたりもマンション名っぽいと思うWEBディレクター
9/23 秋分の日と10分の2は似ていると思うWEBディレクター
9/24 バケツサイズで作ってしまったため1週間豚汁三昧になったWEBディレクター
9/25 折りたたみ自転車を折りたたむチャンスがないWEBディレクター
9/26 学生時代ポケベルを持っていたのが今思うと笑えるWEBディレクター
9/27 タートルネックはチクチクするWEBディレクター
9/28 つけ麺屋とみればなぜあんなに行列ができるのか不思議でならないWEBディレクター
9/29 豚汁痛んで小虫がわいたWEBディレクター
9/30 「本日限り閉店セール」をいつもやっている店が気になるWEBディレクター

【2008年10月】
10/1 「女の子の気持ちを素直に唄った歌」程どうでもいい歌はないWEBディレクター
10/2 タクシーの運転手は急いでる時に限って話しかけてくる気がするWEBディレクター
10/3 折角の休日に夕方まで寝倒した時の罪悪感ときたら、なWEBディレクター
10/4 なんかのレシートを一緒に洗濯してしまうことがあるWEBディレクター
10/5 東京海上日動火災保険ってよく考えるとすごい社名だと思うWEBディレクター
10/11 未だボルネオのジャングル辺りをうろうろしているWEBディレクター
10/13 ジャングルより恥ずかしながら帰ってまいりました、WEBディレクター
10/14 1週間国内不在だったが、留守電預かり件数は0件だったWEBディレクター
10/15 最近のTVの芸人を使って感動させようという風潮が受け付けないWEBディレクター
10/16 オレオとリッツでオセロをしたことがあるWEBディレクター
10/19 ザリガニのザリって何?と思うWEBディレクター
10/20 老け顔の方の名前が若杉さんだった時になんだか残念に感じたWEBディレクター
10/21 賞味期限後1週間は圏内、2週間は挑戦、3週間は冒険と定義するWEBディレクター
10/22 いらっしゃいませを「せーっ」としか言わなくなった店員が増えたと思うWEBディレクター
10/23 リップクリームとスティックのりを間違えて使った(本当)WEBディレクター
10/24 ウコンの力の力をちょくちょく借りているWEBディレクター
10/25 世の中「カリスマ」とただの「人気」を混同して使っていると思うWEBディレクター
10/26 恋?と思ったら風邪の引き始めに過ぎなかったWEBディレクター
10/27 「3時間しか寝てない」という人は大抵4〜5時間は寝ていると語るWEBディレクター
10/29 細●さんという苗字の方に限って、逆説的傾向がある気がするWEBディレクター
10/30 イケメンとは、イケ面なのかイケMANなのかはっきりしてほしいWEBディレクター
10/31 しまおうしまおうと思いつつ扇風機出しっぱのまま季節は冬を迎えるWEBディレクター

【2008年11月】
11/1 カステラは本体よりむしろ上にかかってる薄紙をこよなく愛すWEBディレクター
11/2 バーベキューなんかで軍手をしている女子に萌えるWEBディレクター
11/3 秀吉の手相と同じと言われたが、なぜ彼の手相をご存知?と思ったWEBディレクター
11/4 晴れて今シーズンの1人鍋デビューを飾ったWEBディレクター
11/5 カーネルのおじさんは白いスーツで揚げ物は止めた方がいいと思うWEBディレクター
11/6 よそ見してて深爪したWEBディレクター
11/7 ウーピー・ゴールドバーグとQPコーワゴールドはよく似ていると思うWEBディレクター
11/9 好きな割にはビールの飲み比べをしても外す自信があるWEBディレクター
11/10 隠れ家居酒屋はぐるなびに載ってる時点でちっとも隠れてないと思うWEBディレクター
11/11 無性に食べたくなり真夜中に手打ちうどんをこしらえたことがあるWEBディレクター
11/12 男だてら変なカチューシャを見るとつい買ってしまうWEBディレクター
11/13 風邪薬は種類が多すぎてむしろ頭が痛くなるWEBディレクター
11/14 糸切りバサミは鼻毛を切るにも最適なことを知るWEBディレクター
11/15 坂本龍馬氏の誕生日そして命日につきしめやかに合掌するWEBディレクター
11/16 西武が優勝すると、そうだ松崎しげるは歌手だっんだと思い出すWEBディレクター
※西武ライオンズが優勝し優勝セール始まる
11/17 サザエさんは東芝提供なのにいつまであのテレビでいくのか気になるWEBディレクター
11/18 生活の中にちょいちょいジョジョのポーズを取り入れているWEBディレクター
11/19 紙幣を折ってニコニコ英世くんやニコニコ諭吉くんを制作するWEBディレクター
11/20 「レッ●カーペット」の判定はおかわり芸人に甘いと思うWEBディレクター
11/21 「得意料理は肉じゃが」という女子のアピールには一切左右されないWEBディレクター
11/22 扇風機しまった時になぜにストーブを出さなかったのかと口惜むWEBディレクター
11/23 半額シールに弱いWEBディレクター
11/24 パックの小さい醤油を開ける時飛び散りゃしないか緊張するWEBディレクター
11/25 「カラン」と「シャワー」を間違えて図らずも濡れネズミになるWEBディレクター
11/26 リップクリームを回しすぎて元に戻らなくなったWEBディレクター
11/27 エレベーターに乗ると方向感覚を失うWEBディレクター
11/28 ギター用に右手の爪だけ長いが、たまに妙な勘違いをされるWEBディレクター
11/29 よく見ると眉毛がつながっているWEBディレクター
11/30 「恋のバカンス」をうまくハモれないWEBディレクター

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 これまでの一行ネタ 2008春夏
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2008年11月25日

Greg and Annie

今回の投稿は完全に私信であることをご容赦願いたい。

I dedicate this article to my invaluable friends beyond the Pacific Ocean.

5年前、L.Aに留学し、大学寮225号室に入寮した。
最初の夜、枕も毛布もなくてバスタオルをかけて寝ようとしていた時、2人は帰ってきた。後に1年を同じ部屋で過ごすルームメイトのGregとその彼女のAnnieだった。
Gregが「あれ?彼は寝具がないらしいよ」と言うと、Annieは急いで自分の部屋に予備の寝具一式を取りに行って自分に貸してくれた。それが最初の出会いだった。

5 years ago, I studied abroad in L.A. and moved into the dormitory, room number 225.
At the first night, I didn't have any bedclothes and had to sleep with just one bath towel. Greg, my ex-roommate, and his girl friend Annie came back at the time. Greg found I didn't have any stuff, and Annie went back to her own room and brought me an extra pillow and blanket.
That was the encounter of us.


入寮したての頃は自分の英語はおぼつかなかった上、 Gregは基本的に無口なやつだったので、会話に窮することもあった。しかし、お互い映画好き、ビール好きという共通項があったため、ビール片手に今までに観た映画のよしあしについて語り合った。

Right after I joined 225, I couldn't speak English fluently, and basically Greg was a quiet guy. Therefore sometimes we had a hard time to communicate with.
But both of us loved movie and beer, we could have a fun time to talk about movies which we had seen before with beer.


自分の誕生日が近づいたある日、「何かほしいものはないか?」と2人に聞かれたので、遠慮がちに「じゃあビールがほしい」と答えた。
当日、2人は小さいながらもなんと樽でビールを用意してくれた。

When my birthday approached, they asked me what I wanted as a b-day present. I hesitated and told them, "I wanna have some beer."
At my birthday, they gave me a keg of beer.


最初のクオーターが終わった日、ドアに1枚の貼り紙があった。
それは「International Student用の棟に移るように」と言う内容だった。自分はInternational棟が一杯だったので臨時でRegular Student用の棟に入っていたのだが、空きが出たので移れ、ということらしい。
驚いてハウジングオフィスに赴き、なんとか今の部屋にいさせてほしいと頼んだが、「決まりだ」と突っぱねられた。

とぼとぼと部屋に戻ると貼り紙を見たAnnieに「なぜ225を出て行くの?うまくいっていると思ってたのに」と詰め寄られた。
(ちなみに彼女は女子棟の住人だったが事実上225の住人でもあった)

いやいや自分の意思じゃないから、と事情を説明すると、「わかった、じゃあ月曜にオフィスに行って話をつけよう」ということになった。翌週Greg、Annie そしてハウスメイトのHassan、Scottは本当に一緒にハウジングオフィスに行って「Nobuはもう225の一員だ」と説得してくれた。
お陰で自分は特別に225に留まることができた。

※2LDKの部屋を2人1部屋4人でシェアしており、もう一方の部屋の住人をハウスメイトと呼んでいた。

At the last day of first quarter, I found a note on our front door.
It said, "Please move to the building for international students."
I was astonished and visited housing office to ask them let me stay in 225, though, they just insisted, "That's the regulation."

I was disappointed and went back to our room. Then, Annie inquired about the note, and said, "How come you gonna move out? I thought we're on good terms."

(Actually, She lived in a dorm for women, but she was a resident of 225, in fact.)

I explained her that it was not my will, and she said, "OK. We gonna go housing office next Monday and need to resist about that."
Next week, Greg, Annie and other roommates, Hassan and Scott truly went up to housing office together and persuaded the staff that I was one of their companies already.
Thanks to them, I could stay in 225, fortunately.


土曜日は毎週のように狭いバルコニーでバーベキューをやった。
あくる日、昼寝をしているとAnnieが「まずいことになった」と自分を起こしにきた。バルコニー(2階)に行ってみると、GregとHassanがぽっかりと床に空いた大穴を見下ろしていた。
調子に乗ってバルコニーの床までバーベキューしてしまったのだ。
相談した後に、みんなでホームセンターへと出かけ、セメントを買ってきた。臨時の左官屋となり、四苦八苦しながら床を埋めてみたが ― 結果は前よりひどくなった。

Almost every Saturday, we did BBQ on a small balcony of 225.
Some Sunday, Annie came to wake me up and said, "Nobu, come over. We have a problem."
At the balcony, Greg and Hassan looked down a big hall on the floor like a dark cave.
We had got carried away and also barbecued the floor.
After a short conference, we made a decision to go Home Depot and get cement to mend a hall.
We became DIY carpenters and tried to fix them - the result was much worse than before.


大学とは別に週2回ハリウッドのプライベートスクールに通っていた。
車を持っていなかった自分はバスとメトロを使って通学していたが、ハロウィンを控えたある日大規模なストライキが起こり、あろうことかバスもメトロもぴたりと動かなくなってしまった。(しかもこのストライキ、考えられないことに2ヶ月続いた。)
完全に足を失い、困っていた自分を助けてくれたのは数少ない日本人の友人Akishi、そしてGreg、Annieだった。
行きはAkishiに乗せてもらい、夜には学校が終わった頃にGregとAnnieが迎えに来てくれた。しかも毎回。余りに申し訳なかったが、Annieはそれを察してかこう言ってくれた。
「Nobuのお陰で私たちはHollywoodのナイトドライブができるんだよ。」

I commuted twice a week to a private school in Hollywood in addition to university. I didn't have a car, so I had to make use of public transportation.
But a day of near Halloween a big strike was occurred. The strike influenced to supermarkets in L.A. and whole public transportation. It meant I completely lost my way to Hollywood. (Incredibly, the strike continued about 2 months.)
The one who helped me at the time was my Japanese friend, Akishi. He gave me a ride to Hollywood each time. And the other was, needless to say, Greg and Annie. They picked me up, when my class was over. Naturally, I felt so small but Annie seemed to notice that and told me like this way.
"Because of Nobu, we can drive Hollywood at night."


帰国の前日、自分が前から行ってみたいと話していたMt.Wilsonに連れて行ってくれた。Mt.Wilsonはキャンパスから見える山で、一度あちら側からL.A.を眺めてみたいと思っていた場所だった。
ところが、山頂手前のゲートで「今日はもう展望台は閉まりました」と言われた。
すると、あのクールで無口なGregが車から身を乗り出して、「彼は明日日本に帰るんだ。10分でいいから山頂からの眺めを見せてやってくれ」と頼んでくれた。係員は少し考えた後にOKと言ってくれた。
あの時に見たMt.Wilsonからの絶景を自分は一生忘れないだろう。

The previous day of my returning to Japan, Greg and Annie took me to Mt.Wilson where I had talked them one day I'd like to go.
But we were stopped at the front gate of the observatory. The guardian said, "We're closed already." Then, Greg thrust his body from the car and told the guy, "He is supposed to go back to Japan tomorrow. So please let him see the view from top of the mountain for just 10 minutes." The guardian considered a bit and allowed us to come in.
Probably, I'll never forget the view for the rest of my life.



2人とのエピソードにはキリがない。
L.A.にいた期間中、どれくらい彼らにお世話になったか計り知れない。
帰国した今もお互いの誕生日やクリスマスには電話、手紙、E-mailで連絡を取り合っている。
自分にとって"225"という数字は今でもラッキーナンバーだ。

I can't stop talking about their stories.
I can't tell how they took care of me while I was in L.A.
We're still keeping in touch via phones, letters, and emails at each b-day or Christmas.
For me, "225" means a special number still now.



先週、Annieから1通のE-mailが届いた。
「ニュースがある」の題名で始まったメールには、1葉の写真が添付されており、そこにはネクタイ姿のGregがドレスを着たAnnieの左手に指輪を着けるシーンが収められていた。

Last week, I got an e-mail from Annie as usual.
The subject was "Greg and I have news!"
In the email, a picture was attached. In the picture, they dressed up and Greg was about to put a ring on Annie's wedding finger.



うれしい。本当にうれしい。
まるで自分のことのようにうれしい。

できることなら飛んで行って直接お祝いの言葉を伝えたい。
しかし、それは叶わないので、アメリカ式にちょっとばかり回りくどくこの場を借りて慶びのメッセージを贈りたい。

I'm delighted, so delighted, as if it happened to myself.

If possible, I want to fly to L.A. and celebrate and hug them.
But now, it's difficult, so I'd like to send them my message via this page, though, I know that's very awkward.





Dear Greg and Annie,

I knew you two were a match made in heaven since even I met you. Actually, I was tired of waiting for hearing the news.
Now, I'm relieved, finally.
And I want you to do me a last favor now. At the time, you will have a baby, please give me a chance to be a godfather of him or her.

Congratulations.

Nobu





返信メールにここのURLを載せようと思ったが・・・さすがにかっこつけすぎなので、ひとまずは偶然発見してくれることを望む。
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2008年11月04日

シリーズ突っ込みたくて Vol.9[エコ]

 
 
かけがえのない私たちの地球。

海と緑の美しい星、地球。



その母なるコロニー宇宙船地球号がいま、悲鳴を上げています。

大気汚染、砂漠の拡大、熱帯雨林の減少、そして地球温暖化―。


繰り返される環境破壊を、もう黙って見過ごすことはできません。


これからhitori de dekirumonは「地球にやさしい」をテーマにしたエコブログminna de dekirumonとして生まれ変わります。


























ウソです。








それはもう真っ赤なウソです。
むしろとりあえず「エコ」と冠をつければなんでもあり的な風潮に一言もの申したいわけです。


特に最近鼻につきませんか?
「エコ」という印籠を傘に、本質とはかけ離れた商流を展開するオシャレ★エコ
それはもう苦々しくて、「ズレてるよ!」と鼻先三寸の距離でつっこみたくて仕方がない。


具体例で示したい。

雑誌などで
「エコはいまやファッションの一部です」
のような感じの記事を目にすることがある。

覚えている範囲だと「イマドキはオーガニック素材服が旬!」とか、「マイ箸携帯でモテ度アップ!」みたいな内容だった。


なんなんですかね、この違和感。


それは
・エコなファッション=かっこいい
裏を返せば
・エコじゃないファッション=かっこ悪い
という"新常識"を"ファッションリーダー"的ノリで押し付けられた疎ましさに他ならない。

ちなみに、蛇足ではあるが「ファッション」の辞書的な意味は「流行」である。

ということはだ。
「エコ」を謳いつつ、「ファッション」の名の下に買い替え、買い増しを促すことで、むしろ新たな生産、消費、そして廃棄という「流行サイクル」を生み出していることを意味する。

本質を欠いているとは言えまいか。


そして重要な事実として「流行」はすたれる。


いい例がある。

1年前、某有名ブランドが数量限定でエコバッグを発売した。
発売されるや、売れに売れ、各国で即日完売だったという。
台湾や香港では長蛇の列でき、日本でも発売前日から徹夜組が出て、ちょっとしたニュースとなったので記憶にある方も多いのではないか。

1年以上が経過した今考えると、「一体あの騒ぎはなんだったんだろうね」というのが世間的な感想なのではないだろうか。

供給側の意図はずっと崇高だったかもしれないし、エコバッグの認知と普及という目的はある程度達成したのかもしれないが、結局は一過性のブームであり、その後も社会はほとんど変わっていない。

これがいわゆる「流行」なのだと思う。

今後どこぞのブランドが似たようなことをしても同じことだ。
むしろブランド物のエコアイテムが流行れば、「折角だからエコアイテムだっていいものを」みたいな全く無駄なブランド志向を植えつけられる可能性すらある。

本来流行らすべきは、モノではなく意識じゃなかったの?と問いたい。



結論として、民間団体なり企業なりが、温室効果ガス排出をはじめ人類生態学=エコロジー上の大命題に対し、営利活動とは別になんらかのCSR活動にリソースを裂くことはあってしかるべき姿だと思う。
仮に、その目的がイメージ戦略であったり、結果としての営利活動であっても、目指す方向さえ合っていれば別にどうだってよいことだ。

ただ、「持続可能な社会」を本当に追求するのであれば、エコロジーを「恒久的な持続を前提としない」ファッション化するべきではない。

むしろ、真逆でかっこつけないことに本質があるのではないかと思う。



先のエコバッグの話で言うと、俺的には百均の巾着で十分だ。


以上、余り大層なことを言うと後々やりにくいのと、加味すべき大人の事情に配慮して、今回はこの辺にしておきたいと思う。


↓ジャカルタで開かれた「エコ」をテーマにしたファッションショーでの1枚。
eco-chic fashion showより
決して後ろ前逆に着てしまったわけではないと思う。主に廃材を利用して作ったらしいが、実用性ゼロの時点でやっぱりズレてると思う。
勝手にタイトルを付けてみた ― 「ひどく寝苦しい夜」


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 シリーズ突っ込みたくて Vol.1[レジ袋とシール]
 シリーズ突っ込みたくて Vol.8[欧米では]
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2008年10月20日

俺的英雄列伝 Vol.2[英雄、終電に乗る]

よくまあこれだけ更新頻度の低いブログに足を運んでいただいている皆様、感心もとい感謝しております。
毎度ありがとうございます。

無事にボルネオ島から帰還して1週間が過ぎました。

今回も割とアドベンチャーなジャーニーだったので、果たしてどんなところだったのかその冒険譚を誠意準備中ですが、執筆にもう少しかかりそうです。

その間の繋ぎとして英雄列伝を1つ。
先に言っとくと、お食事中の閲覧は止めといた方がいいです。



英雄、終電に乗る

終電車 ― それは普段はきっと真面目な勤め人であろう方々も、謎の奇行を繰り出すクリーチャーへと豹変させる現代のバトルフィールドである。

都心から郊外へと走るその日の終電車も人の数こそまばらとはいえ、アルコール臭気を撒き散らす酔拳使いが散見される魔窟と化していた。


電車は始発駅から2駅目に停車し、魔界から新たな刺客が送り込まれてきた。

刺客(推定40歳♂)の顔は紅潮し、普段はその魔力を封じ込めるアイテムであるネックタイを緩め、不思議な踊りを踊りながら確実に我々のMPを奪い始めた。



さて、その時自分は座席に座っていたのだが、右斜め前の位置に1人の青年が吊り革につかまって読書に耽っていた。

後の英雄、その人である。



刺客はフラフラと青年の真横に立ち、おぼつかない手で吊り革に手を伸ばした。

しばらくは何事もなく過ぎたが、徐々に不穏な兆候が現れる。
刺客が波打つムチに打たれたように小刻みに体を震わせ、よもや嗚咽のモーション(第1段階)に入ったのである。

馬鹿な。ついにここで魔界の最終兵器―GEROが解き放たれようというのか。

周囲の乗客の動揺は著しく、そぞろに退避行動の様相を示した。
位置的には攻撃テリトリーの外であったが、自分も万一のために避難ルートの確認に余念がなかった。


刺客の行動は第2段階に入り、繰り返しノド元に押し寄せているだろうブツと格闘している模様だ。

しかし確実に視界は入っているだろうが、例の青年だけは未だ動じる様子を見せない。


いよいよ刺客の行動は最終段階に入り、両方のまなこは見開かれ、額には脂汗が浮き出て、抑えきれないのか口元を手で覆い隠している。

もはや誰にも止めようがない。

刺客は巨神兵と化し、忌まわしい咆哮と共にプロトンビーム(吐しゃ物)で周囲を恐怖のどん底へと叩き落した。


・・・が、事前の退避行動により、意外にも周囲への被害は軽微であった。

ところが、はっと目をやると、その場のダメージを一手に引き受けるように、青年のパンツは膝下から裾にかけて毒液によって汚されていた。

その場の誰もが息を呑んだ。
どうなっちゃうんだろう、と。


すると青年、はっと患部に目をやり3秒程凝視していたかと思うと、





すぐまた読書に戻った。






えええええ!割とおおごとだと思うよ俺は。



まるで野に咲くタンポポに一瞬気を取られた、その程度の限りなくノーリアクションに近いリアクションであった。
そこまで気にしないと、むしろこっちの方が気になるわ。

いずれにせよ、英雄が誕生した瞬間であった。


一方、刺客の方はというと毒液を吐き出したことで、普通のかわいいオジサンに戻ったのか、たった今自分がしでかした大惨事など露知らず、避難民によって空いた空席にどっかりと座ると自らラリホーを唱え、高いびきをかき始めた。


辺りには次第に瘴気が漂い、すえた匂いが車内を汚染しつつあったが、英雄はそれでも微動だにせず、ただ黙々と読書を続けていた。

ここまでくると是非1つ聞いてみたくなった。

どんだけ面白いんだよ、その本。



なお、その際英雄が"青き衣"をまとっていたことは言うまでもない。(ウソ)

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2008年10月04日

俺的英雄列伝 Vol.1[英雄、富士に立つ]

 
 
 
英雄は他人によって作られる偶像ではない。

誰もが心の中で描く自分自身の理想像である。


― ロシアの哲学者 ショーブノ・リモジフ(ウソ)




このシリーズでは、今までに自分が実際に出会ったすごい人物の中でも、輪をかけてすごかった人々 ― 英雄 ― にカテゴライズされる立志伝中の猛者どもを紹介していくおつもりである。


英雄、富士に立つ

登山が好きである。
思えば1年前の丁度今頃はヒマラヤ山脈をトレッキングしていた。
そして来週は東南アジア最高峰キナバル山登頂に挑む予定である。

何が楽しいの?と言われればそれまでだが、ナントカと煙は高いところが好き、というのでつまりそういうことなのだろう。
とにかく一歩ずつ踏みしめて最後に頂に立った時の達成感は何物にも変えがたいものがある。


そんな登山の世界への扉を開いたのは日本最高峰、FUJIYAMAであった。


俗に富士山はつまらない山だと言われる。
一般的に5合目から登山道に入った場合、6合目を過ぎた辺りで森林限界を越えるため、そこからはごつごつとした火山荒原を黙々と登っていく感じで、起伏も少ないし、周りを見渡しても眼下の樹海以外に目を見張るものはない。

しかし、だからこそ「登頂する」という目的をストイックに追求できるし、黙々と足元だけ見て進むからこそ最後にご来光を目にした時にこみ上げるものがあるのではないかと思う。


とはいえ、富士山に登頂する時にはそれなりの装備や覚悟が必要である。
必携アイテムとして浮かぶものはざっとこんな感じ↓

・トレッキングシューズ
砂走りがある御殿場口や須走口を選ぶ場合、くるぶしまで足が埋まるためハイカットが望ましい。

・バックパック
大きさは20リットルでも40リットルでも負担にならない程度でよいと思うが、腰ベルトは是非あった方がよい。

・雨具
ある意味最も必需品と言える。天気が変わりやすい山で、これを忘れて雨に降られた時は、あっさり下山と相成る。上下分かれたセパレートタイプを強くオススメしたい。

・ヘッドライト
ご来光をアタックするなら、明け方の3時4時に8合目を出発するので必要。
ただトップシーズンだったら、山頂まで行列ができるので他人のライトで意外となんとかなる。

・帽子・サンブロック・サングラス
標高が高いと紫外線もそれだけ強い。なめてかかって痛い目にあった。

・長袖の衣類
山頂付近は夏でも寒い。また、登山中に暑いからと言って半袖でいると、紫外線にやられます。

・その他、水、汗拭きタオルなど。

また、あるといいねレベルでいうと、

・ストック
特に下山時に重宝する。金剛杖という木の棒が売られているが、持ちにくいのでどっちかと言うとお土産用。

・酸素缶
高山病が心配ならお守り的に持っていくとよい。

かように富士山は老若男女問わず登りやすい山とはいえ、それなりの準備と心構えを持って臨まないと、登頂はおろか不慮の事故につながりかねない。


繰り返すが、
それなりの準備と心構え、
これは富士に挑むに当たって何より必要なアイテムだ。


しかしだ、
英雄はそこにいた。



― 無事登頂を果たし、山頂から少し下った9合目あたりだったろうか、精も根も尽き果てた我々を、悠々追い抜いていく1人の青年がいた。

その青年、Tシャツに短パン、そしてあろうことか足元にはビーサンをお召しになり、我が国最高峰を闊歩していた。

さらに背中にバックパック的なものは認められず、ただ右手にドンキのビニール袋を提げているのみであった。




買い物ついでか。





お〜いお茶で一服中の英雄に、思い切ってその格好で登ったんですか?と聞いてみた。
「え?はい。まあ地元なんで」
とさらりと答える英雄。




お〜いそれは無茶!





じゃなにか、地元民は俺にとってのブックオフ感覚でFUJIYAMAかっこ標高3,776mに登るんか。


砂走りの土煙に消えていく英雄の後姿 ―。
まるでもう1つのご来光を見たような心境だった。


一切混じりっ気のない本当の話である。


※くれぐれもマネをしないでください。
英雄は特殊な訓練を積んでいます。


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2008年08月31日

これまでの一行ネタ 2008春夏

デイリーで更新してきたブログ説明文↑の一行ネタ。

たまにさぼったので毎日とはいかなかったが、とにかく5月末から始めて今のところまだ続いている。

「全部まとめて公開してほしい」という強い要望があったかなかったかと言えば、ビタ一文なかったわけだが、1個1個はあれでも一気に見てみると少しはましなじゃないかってことと、時事ネタをたまに取り入れていたのでこの春夏を振り返るには悪くないと思い、以下箇条書きにしてみた。

なお、わかりにくいところや更新日近辺のニュースなどには注釈を付けてみた。


【2008年5月】
5/24 「ラブラブ」という言葉を聞くと虫酸が走るWEBディレクター
5/25 焼肉パーティも鍋パーティも1人で開催するWEBディレクター
5/26 「逆に」から始まる会話が逆になっていなくても黙って流す位の器はあるWEBディレクター
5/27 あれほど自分に言い聞かせたのに傘を電車内に忘れるWEBディレクター
5/28 ひとりでできるもんという有名ダンサーの存在を最近知ったWEBディレクター
5/29 自分のことを「一途なんだよね」というのはどうかと思うWEBディレクター
5/30 FUJIMORIXとFUJI XEROXはよく似ているWEBディレクター
5/31 小田急線新宿駅の乗り場はわかりにくいと思うWEBディレクター

【2008年6月】
6/1 「超合体サンゴッドV」のオープニングテーマは100回観てもまだ笑えるWEBディレクター
※「超合体サンゴッドV」=「ギャグマンガ日和3」の中の1話
6/2 焼き鳥はツウっぽく塩を頼むが、本当はタレ派のWEBディレクター
6/3 「ダイバスター」マルさんのたまに高いテンションが好きなWEBディレクター
6/4 亡くさないように高い傘を買ってもやっぱり亡くすWEBディレクター
6/5 裁縫の玉止めが一生レベルでできた試しがないWEBディレクター
6/6 (笑)はもとより(爆)は問題外だ、とうそぶくWEBディレクター
シリーズ突っ込みたくて Vol.5[顔文字]と関連
6/7 「ダイバスター」の放送100回記念を1人しめやかに祝うWEBディレクター
6/8 ジェロの次は鼠先輩のリフレインが止まらないトゥナイトなWEBディレクター
6/9 アニメ版「ゴルゴ13」でゴルゴが携帯で顧客と連絡を取るのが納得いかないWEBディレクター
6/10 ガリガリ君で当たりが出てもいい年してもう1本もらう勇気はないWEBディレクター
6/11 ブロッコリーを見ると思わず「この木なんの木」を口ずさむWEBディレクター
6/12 「なる早」という言葉を使い慣れた自分がちょっといやなWEBディレクター
6/13 ギザ10を未だに貯金箱に貯めている昭和なWEBディレクター
6/15 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」は実話だと1年位信じていたWEBディレクター
6/16 「ふくとしんせん」と入力すると「吹くと新鮮」と変換されるナイスな端末が相棒のWEBディレクター
※6/14に副都心線が開通
6/17 本を買う時は上から3番目くらいから取ることにしているWEBディレクター
6/18 大切な衣類はネットに入れて洗うWEBディレクター
6/19 体組成のうち50%はバファリンと同じ成分でできているWEBディレクター
6/20 松尾スズキとペ・ヨンジュンは似て蝶だと思うWEBディレクター
6/21 マライア・キャリーとウイリアム・H・メイシーは紙一重だと思うWEBディレクター
6/22 折角の休日は丸一日YouTubeで「空耳アワー」を見倒して終わっちまったWEBディレクター
6/23 大学時代に作ったスノーボードサークルが冬を待たずに潰れたWEBディレクター
6/25 筆ペンを使って字の下手さを誤魔化すWEBディレクター
6/25 ダイバスター102話でのAD小田くんはいくらなんでもかわいそうだと思うWEBディレクター
※小田くんが好きな女性の前で両手にカップうどんを持ち全裸にさせられた回
6/27 「鬼畜」という言葉が変換できなくて携帯を替えたWEBディレクター
6/28 初めて本場の讃岐うどんを食べた時に小宇宙(コスモ)を感じたWEBディレクター
6/29 お察しの通り週末の楽しみの1つは録画した「ダイバスター」観賞なWEBディレクター
6/30 人生に3度モテ期があると聞くが、それならモテ期は2度と訪れないWEBディレクター

【2008年7月】
7/1 自転車のサドルだけ盗まれたことがあるWEBディレクター
7/2 ボーリングの平均スコアは聞かないでほしいWEBディレクター
7/3 うまい棒はめんたい味に限るが継投でサラダ味も挟むWEBディレクター
7/4 出席番号順だと後ろの方で背の順だと前の方だったWEBディレクター
7/5 ここ数年の24時間マラソン企画は確実にずれていると思うWEBディレクター
7/6 電化製品の折り込み広告を見るとなぜかテンションが上がるWEBディレクター
7/7 夏と言えばTUBEよりむしろ杉山清貴&オメガトライブを推したいWEBディレクター
7/8 七夕の夜空に「梅雨時のカビをなんとかしてほしい」と願ったWEBディレクター
7/9 最新の所有ゲーム機はプレステ1であるWEBディレクター
7/10 宅配ピザをオーダーした際は、対面上複数人で頼んだことを装うWEBディレクター
7/11 ブルガリアヨーグルトに付いてくる砂糖が余って困ります、なWEBディレクター
7/12 週末の1大イベントがカビ退治とはなんてかわいそうなWEBディレクター
7/13 カビキラーの威力は大したものだ、と嘆息を漏らすWEBディレクター
7/14 舘ひろし版ゴルゴにようやく慣れつつあるWEBディレクター
7/15 飛行機の座席の狙い目は、非常口前であることを知っているWEBディレクター
※7/13からベトナム・カンボジア紀行の投稿を始め、しばらく海外ネタになる
7/16 海外のマストアイテムその1は耳栓なWEBディレクター
7/17 海外のマストアイテムその2はバイクロープなWEBディレクター
7/18 海外のマストアイテムその3はガムテープなWEBディレクター
7/19 海外必携品4はアーミナイフだが、結局ほとんど使ったことはないWEBディレクター
7/22 ゲストハウス選びのポイントは「何事も大目に見ることだ」と語るWEBディレクター
7/23 熱帯で部屋を借りるならエアコンよりファンが断然おすすめなWEBディレクター
7/25 長距離バス移動の際は半分膨らませたエアピローを座布団にするWEBディレクター
※一杯に膨らませると破裂するから
7/26 日本のビールは確実に世界で通用すると思うWEBディレクター
7/27 海外を旅した中で一番うまかったのは上海で食べた小龍包だったWEBディレクター
7/28 スペインで食べたブルーチーズは一口で絶対無理と判断したWEBディレクター
7/29 メキシコ土産にお菓子だと思って買った物はなんかの種だったWEBディレクター
7/30 イギリスは飯がまずいと言うが、実際想定の倍はまずかったWEBディレクター

【2008年8月】
8/1 昔インドネシアでポン引きの片棒をかついでいた経験を持つWEBディレクター
8/2 日本の7〜10倍の紫外線により、ニュージーではえらい目に遭ったWEBディレクター
8/4 何の情報も持たずに南海の島国バヌアツに行った経験を持つWEBディレクター
8/5 バヌアツで会った唯一の日本人はJICAの人だったWEBディレクター
8/6 海外に行くと若干便秘がちになるWEBディレクター
8/7 某社長に「カンボジア紀行の続きは?」と突っ込まれたWEBディレクター
※ベトナム・カンボジア紀行の更新を2週間ほどサボタージュしていた時
8/9 散々待ったのに肝心な日本選手団の入場シーンを見逃したWEBディレクター
※8/8北京五輪が開会
8/10 実は柔道有段者だが、寝技に持ち込まれると勝負を捨てていたWEBディレクター
※8/9柔道を始め各競技が始まる
8/12 想像:実物で比べると自由の女神の小ささはマーライオン以上だったWEBディレクター
8/13 ラスベガスで1発目にやったスロットで旅費をチャラにしたWEBディレクター
8/14 Los Angelesに住んで最初の3ヶ月、ずっとLos Angelsと綴っていたWEBディレクター
8/15 L.A、シビックセンターのバス停で拳銃を突きつけられたことがあるWEBディレクター
8/18 香港のカップルはクソ暑いのによくベタベタとくっつくなあと思ったWEBディレクター
8/19 マレーシアでハンバーガーを売る少年のお陰で今があるWEBディレクター
8/20 タイで会ったニューハーフの多くは内角ギリギリでストライクゾーンなWEBディレクター
8/21 パキスタン人のルームメイトが作ったカレーが今でも忘れられないWEBディレクター
8/22 L.A時代のニックネームはMr.Miller、相棒のそれはMr.BudであったWEBディレクター
※MillerもBudもアメリカのビール
8/23 今まで行った中で最も刺激がなかった場所と言えばハワイだったWEBディレクター
8/25 北京五輪ではこれまでになく幾度も感涙し、寄る年波を感じたWEBディレクター
※8/24北京五輪閉会
8/26 昔弟に麦茶と偽って水で薄めた醤油を飲ませたことがあるWEBディレクター
8/27 昔弟にC1000タケダと偽ってオデンの残り汁を飲ませたことがあるWEBディレクター
8/28 赤いきつねよりどん兵衛、UFOよりペヤング派のWEBディレクター
8/30 「うまい!」とか「味自慢」とか自分で書いてる店は大抵その逆だと語るWEBディレクター
8/31 夏も終わりだが、夏らしいことと言えばスイカバーにはまった位だったWEBディレクター

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2008年08月30日

戦争映画 FALL IN!! Vol.1〜Vol.10

Vol.1 「西武戦線異状なし」・・・・・・原点であり最高点の反戦映画
Vol.2 「炎628」・・・・・・観賞注意!ソ連発トラウマ映画
Vol.3 「戦争のはらわた」・・・・・・よくわかるRoad to World War 2
Vol.4 「戦場のピアニスト」・・・・・・歴史の黒幕ロスチャイルド家について
Vol.5 「ヒトラー 〜最後の12日間〜」・・・・・・なぜナチスは民衆に支持されたのか?
Vol.6 「ジョニーは戦場へ行った」・・・・・・余りにも有名な鬱映画とその作者について
Vol.7 「二百三高地」・・・・・・日露戦争で得をしたのは誰?
Vol.8 「パール・ハーバー」・・・・・・戦争映画とは認めません
Vol.9 「トラ・トラ・トラ!」・・・・・・戦争大好き!アメリカのスケープゴート作戦
Vol.10 「地雷を踏んだらサヨウナラ」・・・・・・戦場カメラマン一ノ瀬泰造の軌跡

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2008年08月28日

【INDEX】ベトナム・カンボジア紀行

ベトナム・カンボジア紀行[子の巻]・・・・・・東京→サイゴン
ベトナム・カンボジア紀行[丑の巻]・・・・・・於サイゴン
戦争映画 FALL IN!! Vol.10 「地雷を踏んだらサヨウナラ」
ベトナム・カンボジア紀行[寅の巻]・・・・・・サイゴン→プノンペン
ベトナム・カンボジア紀行[卯の巻]・・・・・・於サイゴン
戦争映画 FALL IN!! Vol.11 「キリング・フィールド」
ベトナム・カンボジア紀行[辰の巻]・・・・・・プノンペン→シェムリアップ
ベトナム・カンボジア紀行[巳の巻]・・・・・・於アンコール・ワット
ベトナム・カンボジア紀行[午の巻]・・・・・・於シェムリアップ
ベトナム・カンボジア紀行[未の巻]・・・・・・シェムリアップ→プノンペン
ベトナム・カンボジア紀行[申の巻]・・・・・・プノンペン→サイゴン
ベトナム・カンボジア紀行[酉の巻]・・・・・・サイゴン→メコン・デルタ→サイゴン
ベトナム・カンボジア紀行[戌の巻]・・・・・・サイゴン→東京

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2008年08月25日

ベトナム・カンボジア紀行[戌の巻]

第10日目

奇跡的に7時に起床。
昨晩はOさんと深夜まで話しこみ、宿に帰ると倒れるように床に就いたのだが、意外なほどぱっちりと目が覚めた。
心のどこかには今日の9時までには空港にいなくてはという緊張感があったと思われる。

同宿の誰もが寝静まる中、いそいそとシャワーを浴び、帰りのためのパッキングをする。

荷物を背負い1階に降りると、宿のみんなに「ゲイに違いない」と噂されていた宿のおじさんもまだ就寝中だった。揺り起こして宿代を払うと、最後に手を差し出し握手を求められたので、その求めに応じると腕をグイと引かれ、ハグをされた。

やっぱり噂は本当なのかなと思ったが、それ以上は何もなく(あるわけないが)、シャッターを開けてもらい朝のデタムの陽光を浴びた。

まだ空港に向かうには時間があるので、近くの屋台でまたバケットを買った上にフォーも頼み、腹ごしらえをする。
今日は月曜日なので心なしか交通量も多く、ただでさえ多いバイクの往来がより激しいように感じられる。

タクシーを拾い、空港に向かう。

道すがら運転手が「日本からかい?」と聞くので「そうだよ」と答えると、「ベトナムはどうだったかい?」と続けて尋ねられた。

少し考えてから「インフレすごいよね」と答えると、「そうなんだ。困ったもんだよ」と言ったきり何も語らず、鼻歌交じりで空港までひた走った。
我ながらつまらない回答をしたものだ。


ベトナムはBRICsに続くVISTA(ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)の頭文字に当たるため、さぞや経済発展著しいのだろうと思っていたが、その実すでに景気は曲がり角を過ぎ、急激な物価上昇は数日でも肉眼で確認できるほどだった。

例えば出発前に調べたゲストハウスの値段は1泊$5〜$6だったが、いざ着いてみると大体$8が相場だったし、カンボジアから帰ってきて前$8で交渉決裂した宿を再訪したら$10だと言われた。ゲストハウスの値付けは結構適当なのでこれをして基準にはならないが、東南アジアの物価水準で考えたこのお値段は明らかに高い。


そんなことを反芻しているうちにタクシーは空港の国際ターミナルへと滑り込んだ。


定刻の10:50に飛行機はサイゴンを飛び立ち、経由地の台湾を経て日本へと帰りついた。


何の計画性もない旅だったが、同時に何のトラブルもなく、そのくせ目的はきっちり達成することができた。

最後に道中知り合い、様々な形で懇意や助言、あるいは単純に知遇を与えてくれた人々に感謝して今回の旅日記を締めくくりたい。

空港ロビーにて

2008年08月24日

ベトナム・カンボジア紀行[酉の巻]

第9日目

Day9

7:30起床。
身支度を整え、バス停に向かう。
途中、もはや常食となったバケットを買い、かじりながらバスを待つ。

シン・カフェ前は朝の送り出しラッシュで、ハノイ行き、プノンペン行き、クチ・トンネル行きなどのバスが引っ切りなしに来ては乗客を詰め込み、発車していった。

程なく自分の乗るバスもやってきた。
立派なバスで今まで道中で利用してきたどのバスよりも新しかった。

隣の席は日本からきた看護士のRさん。
この後の半日、なんとなく一緒に行動することになる。


目的の場所はサイゴンから南西に90km程下った場所にあるベンチェ省(Ben Tre)。
メコン川と太平洋が出会う三角州(デルタ)を構成する場所に位置する。

かつては米軍の手で枯葉剤が大量に散布されたことにより、深刻な被害がもたらされ、ベトナム戦争が終わった後も長年不毛の地として作物が育たなかった土地である。
また、枯葉剤の影響で多くの奇形児や精神障害者を生み、その負の遺産は今も残っている。


現在は緑も戻り、農業や水産業、そして観光業を生業としている。


バスは2時間ほどでデルタ地帯に到着し、ボートに乗り換える。

ベトナムの大橋
※クリックで拡大

ボートからまず見えたのがこの建築中の大橋。
以前も書いたが、自分大きな建造物を見ると畏怖を覚えると同時に妙にテンションが上がる癖があり、今回もお前そこかよってくらい1人で橋の写真ばかり撮りまくっていた。

メコン・デルタ集落

果てしなく眠かったパトリス・ルコントの映画「Dogora」みたいな風景が続き、実際にうとうとし始めたところで辺りは熱帯植物が生い茂り、ジャングル・クルーズな感じになってきた。

ジャングル

中州にある小島の1つに降りると、そこではライスペーパー作りをやっていた。
おねいさんがクレープの要領でライスペーパーを作りながら、隣のおねいさんに何か話しかけていた。
大方「こんなもん見て何が楽しいんだろうねえ」とかそんな雰囲気。

ライスペーパー作り

隣にいたイタリア人男性が彼女は何て言ってるんだ?というジェスチャーを送ってきた。
(その人は行きのバスの中で、あまりに急ブレーキが多いので、運転手に激しくクレームをつけていたおじさん。)

まともに知っている数少ないイタリア語で
"Il lavoro e faticoso."(私の仕事は大変骨が折れます。)
と言っているよ、と適当に答えると、恐らく「Youはベトナム語もイタリア語がわかるのか?すごいな」みたいなことをイタリア語でまくし立ててきたので、すんません英語と日本語専門です、と英語で伝える。(←ややこしい)

彼、ジャンは男3人ぶらり旅でミラノからベトナムにやってきたそうだ。
連れの2人、マルチェッロとリカルドを紹介してくれたところで、早めのランチタイムとなったので、Rさんを呼んで5人で飯を食うことになった。

ファッション関係の仕事をするマルチェッロは日本に来たことがあるとかで、知っているアーティストの名前なんかをやっとこやっとこ思い出しては教えてくれた。

リカルドはコンピューター関係の仕事をしているそうで、当時は日本デビュー前だったiPhoneでこれまで撮影した写真を見せてくれた。


折りしもこの時期はシルヴィオ・ベルルスコーニが首相に3選された時期なので、ジャンに軽くその話を振ってみた。
曰く「彼が返り咲いてほっとした」とのこと。

続けて小声で"No communist"(コミュニストはいかん)と強い調子で言う。
※ベルルスコーニの前のプローディは左派=コミュニスト


しかし、そう語るジャンは真っ赤なパンツにベトナムの国旗、金星紅旗をかたどった真っ赤な帽子をかぶっていた。


3人はボケ=大ボケ=ツッコミの関係が見事に成立していて、一緒にいて非常に愉快な連中だった。

集合写真
左からジャン、Rさん、マルチェッロ、リカルド

ツアーだけあって、やれ馬車だの手漕ぎボートだの色んなアトラクション的アイテムを乗り継いだり、なんか歌を聴かされたり、竹で編んだ傘をかぶせられたりと要らんサービスがついてきたが、いつぞや体験したアユタヤ・ツアーよりはるかにクオリティが高かったし、何より上の連中と一緒にいたので、退屈しなかった。

川くだり
※クリックで拡大

こんなたおやかな風景の中、ゆったりと川を下るボートに揺られていた時など、強行軍だった今回の旅の締めくくりとして実に穏やかな時間を過ごすことができことに至福を感じた。


最後、はしけに向かう途中にボートがエンジントラブルで10分くらい停まった以外、これというトラブルもなく、むしろ物足りなさを感じるほどツアーは順調に幕を閉じた。

サイゴンに向かう帰りのバスの中ではすっかり眠りこけ、目が覚めるとシン・カフェ前に到着していた。

イタリア人の3人とはここでさよならとなり、来年日本を訪れる予定だと言う彼らと連絡先を交換した。


なお、この後は同じツアーに参加していた某大手電機メーカーに勤めるOさんとカンボジア人の青年と夕食を一緒にする約束をしていた。

しかし、その前に今日中にどうしてもやっておかなければいけないお土産探しと言うタスクがあった。
今夜の便で日本に帰るというRさんとマーケットに行って、やっつけで目に付いた食品や雑貨を購入する。

Rさんは折角ベトナムに来たのにまだフォーを食べていないというので、夕食が控えてはいたが、マーケット内の食堂で一緒にフォーをすすった。


Rさんを見送った後にデタムに戻り、待ち合わせをしたカフェに行くと、カンボジア青年はおらずOさんだけがいた。

さらに30分ほど待ったが、結局もう1人の彼は来そうな気配がなかったため、後ろ髪ひかれつつOさんと2人で近くの食堂に腰を落ち着けた。


Oさんは40台半ばくらいで、教養があり、自分の大好物である歴史の話やそれにまつわる本や映画の知識が豊富であった。
特に中国共産党についての造詣が深く、興味深い話をいくつも紹介してくれた。

今回周遊したベトナムは今でも中共の影響下にあるベトナム共産党の独裁だし、カンボジアのクメール・ルージュを培養したのも中共である。
また昨年訪れたネパールはつい先ごろ王政が廃止され、ネパール共産党毛沢東主義派=マオイストが実権を握っている。

北京五輪開催を前にチベットやウイグルの問題が騒がれていたが、強権主義の性格を持つ中国共産党の影響を強く受けているのは何もチベット、ウイグルだけではない。


明日の午前10時の便で日本に帰るため、それほどゆっくりしていいわけではなかったが、まさに今回の旅の総括となるマクロ視点で見たアジア世界の政治地図について、夜が更けるまで語り合った。

2008年08月12日

ベトナム・カンボジア紀行[申の巻]

第8日目

Day8

7:30起床。
シャワーを浴びて荷作りをし、チェックアウト。
バス停近くの食堂で朝食をとり、きれいに手持ちのリエルを消費した。

サイゴン行きのバスは予定通り9時に出発し、快調にベトナムとの国境に向けてひた走る。

トンレ・サップ川
トンレ・サップ川

天気は今にも雨が降り出しそうな曇天で朝なのに夕刻のように暗い。

持ってきた2冊の本も読み終えてしまい、暇なので今回出会った人たちを振り返ってみた。

スリランカ人Dさん
ウクラナイナ人Nくん
サイゴンの屋台で会った日本人のおじさん
バスで隣だったマレーシア人青年
頼んでないのに2つのお粥を持ってきた屋台の兄ちゃん
アメリカ人のジェフリー(本人承諾のため実名)
ロシアンマーケットにいたカンボジア人の女の子(本文では省略)
ビールを水のように飲むドイツ人のおばちゃん
アンコール・ワットで土産物を売る女の子たち
シェムリアップの映画館のスタッフ
泥沼だと知ってて教えてくれなかったスペイン人のおばちゃん
デジカメを見せてくれたポーランド人
傘を貸してくれたカンボジア人青年
日本への留学が夢なカンボジア人ウエイター
ゲストハウスで一緒にプチパーティをしたカナダ人カップル、スウェーデン人、ブラジル人、アメリカ人、南アフリカ人、カンボジア人、大阪から来たSくん。
小学校教諭になるTくん
鍼灸師のUくん
屋台で働いていたバツイチのお姉さん


以上が「ベトナム・カンボジア紀行」のエンドロールにクレジットされる人々ということだ。
挙げてみると結構いるものだ。

「海外の1人旅は寂しくないですか?」と最近ある人に言われたけど、ご覧の通り1人で寂しいのは成田を出発する時くらいのものだ。


国境

国境には昼前に到着し、カンボジアの出国手続きとベトナムへの再入国手続きを行う。今回もあっさりしたものだった。

またバスに乗ってぼーっとしていると途中ついに大雨が振り出し、面白いほど激しい雨がバスの屋根をたたく。
そんなことお構いなしにバスは猛スピードですっ飛ばし、あっという間に街らしい風景に変わって、予定より早い15時にはサイゴンのシン・カフェ前に到着した。

着いた頃には都合よく雨は上がっており、宿探しをする頃には晴れ間が覗いていた。
何軒か回ったが結局いいところが見つからず、仕方なく前と同じ安さだけが売りのドミトリー($3/1泊)に行き、ベッドを選んだ。

ゲストハウス
こんなとこ。ぼろいし暗いしなんか臭い。

荷物を下ろしてデタムに戻り、やみつきになったバケット屋を探す。
午後はあまりやっていないようだったが、ようやく1軒見つけ、ハム+チーズをトッピングしてありつく。

やっぱり震えるほどうまい。


さて、もしものことを考えてシェムリアップから駆け足でサイゴンまで帰ってきたが、無事に戻って来れたので明日1日は全く自由に使うことができる。

どうしたものかと考えたが、丸1日サイゴンにいたのでは確実にもったいない。
日帰りで行ける場所の候補としてはベトナム戦争時に掘られた全長200kmのクチ・トンネルが現実的だった。

しかし、ここまで散々戦争の足跡を辿ってきたわけで、最後くらいは殺伐とした歴史とは乖離した観光っぽい場所に行きたいと思うのが人情だ。

シン・カフェに行くとクチ以外にはメコン・デルタへの1日ツアーが目に留まった。

思えば半年前、メコン川の源流に近いネパールに行ったことを思い出し、ヒマラヤの1滴がいくつもの国境を越えて海へ注ぐ姿を見届けるのはグレートジャーニーみたいでかっこいいじゃないかと考えた。

値段も160,000D(≒1,000円)とお手頃だったので、そのツアーに申し込むことにした。
ツアーではかつて苦い経験をしたこともあったが、1人でそこまで行って日帰りで帰ってくることを考えるとツアー以外に選択肢はなかった。

無事に申し込みを済ませ、宿に戻り、湿ったベッドに横たわると瞬殺で眠りに落ちた。


宿のベランダから

目を覚ますと18時を回っており、今日は大して何もしていないのだが、都合よく腹が減ってきた。

街に出て北に向かい、最初の夜に行ったタオ・ダン公園に行ってみる。今日は何のイベントもやっていないようで、比べ物にならないくらいがらんとしていた。
ここに来たのはわずか1週間前なのだが、随分昔のことのように思える。

宿との中間くらいにある適当なレストランに入り、春巻とカニ・スープ、そして呆れるくらい毎晩飲んだビールを頼む。
興味があるわけでもないマンチェスター・ユナイテッドとチェルシーのテレビ中継を眺めながら、何日かぶりで純粋に1人の夕食を楽しんだ。

外はまた雨が降ってきて足止めを喰らうが、急ぐ理由などないので上がるのを待って、チェックを済ませた。


まだ宿に帰るには早かったので、デタム通り沿いにあるバーに入り、今度はルールすら一切わからないクリケットの試合をぼんやりと観戦した。

隣のスコットランド人男性がじっとテレビを観ていたので「ルールわかる?」と聞くと「いや俺も知らない」との答え。なんてことない話を二言三言交わすが、これといって盛り上がらず、今度は都合よく眠くなってきたので宿に帰ることにした。


天気のせいもあるが、旅も佳境を過ぎ、なんとなく哀愁の漂う1日であったような気がした。

2008年08月10日

ベトナム・カンボジア紀行[未の巻]

第7日目

ポピュラー・ゲストハウス
昨夜のパーティ会場

6:30に起床し、ロビーに降りて受付にいた女性に今日プノンペンに戻るバスが取れるかを尋ねてみた。
確証はないが多分昼に出るバスが取れそうだ、とのことで一応安心し、部屋に戻って二度寝。


8時に正式に起きて、オールド・マーケットに足を伸ばしてみた。
市場は一種の社交場であり、地元の生活を垣間見る有力な手段なので、新しい街に行くと割とよく行く。

オールド・マーケット


市場を出て、シェムリアップにあるキリング・フィールドに行ってみることにした。
前も書いたがカンボジアにはあちこちにキリング・フィールド=処刑場跡がある。
シェムリアップはクメール・ルージュにとって、大きな拠点であったため、その瘢痕も小さくはないはずだ。

場所は街の北西にあり、歩くにはちょっとしんどそうだったが、半日も使わないのにまたわざわざ自転車を借りるのはもったいない気がして、徒歩で行くことにした。

しかし、その距離は思った以上にあり、自転車レンタル代の$2をケチったことを後悔した。
道は一本なのだが、歩けど歩けどなかなかそれらしき場所が見えてこない。
自分の持っている簡単なフリーマップにはほとんどランドマークが記されていないため、途中あっているのだろうかと不安になった。

バイクタクシーを見つけたら迷わず乗っていこうと考えたが、普段は鬱陶しいくらい話しかけてくるのに、こんな時に限って全く見当たらない。

結局猛暑の中を30分以上歩き、ようやく目的地にたどり着いた。

シェムリアップのKF

シェムリアップのキリング・フィールドはプノンペンのそれと違って当時の面影はない。

KF内の寺院

地面はコンクリートで舗装され、立派な寺院が建てられていた。
しかし、敷地の一画には当時の写真や犠牲者の遺骨が置いてあった。

犠牲者の遺骨
無造作にお堂に納められていた遺骨

キリング・フィールドの写真
犠牲者のマグショットとトゥール・スレンにあったのと同じ写真


しばらく回っていると、1人の青年がカタコトの日本語で話しかけてきた。
にこやかに「ここには『だるま学校』という日本人が作った学校があるので、案内したい」という。
多分最後に寄付を求められるパターンだろうと思ったが、案の定、立ち去ろうとすると大声で呼びとめられ、名簿のようなものを差し出された。
「子供たちに文房具を買います」と話す。

仕方なく帰りのバイタク代にと思っていた6,000Rのうち半分の3,000Rを渡す。

しかしその額では納得いかない面持ちだったので、イラっときてそれでも鉛筆くらいは買えるはずだと言って行こうとするが、お礼の代わりにまた大声で"Wait!Wait!"と大声を上げる。

1口ナンボか知らないが、寄付される側がレイズを要求する寄付にいささか気分を害し、キリング・フィールドを後にした。

出口にいたバイタク・ドライバー何人かに3,000Rで街の中心まで行くか聞くと、4,000Rだと言う。
米ドルも使えるのだが、その時は$100札しか持っていなかったので、やむなくまた歩いて帰ることになった。

が、さすがにしんどくなって路上で休んでいたところで、1台のバイタクが通りかかり、乗ってくか?と声を掛けられた。
2,000Rでいいなら、と試しに吹っかけてみたらどの道市街に戻るつもりだったのか、すんなりいいよ乗りなと言う。


中華レストランに入り、遅めの朝食兼早めの昼食。
大分汗をかいたので塩っけのあるものを欲していたため、ワンタンのスープまできれいに平らげた。

宿に戻り荷物をまとめ、11:30にチェックアウトし、宿代$6とプノンペンまでのバス代$6を払う。


Day7

定刻通りプノンペンに向かうバスは出発し、これで今回の旅も折り返し地点を過ぎたことになる。

また6時間の道のりをバスに揺られて過ごすことになるが、行きと違ってバスはガラガラで、1人で2シート独占しても全然お釣りが来た。

後ろの席に日本人バックパッカーと思われる男子2人組がいて、「日本人でしょ?」と声を掛けられたが、面倒くさかったので、「ええ」と軽くうなずいてかわし、本に目を落とした。

往路と同じく、途中2回パーキングで休憩を取る。

カンボジアの車窓から
車窓から日没前のカンボジア
※クリックで拡大



予定より若干遅れて19時にプノンペンに到着した。すでに日は落ち、軒には灯りが灯っている。
宿は前回と同じキャピトル・ゲストハウスに取ることにした。

バス降り際にさっきの日本人の1人に話しかけられ、「どこに泊まるの?なんなら案内してよ」と頼まれる。
いやもう目の前の建物がゲストハウスだよ、と告げると「え?入り口まで連れてってよ」とさらに頼まれる。

若干わずらわしかったが、どうせ自分も泊まるので一緒にフロントまで行く。

さっさとシングルの部屋を決め、じゃよい旅をと去ろうとすると「一緒に飯食おうよ」と誘われた。
・・・この人距離の詰め方早いな、と思うがじゃそうしましょうという話になり、待ち合わせ時間を決める。

部屋に荷物を置いてから、2人の部屋を訪れ、連れ立って前回ジェフリーと食事をしたレストランに行く。


てっきり2人連れで日本から来たのかと思えば、どこぞやのゲストハウスで知り合って以来、宿探しに便利なので2人で回っているだけだという。

ちなみに話しかけてきたのは全て年長のTくんで、同い年くらいかと思ったら自分より全然年上だった。前職を辞め、なんと今度から小学校の教師になるのだという。

もう1人のUくんは自分より全然年下で、いまどきの見た目からは想像つかないが、鍼灸師をしているという。

そしてもう1人は俳優崩れでディレクターもどきの俺。


「最初やたらに避けてなかった?」とTくんが言うので、「だって自分なれなれしくて面倒くさかったもんだから」と正直に答える俺、「その気持ちなんとなくわかります」と続くUくん。
意外なほど、場は盛り上がり、例によって21時に店が閉まっても次に行こうかということになった。


やはり21時を回ったプノンペンは静まりかえり、ほとんどの店から灯りが消えた。

たった2夜の長だが、プノンペンについては自分が一番知っているので、それでもやっていそうなところに目星をつけて、街を歩いてみた。
ところが、大通りに出ても、主要な交差点に行っても店はほとんど開いていなかった。
仕方なく最初の夜に行ったマーケット前の屋台村まで引き返す。今は3人だからまだしも、1人で歩くのは「勇気」ではなく「無謀」であることを痛感した。

そこではぬるい缶ビールを煽りながら、それぞれの旅の目的などを話した。
Tくんは教師になるだけあって歴史にも詳しく、割とマニアックな話を振っても受け答えてくれた。
こういう知識だけではなく、それを裏付ける旅の経験も持つ先生に当たる生徒はラッキーだなあと思った。

そんな真面目な話は束の間で、男3人が集まれば当然、といった風に女の話、エロな話へとシフトしていった。


「ここの屋台のお姉さんもなかなかですよと」Uくんが言うので、チラ見するとなるほどお美しい。

オーダーにかこつけて話しかけると、以外にも自分より年上の33歳で、2児の母であったが、4年前に1人を亡くし、同時に離婚したとか。33歳、ということは前回書いた「失われた世代」に当たるわけで、慎重に聞いてみると、父上をポル・ポト派に殺されたそうだ。
もうカンボジア人の男はこりごりだと無邪気に話す彼女は素直に美しかった。


自分は明日の朝早くにサイゴンに発つため、カンボジアの夜はこれが最後となる。

思いがけない出会いにより、名残惜しさの残るハッピーなラストナイトとなった。